共食と乳幼児期の発達

人の食事は、人の発達にずいぶんと影響を与えます。他者に食べさせるという人間の特徴である行為から、役割交代をし始め、次第に自己を知り、他者を知るようになると、次第に自己主張をするようになります。食について、北海道大の川田准教授が示した事例は、誰でも思い当たるでしょう。
「1歳を過ぎたころの子どもにスパゲッティと野菜を食べさせようと、「これは?」とトマトを差し出すと、子どもは顔をしかめてのけぞります。そこで、今度は、「じゃ、これは?」と青菜を差し出してみますが、より一層顔をしかめてみせ、不快そうに手を振って「あ゙?」と非難の声を上げてソッポを向いてしまいます。そこで、「どうしたのー?」とやや非難気味で、再度「赤いのは?」とトマトを差し出しますが、またもや顔をしかめ手で顔を隠してしまいます。そこで「じゃ、自分で食べる?」とプレートを差し出すと、子どもの表情が一変し、トマトに手を出し始めました。今度は、スパゲッティを食べる段になり、同じように子どもが自分でプパゲッティを食べようとしますが、うまくすくえないのを見かねて、箸でつまんで子どもの口元にもっていくと、子どもは拒否をします。その後、大人の差し出しを受け容れたかに見えた時でも、これ見よがしに吐き出し、自分で食べようとします。「なんでー、おんなじのよ?」といっても、更に、子どもは差し出しを拒否した後、今度は自分の方から大人に差し出して、役割逆転が起ってしまう」という事例です。
ここで、大人は「おんなじのよ?」と思っていますが、子どもにとっては同じではないのです。どこが違うかというと、おそらく、大人の意図、あるいは大人の意図の下で進められるという“手続き”に対する拒否感情が生じているのではないだろうかと分析しています。社会心理学には、心理的リアクタンスという概念だそうで、「態度や行動の自由が脅かされた時に喚起される、自由の回復をめざす動機づけ状態」(「心理学辞典」有斐閣)というそうです。このリアクタンスは、もともと説得理論のひとつとして、セールスなどでの押しつけがましい説得が逆効果をもたらすことの根拠とされてきたのですが、リアクタンスが生じるためには、自分自身の行動や態度の自由を認知している必要があり、自由を認知しているにもかかわらず強制されると禁止された行動が遂行されるのです。
食事場面における自由とは、一般に、好きなものを、好きな方法や手続きで食べることができるということです。これらは全て揃っていることに意味があり、仮に好きなものでも、ペースを無視して他者に食べさせられたら、手続き的には強制されていることになるので不快を生じます。介護場面でも常に考慮されるべき事柄なようです。
最近、小学校で、昔の給食と違っておいしいものになってきていますが、給食を嫌がる子どもが増えてきたという報告を受けました。食物がどのように扱われるか、食物を介したコミュニケーションがどのような手続きで行われるかは、参加者の心理状態に影響を与えるのです。心理的対象となった食物は、食の中のコミュニケーションを複雑にする機能を持っていると考えられているからです。
inenreisyokuji.png
昨年の学術集会で発表した川田さんは、こうまとめています。「現代の日本社会では、共食の中で子どもが自然に食行動や食文化、対人関係や自他理解を発達させる環境に乏しいといえる。共感的な反応、役割の交替、自由の認識と自己主張性という、乳児期の発達における重要なアスペクトが、食事場面には凝縮されています。そして、いずれも生後9 ヶ月から12 ヶ月頃に質的な転換があるかもしれないと思われ、その転換は、“やりとり困難期”とも言われるように、子どもの行動が複雑になって、意図が分からないと養育者を困惑させるものでもあるだろう。今後、食事場面をより充実させることができれば、乳児の社会的発達を保障する土台を作ることができるのだとも言える。食と社会的発達の関連を探る研究が期待されていると言えよう。」
もしかしたら、少子化での現代での乳児の家庭の食事が、引きこもりの一因という可能性があるかもしれません。

共食と乳幼児期の発達” への6件のコメント

  1. 一連の「乳児の食育」のお話を通じて、狭い家庭の一室で母親と二人きりで食事をする乳児と、保育園の集団の中で共に食事をする子供では、間違いなく育ちに大きな違いができるだろうことは素人の私にもわかります。3歳児までは母親の養育が一番というのは、今の少子化の時代では通用しないどころか、それこそ引きこもりの原因にもなりかねない。保育園が託児から教育に変わるためにも、「共食と乳児期の発達」という視点が大事ですね。

  2. 食事における子どもの特徴や力を理解せずに、例えば栄養面を充実させようとすることで、子どもにとっておかしな食事になってしまうことがよくわかりました。優先すべきこと、欠けてはいけないことを、正しく理解しておくことの重要性を感じます。でも、これは食事に限ったことではないですね。食事について考えることが、その他の様々なことに広がっていくのが少しわかってきて、あらためて食の大切さを感じています。

  3. 「心理的リアクタンス」。これは結構重要な概念です。「押しつけがましい説得が逆効果をもたらすこと」とあります。身に覚えがあるのでドキッとしました。心理的リアクタンス、これはしっかりと覚えておきたいと思います。食事を強制されることくらい苦痛なことはないのに、「少しでもいいから食べなさい」と強制されたり「健康にいいのだから」と薦められたり(ソフト強制)、食べることは本来楽しいこと、人を幸せにすること、このことを忘れてしまっていることが「給食」と呼ばれる食事形態にはあります。わが子は「給食」をあまり楽しんでいないようです。本日は嫌いなグリンピースを「一秒に一粒ずつ飲み込んだ」と報告してくれました。食べるものを選ぶ自由がない「給食」現場のことを知るにつけとても悲しく思われます。楽しく食べられないところには「勉強」はあっても「学び」はないでしょう。

  4.  保護者から、食事を食べさせようと口の中に入れてあげたら、それを口から出して、自分で口に入れて食べたという話しを思い出しました。その行動を聞いた時とても不思議に感じました。しかし、赤ちゃんにとっての、大人の口に入れてあげる行動は返って逆効果であり、不快な思いをさせてしまうのですね。それが心理的リアクタンス、確かにセールスの例を聞くととても分かりやすいです。乳幼児期の食事というのは、ただ離乳食を大人に食べさせてもらう事ではなく、人生の土台を作り上げる大切な時期という認識を持つ事が大切で、中でも集団で食べることが重要であり、間違っても大人が一対一で食べさせるのは危険な事になるかもしれません。

  5. 今回出てきた子どもの反応は日常よくあることですね。大人に摩り替えて、過剰なセールスが逆に購買欲をなくすことになるのをかんがえるとまさに同じことを子どもに強いていたのだと感じました。確かにそれでは食べようとは思いませんね。栄養面を考えるのはもっともなのですが、それも食べるということが前提であり、食べることを拒否するというのは本末転倒です。何を最優先にしなければならないか、「食」ということがどういった意味があるかということを改めて考えさせられました。

  6. 私も子どもの頃、食事をしていると肉や魚などの好きなものを先に食べて野菜などをよく後回しにして食べていました。そうすると母親が決まって「野菜もちゃんとたべなさい」や「野菜には栄養がいっぱいあるから」などと言ってどうにかして私に食べさせようとしていました。おかげで私は野菜嫌いになってしまいました。母親の気持ちはわかりますがまさにセールスの例です。栄養を考えて作られたとしても食べなければ意味が
    ありません。栄養を考えるのも大切ですがその前に、食べることに対して興味や意欲を沸かせるような食事を考えなくてはなりません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です