IT活用から

昔、文房具と言えば学校の近くやオフィスの近くの文房具店で買っていました。しかし今、街のいたるところにコンビニやスーパーが建ち並び、郊外にはホームセンターが点在し、そこで文房具を購入するのが日常となり、昔ながらの町の文房具屋は徐々にその姿を消していっています。このような状況の中、渋谷に居をかまえる山崎文永堂は、「アスクル」という通販により業績が上がっていきます。しかし、その反面、不良債権が増加して業績を圧迫し始めます。そこで、その管理にITを活用し始めます。まず、ネットとカタログの融合を目指したホームページを立ち上げます。このホームページは、自分たちが楽しんで仕事をしているというメッセージを伝え、またできるだけ多くの情報をスピーディーに届けることに主眼を置きました。そして、サイトを作ると、客は、まず会社の情報を詳しく調べてから来るようになり、ネットの威力に驚きとともにその可能性に社長の山崎氏は気付いていきます。その力を借りて、不良債権を減らしていきます。
まず、カード会社のように、注文を受けたら30分で審査する独自のシステムを構築します。ポイントは、購入履歴をしっかり管理し、いくらまでだったら出荷できるかなどのルールを作り、それをMicrosoft Accessのデータベースで判断するというものです。名前と請求を一致させ、入金があると自動的に消しこみをする仕組みにしたことで、どういうふうに出荷するのがベストかというノウハウが蓄積できるようになっていきます。これによって、売り上げの2%が不良債権だったのが、ITによる管理と効率化により、0.2%まで比率が下がりました。
ITにより、顧客もウェブやカタログから注文ができ、利便性が向上してきたことで余裕ができてきます。そこで、オフィス関連商品の販売だけでなく、逆に顧客に働きかけ、顧客に満足を届けるという思いから、快適なビジネス環境の提案、改善という、「ファシリティコンサルティングサービス」を展開し始めます。「物を届ける」ことから、オフィス作り「提案」へのシフトをしていくのです。このサービスは、今、注目を集めている企業経営サポートです。そのコンサルティングは、オフィス用品の購買を効率化する提案はもちろん、空間活用や風水を取り入れた「結果が出るオフィス」、出逢った人に幸せを与える言葉を商品化した「感動名刺」など、独自の視点から開発したユニークな商品やアイデアを提案していきます。山崎氏は、こう言います。「便利になって、時代が変わってきたこともあると思うのですが、今お客様に一番求められているのは『提案』です。お客様の声は常に変わります。今は『当社に合う情報を教えてほしい』となってきている。つまり、欲しい商品が便利に買えればいい時代は終わったのです。これからは、私たちがお客様のニーズをより深く知り、社員全体で共有して仕事をしていくのが大事になります。」
次に、クレームを幸運に変える「ラッキーコール」システムを構築します。まず、社員のスケジュール管理システムとして「サイボウズ」を導入し、全社員のスケジュールが一目でわかるようしました。それによって、ダブルブッキングがなくなったうえに、情報共有が簡単になります。また、「サイボウズ」のデータベース「デヂエ」を使い「ラッキーコール」というシステムを構築します。これは、顧客からのクレームがあったときなどに即座に対応するためのシステムで、クレームは嫌なものと考えずに、きちんと誠意をもって対応することで、次のチャンスにつなげるものという意味合いを込め、ラッキーコールと名付けられています。
山崎氏は、ITで「仕事を楽しくすること」「お客様を感動させること」を実現したいと言っています。

IT経営

 最近、通販が好調のようです。私は、衣類や靴など身につけるものを通販で買う気にはなりませんが、よくみんなは、試着などしないで買うなと思います。しかし、文具などその商品がはっきりわかるものや、買って帰るときに重くて大変なものは通販で頼むこともあります。また、園では、事務用品などは通販で頼むことが多くなりました。それは、値段が安いことと、頼んでから手に入るまでが早いということがあります。その中で、おもに頼むのが「アスクル」です。「明日来る」から「アスクル」というサービスの名称がそのまま会社名となったように、オフィスに必要なモノやサービスを「明日届ける」というトータル・オフィス・サポートサービスの会社です。アスクルは、1993年3月に大手文具総合メーカーであるプラス株式会社の一事業部としてスタートした後、プラスグループの一員として1997年5月に分社独立しました。
この「アスクル」を扱っている販売代理店は、全国で1,500社あるそうですが、その中で、売上高7位の実績を上げている企業に、「山崎文栄堂」という会社があります。この会社の代表取締役社長である山崎登氏は、入社直後に直面した倒産の危機からの復活を、中小企業が効率的にITを活用することによって成し遂げ、経済産業省主催のIT経営百選で最優秀賞を連続受賞しています。
山崎文栄堂の始まりは町の文房具店で、渋谷の一角に店を構え、山崎氏の父と兄弟3人で文房具の販売を行っていました。しかし、文房具は文房具店で買うのが当たり前だった時代は終わり、量販店やコンビニエンスストアなど至る所で文房具が売られるようになっていき、全盛期には30,000店以上あった町の文房具店は6,000店まで減り、残った店の多くも赤字すれすれの経営を迫られていました。私の子どもたちが小学生のころは、まだ、学校のそばにはその学校指定のさまざまな教材を売っていた文房具店がありました。そう言えば、そのような店はいつの間にかなくなっていったのです。当然、山崎文栄堂も赤字の年が続き、倒産の危機を迎えます。そんな時代の1993年、山崎氏が3代目社長として山崎文栄堂に入社します。
倒産の危機を迎えた山崎文栄堂は、いくつもの銀行を回り、そのうち一行から何とか300万円の融資を受けることはできましたが、そのまま町の文房具店を続けていたのでは終わりは見えていました。しかし、どこにもないもので勝負をかけようにも地域の商圏だけでは、お客様の数が足りません。そこで経営改革の第一歩として山崎文栄堂が目を付けたのが通信販売形式の「アスクル」だったのです。Face to Faceの文房具販売が当たり前だった当時、通販形式の「アスクル」は異質でしたが、翌日届くというわかりやすいバリューは、必ずお客様に受け入れられると山崎氏は確信し、得意先を増やすため、「アスクル」の販売代理店となったのです。
山崎氏の思惑通り、アスクルの代理店になる策が功を奏し、新規開拓は順調でした。しかし、文房具店だった頃とは桁違いの顧客数になったことにより、新たな問題が発生したのです。それは、売上の2%を占めていたという不良債権率の高さです。この不良債権率の高さは、顧客管理ができていないということで、顧客への請求書がロッカーに置き去りになっていたり、社内は混乱状態で当時15人いた従業員全員が辞めようと思っていたというような状況でした。このまま顧客数が増えれば、現場はなおさら混乱することは必至で、その対策として経営にITを取り入れ始めます。この時の取り組みが、IT経営百選で最優秀賞を連続受賞することになるのです。この取り組みが、さまざまな企業向けネットで紹介されています。それを少し見てみようと思います。

自由という権利

世界では、今置かれている子どもの状況を憂えています。さまざまな紛争に巻き込まれる子どもたちだけでなく、虐待にさらされたり、大人の配下に置かれたりする子どもたちが力萎え、自信を失ってしまい始めました。そうなると、もはや人類の未来はないのではないかということで、子どもたちが生きるプライドを取り戻し、社会を支える重要な構成員としての役割を担えるようになるためにはどうしたらいいかということを、世界の英知を結集し、10年の歳月をかけてつくられたのが「子どもの権利についての到達点」としての「子どもの権利条約」なのです。そこでは、子どもを未熟なものという「保護」の対象である客体から、権利行使の主体として認識し位置付け、締結国に対し、法的拘束力をもつ条約の形で、子どもの権利主体性を確立することを目指したのです。
この「子どもの権利条約」は、4つの柱からできています。まず、「生きる権利」で、「防げる病気などで命をうばわれないこと。病気やけがをしたら治療を受けられることなど」です。次に、「育つ権利」ということで、「教育を受け、休んだり遊んだりできること。考えや信じることの自由が守られ、自分らしく育つことができることなど。」です。そして、「守られる権利」で、「あらゆる種類の虐待(ぎゃくたい)や搾取(さくしゅ)などから守られること。障害のある子どもや少数民族の子どもなどはとくに守られることなど。」です。最後が、「参加する権利」で、「自由に意見をあらわしたり、集まってグループをつくったり、自由な活動をおこなったりできることなど。」です。
 この中で、保護対象としての子どもから権利主体としての子どもへと子ども観を転換したものとして注目されたものの一つが、昨日のブログで取り上げた「意見表明権(12条)」です。もうひとつは、「表現の自由(13条)、思想・良心・宗教の自由(14条)、集会・結社の自由(15条)」などの市民的権利です。「子どもは自由に考え、自分の意見を自由に表明し、自分を自由に表現し、自由に集う権利を有する。」というもので、さまざまな自由を保障しようとしています。しかし、この「自由」についてもいろいろな誤解があります。しかし、「選択」させることによって、責任を教えるという意味もあるように、「自由」は、ルールや規律を教えるために必要なものです。園の学童クラブの子どもたちに、職員が「規則」は、どんなイメージかどうかを聞いてみたそうです。すると、「いやなもの」「うるさい」「めんどくさい」「ないほうがいい」などネガティブな意見ばかりだっとそうです。そこで、「じゃあ、これから規則をつくるのをやめよう!」といったところ、みんなは、「困る」「規則がないとめちゃくちゃになる」というので、「さっきはないほうがいいと言ったんじゃないの?」というと、子どもたちはその矛盾に頭を抱えてしまったそうです。
 自由は、好きなことができるからいいと思いますが、好きなことができるためには、お互いがきちんとルールを守るからです。その大切さは、言われたことをその通りにやっていたり、止められてやめたりするだけですと、わかりません。自由であるからこそ、その間にあるルールの必要性を感じ、ルールを守る意味を知ることができるのです。
 「子どもの権利条約」は、子どもの権利を守るというだけではなく、大人になってからの生きる力をつけていくという意味合いもあることに気がつきました。

選択

子どもの権利条約の中でよく問題になるのが第12条です。しかし、私は、この条文こそ、今の育児、保育、教育の問題が含まれているような気がしています。特に、日本では、子どもは大人の奴隷とまではいきませんが、大人の言うことを聞いていればいいのだという考えが強いために、この条文の実践が遅れている気がします。この条文は、「意見を表明する権利」ということで、原文にはこう書かれてあります。
「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。」(States Parties shall assure to the child who is capable of forming his or her own views the right to express those views freely in all matters affecting the child, the views of the child being given due weight in accordance with the age and maturity of the child.)
 簡単に言うと、「子どもは、自分に関係のあることについて自由に自分の意見を表す権利をもっています。その意見は、子どもの発達に応じて、じゅうぶん考慮されなければなりません。」ということになります。
 このような条文をふまえて、保育がどの様になるのかということを、白梅学園大学の学長である汐見稔幸先生が、講演の中で、イギリスでの保育を例に挙げています。
「今日は公園に散歩に行くよ」と先生が言う。「花が咲いていてきれいだから、それを見に行こうね」と言った後、日本だったら「はい、並んで、手をつないで2列になって」とするのですが、イギリスの場合は違います。「Aちゃん、行く?Bちゃん、行く?」と、一人ひとりに聞いて、そして「行く」と選んだ子しか連れて行きません。要するに、いろいろなメニューを用意しているが、参加するかどうかはあなたが決めることですよ。つまり子どもの意見を表明させて、それを尊重しながら進めていくのです。
 これは、イギリスの特殊な保育を例に出しているのではなく、子どもの権利条約に沿った保育をするとそうなるということなのです。2002年に「欧州評議会閣僚委員会で採択された勧告でも、この12条の中心的重要性を考慮に入れることが示されています。そこには、幼児施設の質の高さが示されています。
「良質な保育園、幼稚園は、子どもの社会的、情緒的、知的および身体的発達を促進することに役立つこと、子どもが自分にかかわる事項についての意見を聴いてもらえる可能性を生み出し、かつ意思決定の過程で子どもの意見が考慮されることを確保すること、コミュニティのつながりを維持すること、予防及び保護のための役割を果たしうること」とあります。意思決定に子どもの意見が考慮することは園の質の高さなのです。教師の指示型、一斉に同じことをやらせることは質が低いことなのです。これは、寛容及び平等の精神のもとで子どもが民主的社会に参加し、かつそこで責任のある生活を送るための準備をできるようにすることが含まれていることを考慮に入れると言っています。
 ここに言うように、子どもの意見の表明権は、責任を教えるためでもあるのです。汐見氏は「人間というのは自分で決めたことをやらない限り責任をとるということができないのです。」と言っています。少し前に「自己責任」という言葉がはやりました。今の若者は、自己責任を取らないということですが、それは決して若者のせいではなく、子どもに選択させず、言ったことをやらせてきた教育に問題があるのです。

権理

「権利」を英語で表すと、「right」ですが、その意味の第1は、「 (道徳的に)正しいこと、正当とか、 正義、正道、公正とか、正しい行ない」を意味します。そして、第2に「(法的・政治的な)権利」があるのですが、その意味として「正当な要求」とあります。決して、多くの人がイメージするような「権利」ではないのです。他の言語でも多くの意味は「正義」として使われることが多く、その「正義」から「権利」を言う言葉が生まれたようです。
また、多くの英語を日本語に訳したと言われる福沢諭吉は「学問のすゝめ」のなかでは、rightを「権理通義」という日本語を使っています。そしてそれを縮めて「権理」「権義」とも使っていますが、決して「利益」の「利」を使ってはいないのです。そして、その言葉を使っている個所は、「人の生るるは天の然らしむるところにて人力に非ず。この人々互いに相敬愛して各々その職分を尽し互いに相妨ぐることなき所以は、もと同類の人間にして共に一天を与にし、共に与に天地の間の造物なればなり。」人は生まれながらにいろいろな素質を持っています。お互いの素質を尊重し、それぞれを生かしあうことが大切であることを謳っています。そういう意味では、人間はみな平等であるべきなのです。
しかし、「平等」という言葉も、なかなか真意は理解されにくいところがあります。やはり、この言葉を「平らに等しい」という漢字をあてたことに原因があるようです。私は、以前このブログで、平等とは「等しく与える」ことではなく、「等しく受け取る」ことであることを書きましたが、福沢諭吉はこのように言っています。「故に今、人と人との釣合を問えばこれを同等と言わざるを得ず。但しその同等とは有様の等しきを言うに非ず、権理通義の等しきを言うなり。」みんな同じなのは、決して素質が同じではなく、それぞれが持っている権利が同じであると言っています。
このようにrightは、「権理」という「正しい」理(ことわり)に沿うべく自分の行為を権(はか)ることとする諭吉の当てた字のほうが正しいのかもしれません。そして、権理は、健全な社会の全域に通用する正義であるべきなのです。子どもの権利条約第6条には、「締約国は、すべての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める。」という生存権と、「締約国は、児童の生存及び発達を可能な最大限の範囲において確保する。」という成長発達権が書かれてあります。それは、「子どもが自分らしく生き、思いやりのある大人へ大きくなる権利です。そのためには、親や身近な大人に自分の思いや願いをそのままで抱えてもらい、愛されながら大きくなる権利」です。
私は、子どもの権利条約をふまえた「乳幼児教育法10カ条」を作っていますが、この6条を受けての部分にはこう書いています。
「3、すべての乳幼児は、その発達において、今を大切にされ、自分らしく生きる権利がある。
4、乳幼児は、人格、才能並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達が保障される権利がある。」
早く、世界の中でも誇れる子どもを中心にした社会を作りたいものです。

最善の利益

1989年に国連総会で採択された「子どもの権利条約」は、昨年20年を迎えました。その間に、子どもの人権に進展をもたらしましたが、一方では課題は残されています。この条約は、すべての子どもに人権を保障する法的拘束力を持った初めての国際条約で、国連加盟国が共有すべき原則、即ち国家や文化、時代背景に関係なく、人類社会に生まれたすべての子どもに適用されるべき原則が成文化されたものです。それは、子どもにとって最善の世界を作るための国際社会による長年の取り組みの中で、一つの画期的な出来事でした。この条約が生まれたことにより、世界各地で、法律や子どもたちを守る様々な活動に多くの影響与えています。フィンランドは、「子どもの権利条約」に基づいて、幼児教育や保育に関する計画、小・中学校のカリキュラム、学校保健の質の改善に関する提案、子どもの貧困と社会的疎外問題に関する行動計画など、数々の新たな方策を打ち出しました。日本では、1994年4月22日に「子どもの権利条約」が批准され、その後の2000年改定の幼稚園教育要領、保育所保育指針にどれだけ反映されているのでしょうか。また、今回の2008年の改定ではどうでしょうか。
この「子どもの権利条約」は、世界の中では、子どもが権利を持つ存在だという概念自体が、普遍的に認識されているとは言えない状況のようです。きわめて多くの子どもたちが、おとなの所有物と考えられ、様々な形態の搾取や虐待にさらされています。そこで、私が、若い職員との勉強会「生(なま)臥竜塾」では、子どもの権利条約について勉強をし始めました。順に読んでみると、この条約が法的拘束力を持った条約であるのに、書かれている内容を遵守している国は少ないようです。
例えば、条約第3条が唱える「子どもたちが、子どもに関するあらゆる措置について、子どもの最善の利益を中心に考える世界で暮らす」ことに対しも、いろいろと問題があるようです。ユネスコのHPには、「人類が資源を分配する際に、子どもが最善の利益を受けられるよう配慮されることはほとんどなく、そのために戦争は起こっているのです。」ということを例に出しています。この内容を全文で表すと1は、「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。」とあります。保育園は、明らかに児童に関する措置をとる施設です。ですから、「児童の最善の利益が種として考慮されるもの」であるべきで、保育所保育指針にもそう書かれてありますが、最近の待機児解消に対する策などを見ると、どうしても保護者の最善の利益を考慮しているようにしか見えません。ただ、何が子どもの最善の利益かというと難しい問題です。それは、この権利条約全体を読み砕いていかなければなりません。というのは、この条約に書かれている子どもの権利を保障することが、子どもの最善の利益を保障することになるからです。
最近、子どもに対して虐待している保護者は、「子どものため」ということがあります。しかし、権利条約には子どもたちが「守られる権利」として、あらゆる種類の虐待や搾取などから守られることが定められていますし、特に障害のある子どもや少数民族の子どもなどはとくに守られることなどが書かれてあります。もう少し、国民は、特に子どもに関する仕事をしている人は、丁寧にこの条約を読み込んでいく必要があるようです。

権利

 昨日のNHK大河ドラマ「龍馬伝」では、龍馬が、没年、船中で将来の日本がこうなってほしいという思いを、それまで様々な人との出会いから学んだことから8つの条文にまとめた「船中八策」を書きあげるところを放送していました。この船中八策は、後の新国家体制の基本方針とされることとなりました。世界でも、第2次世界大戦が終わり、これからの世界はこうしていこうという出発の記念日が、昨日の10月24日でした。1945(昭和20)年のこの日、第二次大戦後の平和と安全の維持、各国間の友好関係の促進を目的とした国際協力組織、「国際連合」が51カ国で正式に発足しました。今では加盟国の数は順に増えていき、192カ国になっています。少しずつ増えていっていますが、今までに国連から脱退した国はありません。また、国際機構に関する連合国会議の最終日の、1945年6月26日にサンフランシスコにおいて「国際連合憲章」が調印され、発効しました。国連憲章は、各加盟国の権利と義務、そして、加盟国が自ら設定した目標を達成するために何をすべきかを説明する、一連の指針となっています。ある国が国連に加盟するということは、憲章の目的と原則を受け入れるということです。この日、国連憲章に調印した安全保障理事会の常任理事国5カ国を含む原加盟国の大半がこれを公式に承認したことを受けて、国際連合が正式に誕生しました。このため、毎年10月24日は国連デーとして、全世界で記念行事が行われています。
そして、1948年12月10日の第3回国際連合総会で「世界人権宣言」が採択されました。この宣言は、すべての人民とすべての国民が達成すべき基本的人権についての宣言です。日本は、それから3年後の1951年、サンフランシスコ講和会議で平和条約に調印し、翌52年に同条約が発効し、日本は独立を回復します。そして1956年10月の日ソ共同宣言調印から2ヶ月後に国連加盟をやっと実現します。加盟順でいうと、80番目です。
そして、1966年の第21回国連総会で「国際人権規約」が採択され、1976年に発効されました。国際人権規約は、世界人権宣言の内容を基礎として、これを条約化したものであり、人権諸条約の中で最も基本的かつ包括的なものです。日本がこの国際人権規約を批准したのは1979年です。
そして、国連では、1989年の第44回国連総会において「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」が採択され、翌年1990年に発効されました。この条約は、子どもの基本的人権を国際的に保障するために定められた条約です。18歳未満を「児童(子ども)」と定義し、国際人権規約が定める基本的人権を、その生存、成長、発達の過程で特別な保護と援助を必要とする子どもの視点から詳説したものです。前文と本文54条からなり、子どもの生存、発達、保護、参加という包括的な権利を実現・確保するために必要となる具体的な事項を規定しています。この条約を日本は1994年に批准しました。
しかし、日本では、権利という考え方にはなかなかなじめない国民性のようです。私は、それは、権利を表す英語のrightを「権利」という漢字に当てはめたので、「権限」と「利益」というイメージが強く、なかなか認めることができないようです。日本は、条約への批准に際し、条約第37条C(自由を奪われた児童の取り扱い)への留保と第9条1(父母からの分離の手続き)及び第10条1(家族の再統合に対する配慮)に関する解釈宣言を付けています。しかし、児童の権利に関する委員会はこれらの撤回を勧告しています。また、一部の自治体は条約を基にした「子どもの権利条例」を制定していますが、反対運動も盛んのようです。もっと子どもを信じ、キチンと子どもの権利を認める必要があると思うのですが。

ハンター

 人の探究心はいつの時代でも世界中、いや宇宙の果てまでも目指しても尽きないですね。ヨーロッパでは、世界中に冒険に出た大航海時代、さまざまな動機からいろいろな国々を訪れます。宮殿の庭園は、さまざまな、色とりどりの美しい花で飾られました。そのために、ヨーロッパ,とりわけアルプス以北の寒冷な国々では王侯貴族たちは、美しい花を求めて、世界中にヨーロッパ以外の花を種子や球根を生きたまま本国に運んでくるように派遣しました。それを自国に移植して、その花を愛でる慣習があったのです。とりわけアングロサクソンのイギリスやオランダでは盛んに行われていました。そして、派遣先として、中国を中心とした東洋が選ばれました。その採集を異国の地で担ったのは、「プラントハンター」と呼ばれる植物採集の専門家でした。
プラントハンターは、植物への情熱が人一倍つよい人物であり、しかし、机上で植物標本を研究する植物学者ではなく、たとえ、学者的であってもフィールドを好む野外の観察者,採集者であったようです。いわゆる現場での研究者で、未知の地の植物を生きたまま,種子で採集したり,細密な絵を描いたり,標本で記録したりする探検的要素をもったプロフェッショナルだったようです。日本にも何人か訪れていますが、例えば、江戸末期に長崎で鳴滝塾をつくったドイツの医師シーボルトも、植物の押し葉標本を12,000点も作り、、それを基に「日本植物誌」を刊行しています。彼が命名し、現在も名前が使われている種がいくつかあり、アジサイは、有名ですね。彼は、特にプラントハンターとしての専門家ではありませんが、彼が描いた植物の絵は、とても精巧にできています。このように、プラントハンターは、職人的な気質をもちながら、科学的観察眼,識別眼を備えていました。
彼らが自国に植物の苗や種を持って帰った理由には大きく二つあると言われています。そのひとつは,最初に書いたように、海外の温帯地域で植物を採取し,本国へ持って帰って、王侯貴族たちの庭園での観賞用として売り込むためです。もうひとつの理由は、熱帯植物などを食料や薬草にするための経済植物採取と言われるものです。どちらにしても、本国に帰ってからそれらを売らなければならないので、プラントハンターは、自然界に生える植物をいかに異なる環境に移植して,かつそれを売れる商品として確立するかという商才にも長けていなければならなかったのです。
 街路樹として使われ、夏の終わりから、今頃まで咲いている花があります。最近、園の近くを散歩していたら、まだまだ花が盛りでした。その花は、すいかずら科ツクバネウツギ属の半常緑性低木で、属名「Abelia(アベリア)」といいます。この花が日本に渡来したのは比較的新しく、大正時代頃で、一般に使われるようになったのは1960年以降のことです。中国や台湾が原産で、花は淡い紅色を帯びた白色の鐘形で、夏に長期間に渡り咲くだけでなく、性質が丈夫で大気汚染や乾燥に強く、強い刈り込みにも耐えることができるので道路沿いの街路樹や公園によく植えられたり、植え込みとしてもよく利用されています。
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 この花は中国が原産ですが、名前がモダンなのは、実は、プランターハンターであった19世紀のイギリスの医者かつ植物学者で、中国に来たことのある「Abel(エイブル)博士」にちなみ、「アベリア」とつけられているのです。
 人のあくなき探究心はある歴史を作っていきます。

医者

 医者になりたいと思うと、何が必要だと思うでしょうか。まず、大学の医学部に入るのに、高い学力が要求されるであろうということです。その次に、医学部の授業料の高額にどうしようかと思います。そして、卒業後の道に迷います。まず、開業医がいいのですが、設備などにかなり高額な設立資金が必要ですので、親が医者でないと難しい気がします。では、勤務医というと、時間的にハードであり、かなりきつい気がします。そんなイメージが医者につきまといます。なかなか、無医村で村人たちのために医者になるとか、赤ひげのように貧しい人たちの健康を守るとかいう思いは、理想のような気がしてしまいます。
 フィリピン共和国では、海外出稼ぎ労働者からの送金額は、国民総生産(GDP)の10.87%(2005年)を占めます。従って、フィリピン経済は、海外労働者からの送金なしには維持できないようになっています。そのために、近年、高学歴有資格者である医療・介護労働者30,840人(2005年)が海外に流出するまでになってしまい、フィリピンの地域医療は崩壊の危機に直面するようになりました。この対応策として、1976年、学生数150人の保健・医学校「フィリピン国立大学医学部レイテ分校(SHS)」が開校されました。どうして、この学校がその対応策になるかというと、ここSHSでの階段式・保健医学修学システムが特徴的です。
まず、この学校に入学する為には、自分が生まれ育った町や村の推薦を受けなければなりません。地元の村人の75%以上の推薦がなければならないそうです。村人たちの信頼を背負っているのです。そして、奨学金を受けて、フィリピン全土からここレイテ島に集まってきます。集まった学生たちは、コミュニティ・ヘルス・ワーカーから地域で活動をしながら住民との接点で学びを繰り返し、まずニーズのある助産師の資格を2年間でとります。教室の授業と島での仕事を半々に行うために、医師になった時に必要なコミュニケーション力や、患者の社会的背景などを知ることができます。そして一度出身の村に戻り、地域活動を経て再び推薦を受け、評価されれば次のコースにすすみ段階的に看護師、医師を目指していきます。このように、医師になるために地域や、住民のバックアップがあるために、医師になった後、ほとんどが地域にのこって働くそうです。これが「ウータンナローブ」(恩に報いる)ということのようです。
この学校の授業内容も特徴があります。まず、入学すると一人10本の樹を植えます。それは、彼らが村に入るとその分だけ薪を使う量が増えるために、その分を自分で補うのです。それは、医師は、病気を見るだけでなく、それを取り巻く環境、暮らし、いろいろなことを知ることが必要であるという考え方です。そして、医療とは、「人間として、人間の世話をすること」ということを学びます。また、患者との関係だけでなく、医療チームとして、医師、看護士、助産師、それらの壁を取り除くために資格の段階があり、順にそれぞれの資格をとって行きます。
この学校の出身者で、唯一の外国人学生だったバングラデシュ出身のバブさんは、日本で講演をしていますが、彼のモットーは、「金持ちより心持ちになろう」であり、「自分の持っているものは、自分のためだけに使うのではなく、若い学生たちに分け与えれば、人生はもっと楽しくなりますし、周りの人たちも人生の道を見つけていくことができます。」というような、Life means sharing どんな人でも分かち合えるものを持っている、人生を分かち合いましょうと訴えます。

4P

私は、少し前に、リーダーシップ論について講演をしたことがあります。対象は、新任園長向けでした。また、私がよく取り上げる儒教も、ある意味でリーダーシップ論です。株式会社モディファイ CEO兼クリエイティブディレクターである小川 浩氏は、小さな会社の経営者には次の4つのPの使い方に長けている必要があると考えているようです。それは、1Prediction(予測・予言)、2Pressure(圧力・プレッシャー)、3Patience(忍耐・我慢強さ)、4Passion(情熱・感情)の4つです。それはチームプレーを効率的に発揮させ、組織を有効に動かしていくうえでの戦略行動としても必要と考えています。
まず、Prediction(予測・予言)です。小川氏は、企業にあって、リーダーの最大の仕事は会社の方向性を考えること、同時にそれを示すことだと言っています。これは、私が以前ブログで取り上げた「よく易を修める者は占わず」という荀子の言葉にあるように、易の本質です。本来、易とは、占うことではなく、占わなくても先々を知り、行うべき行動を判断することができるということなのです。自分のおかれている立場など、出処進退に関する行動の指針となるべき法則、リーダーに不可欠である「時」の本質を見抜く洞察力、 わずかな「兆し」で将来を察知する直観力、危機管理能力を養うための指針ともなると言われていることと同じです。さらに小川氏は、リーダーは常に、自分が何を考えていて、どの方向に進もうとしているかを明確にしておく必要があるのは、社員に対しての指針ということだけでなく、自分がどこにいて、どこに向かって走ろうとしているのかを常に周囲に知らしめることで、よりスムーズな動きができるようになると言っています。
次のPressure(圧力・プレッシャー)は、誰でも納得するでしょう。逆を言えば、リーダーとは、さまざまなプレッシャーがあるものであるとも言えます。しかし、小川氏は、周囲に対してプレッシャーをかけていくことが必要、能動的にこのプレッシャーを使いこなすべきといっているのです。競合相手に対して、早め早めに新しいコンセプトや、相手を牽制するプランを打ち出してプレッシャーをかけ続けることが必要だと言い、ソフトバンクの孫さんはこの達人だと小川氏は考えているようです。そして、部下に対しては、「君ならできる」あるいは「君しかできない」という強い期待を躊躇なく忌憚なく口にすることができるのがリーダーだといいます。
そのようにプレッシャーをかけると、当然反発や反感があり、その反撃に耐えていくための Patience(忍耐・我慢強さ)が必要になります。この忍耐は、我慢をすることでなく、機を待つということのように思います。やはりブログで書いたことですが、「それ易は聖人の深きを極めて幾を研くゆえんなり」とあるように、時の変化を微細な粉末にすり砕くほどに深く研究して極め、「幾(き)」兆しを察する能力を養わないといけないのです。そして、これからの時代が要請していることを知り、その機が熟すまでじっと待つことが必要であるということのような気がします。
最後は、Passion(情熱・感情)です。これは、もちろんリーダーは持つ必要があることは当然ですが、小川氏は、この情熱を第三者に伝染させる必要があるといいます。情熱こそ共有されるべきものなのだといいます。私は、伝染させるというよりも、熱き思いは伝染していくものであると思います。人に伝わっていくようなものでないと、単に独りよがりで、人を動かしていくことはできないからです。