外国人が日本や日本人を見て素晴らしいというのは、必ずしも的確な指摘ではなく、未知のもの、東洋的なものへのあこがれからよく見ることもあるでしょう。しかし、その誇張の中にも、我が国を客観的に見たときに、そのように見えるのだということも確かですし、数カ国を旅した中で、他の国の批評を見ると、必ずしも誉めているわけではないことがわかります。明治維新の直前の1865年に、トロヤの遺跡を発掘したドイツ人ハインリッヒ・シュリーマンは、日本と清国を訪れています。そして、その両国で見聞きしたこと、考えたことを細かく記した「シュリーマン旅行記、清国・日本」という本が出版されています。そこに書かれてあることは、彼の目、外国人の目からですので、確かな評価かわかりませんが、なんだか、今の日本にも当てはまることがあります。彼は、その書籍の中で、日本の文化・風俗、教育は賞賛しているのですが、当時の政府の政治活動には厳しい評価をしています。どうも、日本というのは、文化は素晴らしいものを持っているのですが、政治や外交は下手のようです。たとえば、「封建体制の抑圧的な傾向は民衆の自由な活力を妨げ、抹殺する方向に動く」と、幕末の封建制を批判しています。また、「この国の将軍は各地に散在する大名らの利害を優先的に考えるあまり、外国との自由な接触によって莫大な利益を得、知的道徳的な進歩が促され、封建体制による支配が揺らぐことを危惧している。」と、民衆よりも一部の階級を大切にし、利権を中心にした幕府の政治は、もうすぐ崩壊することを危惧しています。
その厳しい指摘に反して、日本における教育は称賛しています。「日本には、少なくとも日本文字と中国文字で構成されている自国語を読み書きできない男女はいない」と記し、「教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている」と、絶賛しています。江戸後期から幕末期における日本の教育水準は、来日した外国人にとっては驚きの的だったようです。そして、人々の勤勉で誠実で清貧なところ、町の清潔さに驚き、特に工芸品の巧みさについては、「工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達している」と大絶賛です。そして、「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」と高く評価しており、「文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人は極めて文明化されて」いるという言葉を聞くと、明治以降の「文明開化」というのは、何を指しているのかと思ってしまいます。
大森貝塚を発見したモースは、日本の風習の中でおもしろい所に目をつけています。彼の著作「日本その日その日」に、スケッチとともにこんなことが書かれてあります。「子どもを背負うということは、至る処で見られる。婦人が5人いれば4人まで、子どもが6人いれば5人までが、必ず赤ん坊を背負っていることは誠に著しく目につく。(中略)赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、又私は今迄の処、お母さんが赤ん坊に対して癇癪を起しているのを1度も見たことはない。私は、世界中に日本ほど赤ん坊のために尽くす国はなく、また日本の赤ん坊ほどよい赤ん坊は世界中にないと確信する。」そう言えば、最近、電車の中や町の中で、赤ん坊が火がついたように泣いているのに癇癪を起している母親の姿をよく見るようになりました。私が子どもの頃は、そう言えば、それほどそんな光景は見なかったような気がします。それは、おんぶのおけがだったのでしょうか。
また、おんぶの効用をスキンシップという面だけでなく、こんなことも言っています。「小さな子どもを一人家に置いて行くようなことは決してない、彼らは母親か、より大きな子どもの背にくくりつけられて、とても愉快に乗り廻し、新鮮な空気を吸い、そして行われつつあるもののすべてを見学する。日本人は確かに児童問題を解決している」
昭和30年生まれの私らは、まだおんぶや抱っこで育てられた世代ですが、昭和40年代になって母子健康手帳の内容が西洋式育児を推奨する内容に変わってから、一気におんぶや抱っこ、添い寝などの伝統的な育児法が衰退したといわれます。1983年、アメリカの生物行動学者のジェームズ・W・プレスコットは井深大氏への書簡の中で次のように語っています。『赤ちゃんの脳の発達と情緒的・社会的行動の発達にとって、決定的に重要なのは、スキンシップと母親が身体につけて赤ちゃんを運ぶ(おんぶ)行動なのです。赤ちゃん猿に対して、接触も運動も与えずに育てると、脳の障害を起こし、この猿は著しく異常な行動をとるようになります。つまり、抑うつ状態になり、社会性を失い、極端に暴力的になるのです。(おんぶなどの)日本的子育て法を捨てることによって、将来の日本は、家庭の崩壊、犯罪・暴力・殺人・自殺・麻薬中毒などが増加し、学習障害が現れ、日本の優秀な知的、創造的発達を阻害する結果になるでしょう。』
「おんぶ」が江戸時代から伝わり今に至っている事実に驚きました。昨今は「おんぶ」が否定されるような風潮があり、これは一体どうしたものかと思っていましたので今回のブログによる「おんぶ」の歴史的背景は知ってとても有益です。私も我が子をおんぶによって育てましたし、園の職員たちもおんぶして子どもの保育にあたっている場合もあります。そうそう私も祖父のおんぶによって駅に行き蒸気機関車を見せてもらっていたようです。さらにはあちこち連れていってもらった、というよりは叔母の話によると、髪を左右に引っ張りながら行き先を指定していたようです。「赤ん坊が火がついたように泣いているのに癇癪を起している母親の姿」は私もよく見かけます。おんんぶしなくなったからでしょう。ところで満5年のブログ誕生日、おめでとうございます。一日も欠かさず今日の日を迎えられ、さぞ感慨無量のことでしょう。当臥竜塾ブログの読者の一人として今日の日を密かにお祝いしたところです。
日本に対するよくない評価とはどんなものか、いろいろ想像しながら読み進めていくと、教育や人のことではなく政治についてなんですね。今の日本に当てはまることがあるというのは同感です。それにしても、評価されていた部分をあらためてみてみると、今の日本が失っているものが多いように思います。では、おんぶをするようにすればいいのかというとそんな単純なことではないでしょうが、でも国民性として教育に向いているかもしれないのは希望が持てるところです。
政治や外交が下手と書かれているそうですが、それは今でも同じような気がします。私は詳しく政治のことは分かりませんが、上手くいっているとは思いません。総理大臣はすぐに変わるし、同じ仲間同士で対立しているなど、素人から見てもなんとなく感じると思います。ただ、そうは言っても当時の文化や教育は賞賛されるのは嬉しいことです。そして「日本人は確かに児童問題を解決している」という言葉も残してくれていますが、本当に海外からの評価は高かったのですね。とにかく世界に追いつこうという日本の国民全体の志が日本の教育の評価を高めたと思います。
日本人は、外国人から見た日本や日本人について書かれた書物が好きな国民のようです。それでけ人の目が気になるのでしょう。さて最近読んだそのような本を紹介したいと思います。グレゴリークラークの著書「日本の教育はなぜ変わらないのですか?」です。この中にはいくつもの示唆に富んだ内容が書かれています。
(1)いまの日本の子育ては母親と子供だけの閉じた関係が中心で、それ以外の人とのつながり(地域やボランティア活動など)がない、あるいは非常に乏しい。
(2)日本人は抽象的な概念や問題を扱うことが苦手。
(3)初等教育の内容は高いが、高等教育はそれほどでもない。
(4)チャンスがほとんど1回だけの大学受験制度が良くない。
(5)受験英語には問題が多いので、英語を大学受験の科目から外した方がいい。
また(3)は、(2)と関係しているとも書かれていました。
また昔読んだ本で、ポルトガルの宣教師たちが記した16世紀ごろの日本人に関する本にも、当時の日本人の文化度が高かったことが書かれています。当時のヨーロッパ人から見たら、地の果てに住む未開人・野蛮人と思っていたでしょうが、日本人は非常に礼儀正しく、戦をする時も互いを自己紹介をしてから戦いはじめるとか、頻繁に風呂に入って体を清潔に保っている等々。宣教師である彼らが、日本人にキリスト教の布教活動をする時は、まず自分たちが体をきれいに洗ってから行くようにとのルールを作っていたとか。
日本が外交が下手というのは昔から言われていたんですね。確かに今でも言われていることで、昔から政治が悪かったのか、昔ながらの考えが今でも残っているからなのかわかりましせんが、今思うと悪いところが変わらず、良いところが少なくなっているような印象を受けます。最近あまりおんぶをしてくる人をみないのはたしかですね。保育の専門学校の時はこけたとき前は手がつけるから抱っこの方が良いとか、親とのスキンシップのため向き合った体勢がいいからとならいましたが、「行われつつあるもののすべてを見学する。」ことができるおんぶは、絶えず興味のあるものを見て、いろいろと感じることができるので自然と泣き叫ぶような癇癪はなくなるでしょうね。