江戸の教育

薩摩スチューデントたちや長州ファイブのメンバーたちが広い世界から受けたカルチャーショック、驚き、恐れ、それにもまして好奇心の旺盛さから、近代日本の建設に活かそうという若い情熱を感じます。また、メンバーの体験は、自分たちの国をその内側からではなく、外側から客観的にとらえていくという共通の経験があることによって、帰国してからのつながりができていったような気がします。
しかし、明治になっての変化は、江戸時代が長く維持され、鎖国政策の中で外国に左右されず、長く緩やかな日本型の合理化・近代化をしていったのです。その近代化は、他国の影響を受けないだけに非常に自律的な形をしていました。ですから、寺子屋への就学率も、義務教育という形はとらなくても、世界の中で非常に高い就学率を誇ることができたのでしょう。その自律的な近代化は、この過程で現在まで続く日本型社会を形成してきました。そして、その中でも何々の改革が何度か行われています。その改革で、国家システムは合理化され、国家主導のもとで、国民教育も大いに普及したと言われています。
すべての近代化が、明治維新によってはじまったというのは間違っていて、規制緩和、地方分権、首都機能移転などの今日的な政治課題同様、教育制度においても、江戸時代に国民諸階層の教育制度が整備されており、幕府、藩、庶民のレベルでの郷学、町や村の寺子屋など、国民的規模で整備されています。この整備は、国家が庶民を教育の対象として捉えていたことは、日本では教育に対する国民の意識が高かったことを示しています。そして、この国民的規模での社会の近代化・均質化が、明治以後活躍した人材の育成に貢献したのです。
江戸時代の教育が非常に進んでおり、その中で、以前のブログでも何回か取り上げたのですが、最終的には四書、五経という儒教の基礎を勉強させるべきと述べていますが、それまでには、発達段階に応じた教材として往来物の利用をしてきたことがあります。その様子を、外国の人からはどのように映っていたか、いろいろな書物から知ることができます。
黒船に乗ってきたペリーは、「ぺルリ提督日本遠征記」の中で、本が安く大量に売られていることを驚き、「教育は同帝国至る所に普及して居り」と、教育の普及ぶりを評価しています。プロイセンの画家ハイネは、「ハイネ世界就航日本への旅」という書物の中で、子どもたちがしっかりと男女ともに小学校に入って勉強し、読み書きと祖国の歴史を教わっていると書いています。同じことが、イギリス外交官の秘書ローレンス・オリファントも、「エルギン卿遣日使節録」で、「子供たちが男女を問わず、またすべての階層を通じて必ず初等学校に送られ、そこで読み書きを学び、また自国の歴史に関するいくらかの知識を与えられる」というように書いています。また、ロシア海軍軍人ゴロウニンは、「日本幽囚記」に、「日本の国民教育については、全体として一国民を他国民と比較すれば、日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である。日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない」また、「しかしこれらの学者は国民を作るものではない。だから国民全体を採るならば、日本人はヨーロッパの下層階級よりも物事に関しすぐれた理解をもってゐるのである」と、非常に高い評価が記されています。スイスの全権主任アンベールは、「アンベール幕末日本図絵」上巻で、「成年に達した男女とも、読み書き、数の勘定ができる」と、驚いています。イギリスの初代駐日公使オールコックは、「大君の都」に、「日本では教育はおそらくヨーロッパの大半の国々が自慢できる以上に、よくゆきわたっている」と述べています。
外国に行った日本人は、いろいろな進んだ文明に驚いていますが、日本に来た外国人たちは、日本のすすんだ教育に驚いているのです。

江戸の教育” への6件のコメント

  1. 外から見た日本のこうした評価は何度も目にしていますが、そのたびに今と比較してしまいます。日本が外国を見てその後行動を起こしてきたように、外国も日本で感じたことがその後の行動に多少なりとも影響を与えたんじゃないでしょうか。だとすれば、その時の外の見方や内の振り返り方の違いが今の違いとも言えると思います。そんな変化の流れを考えると、見方や振り返り方の方向が間違っていなければ、今後の教育がいい方向に変わっていく可能性は十分にあるということです。その国の人間のあり方次第十いうことですね。

  2. 江戸時代の日本の教育が、世界的に見ても高水準を達成できた要因の一つは、各藩に教育の裁量が委ねられていたので、競って藩士や領民の教育に力を入れたことがあります。これは地方分権、規制緩和のはしりです。また、その教育内容も、子どもの興味や発達を考えて往来物を教材にするなど教師の自由裁量が認められたものでした。寺子屋にみられるような個別学習で子どもの自発性を促す教育も時代の先端を行っていたものだと思います。今、フィンランドやオランダなどで行われた教育改革が注目を集めていますが、そのなかに江戸時代の教育とも共通する理念が見られます。明治維新の失敗を一つ上げれば、中央集権化政策によって、教育を「自由から管理へ」、教育方法を「個別から画一へ」と変えてしまったことだと思います。

  3. 確かに現在日本の文物の有り様は江戸時代にその期限を発していると言ってよいでしょう。「規制緩和、地方分権、首都機能移転など」、確かにそうです。私たちの「ルネッサンス」とは「江戸時代」なのかもしれませんね。間違えても、昭和初期や大正明治時代ではないと思います。前回のブログで薩摩スチューデント、長州ファイブのことが取り上げられました。そして彼らは西洋の文物に接し時代を担うべくその経験を傾けています。一方、日本を訪れた諸外国の知識人は当時の日本人の教育水準の高さを驚きをもって描写しています。明治維新以降の世界における生長振りを見るとその原動力を江戸時代の教育に見て取ることができます。プラスの側面を見合い認め合うことは次の発展につながります。マイナスからは何も生れない。せいぜいゼロになるだけです。

  4.  当時の日本人の好奇心を、ブログを通して知りますが、毎回感心させられます。やはり、日本を変えようという思いが、彼等の行動の原動力になっていると思います。それが当時の日本全体が学力への意識が高まり、海外からの評価も高いのですね。今現在、多くの人が海外の幼児施設に見学などに行っていると思いますが、どう感じているのか気になります。おそらく感動するだろうし、勉強にもなっているかと思います。逆に海外の人たちから見た日本の教育はどう映っているのか気になります。

  5. 江戸時代の教育水準の高さと昔の人々の学習意欲の高さに改めて感心します。その時代の海外の人たちの日本の教育の評価も非常に高かったのですね。名だたる人物の名前が出てきたことにびっくりしました。また、それは江戸時代の教育で自国のことをしっかりと学び、倫理や思想も理解していたからこそ、他国の考えとの相違をしり、そのときの時代にあった選択をして、活かしていったのではないかと思います。つねに学習意欲のもととなる探求心や好奇心を深めるような教育はいつの時代でも必要なのですね。今後の日本の教育も世界に誇れる水準のものにしていきたいですね。

  6. 読み進める内、江戸時代の制度というものが教育を進めたというよりは、実際に現場にいる人たちが試行錯誤しながら目の前の子どもたちを教育していったような印象を受けました。もちろんそのように出来る、自由裁量のきく制度があったことが前提にあるのでしょうが、現場の教育者の裁量が教育を後押しできるような環境、雰囲気があったのではないかと想像します。江戸時代以降、教育が歪められてしまったと捉えられるならば、その歪みを整えていくことが現代の教育に携わる者の使命と言えるのかもわかりません。

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