いよいよNHK大河ドラマ「龍馬伝」が大詰めに近づいてきました。龍馬というと一番の功績と言われるのが、中岡慎太郎と奔走し、犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩を結びつけた「薩長同盟」です。
竜馬と慎太郎像
私が子どもの頃は「薩長連合」と言っていたのですが、最近では「薩長密約」とか「薩長盟約」と呼ばれることも増えてきました。テレビを見ていると、本当に薩長は仲が悪いようですが、どうなのかはいろいろな説があるようです。しかし、どちらにしても、両藩がその後の倒幕の中心になっていくのは確かですし、明治になってからも多くの要職を薩長で占めていたことも事実です。その影響を、今でも感じるくらいですが、なぜ、薩摩と長州が中心になったのでしょう。その理由の一部は、両藩とも先を見る力があったということでしょう。先を見るというのは、攘夷と言いながら、欧米の文明の進んでいることを認め、攘夷などはできるものではなく、それよりも早く欧米の文化を学んだ方がいいと思っていたことです。
実は、薩長は同盟を結ぶ前から、同じような考え方をし、両藩の関わりを持っていたのです。薩摩藩は、薩英戦争でイギリスと戦って、イギリスの文明のすすんでいることを目の当たりにします。そこで、攘夷の不可能を悟り、1865年、島津久光の意向でイギリスに国禁を犯して15名の留学生と4名の引率者を派遣しました。その薩摩藩派英の留学生のことを、「薩摩スチューデント」と呼びました。このメンバーであった森金之丞(森有礼)は、外務卿、初代文部大臣になりますし、松村淳蔵は、海軍中将、畠山丈之助(畠山義成)は、東京開成学校(東京大学の前身)の初代校長になります。
一方、これに先立って、これより数年前に長州からも秘密裏にイギリスへ留学のため派遣された5人がいました。こちらは「長州ファイブ」呼ばれ、映画にもなって話題になりました。メンバーの5人は、それぞれ功績を残しています。井上聞多(井上馨)は、初代外務大臣で、欧化政策を推進し、不平等条約改正に尽力します。遠藤勤助は、造幣事業に一生を捧げ、「お雇い外国人」から独立し、日本人の手による貨幣造りに成功します。山尾庸三は、グラスゴーで造船を学び、明治4年に工学寮(のちの東京大学工学部)を創立し、また、聾盲唖教育の父とも呼ばれています。伊藤博文は、もちろん初代内閣総理大臣となり、大日本帝国憲法を発布します。野村弥吉(井上勝)は、鉄道の父とよばれ、新橋-横浜間に日本初の鉄道を敷き、以後、全国の鉄道敷設工事を指揮しました。岩崎彌太郎とともに小岩井農場を創設します。
イギリスでは、時を同じくしてイギリスの留学していた薩長は交流をしていたようです。それにしても、イギリスに着くまでに見た外国の姿や、イギリスに着いてからも驚きの連続だったでしょうね。そんな日本人を見たイギリス人は、日本人はなんと野蛮で遅れている国民なのだろうと思いますが、しばらくしてその日本人たちは、農機具などすぐにマスターし、イギリス人たちを指導するようになります。今度は、イギリス人たちは、日本人はなんと優秀な国民だと思うようになります。それは、彼らのあくなき探究心の現れですが、もうひとつは、江戸時代の教育の成果ともいえます。
進んだ外国の文化に触れて驚く彼らですが、実は、日本の文化も決してひけをとらない高い水準を持っていたのです。
薩摩と長州はいろいろな点で共通項が見られます。その一、ともに辺境の地にある。薩摩は本土の最南端、長州は本州の最西端に位置します。いち早く世界に目を向けたのはこの地政学的位置に関係があると思います。その二、関ヶ原の戦でともに西軍で戦い、外様になったことで討幕派となった。その三、藩士の教育水準の高さ。その四、長州は下関戦争、薩摩は薩英戦争と両藩は外国と一戦を交えて攘夷の不可能なことを身をもって知ったこと。その五、殖産興業や密貿易で群を抜く財政力を持っていたこと。不倶戴天の仲と思われていますが、実は同盟関係を結ぶだけの素地は元からあったということです。
薩長の動き方を考えていると、広い視野をもって行動することが時代の変化に対応するためには大事なことだと分かります。でも広い視野だけではだめで、それと同時に自分自身を省みることとのバランスがとれていることも大事なんだろうとも思います。外を見てそれにあこがれるだけでなく、そのことで内にあるものの良さに気づけるようにならなければいけないと教えてくれているようです。思いは高く、でも行動は目の前のことを具体的に、ということと共通することがあるように思います。
日本史の転換点では本当に想像さえしなかったことが起こり、次の時代形成のための原動力となるのですね。薩摩藩と長州藩という大国同士の同盟によって明治維新のお膳立てが出来上がりその後の日本の先行きが決定されます。今の日本は、日本の歴史の、あるいは世界の歴史のどの地点にあるのでしょうか。ふとそんな思いを今回のブログから抱きました。今現在自分たちが生きて存在している時とは一体どの時点か。そしてその時における自分の役割とは何か。そして今後を見通して今何をなさなければならないのか。実に青臭い問いですが、問わずにいられません。自らに問い他者にも問い、そして答えを求めていく。死ぬまで問い続け答えを求めていくのでしょう。もしかすると自分にとっての歴史とはそういうことかもしれません。
仲が悪かった藩同士でも、連合を組むことで今まで以上の力を発揮し、日本の文明の進歩に大きな成果をもたらしたのですね。薩長同盟は言葉を知っていても、連合を組むことで何のメリットがあったのか分かりませんでしたが、競争よりも協力が大事というのは今の時代でも必要なことかもしれません。ブログの最後に書かれていますが、今でも日本の文化は高い水準を保っていると思いますが、現在の教育、文化を見ると、どんどん世界から遅れをとってしまうと思います。日本の良さというのが引き出していくことが大切だと思いました。
まさに探求心の大切さがよくわかる出来事ですね。イギリスという国で学ぶとはいえ、ただいろいろと見るだけではなく、研究し自分のものにしていく姿は、まさに「学習」の中心となるべき姿だと思いました。また、その下地になるのが江戸の教育だったんですね。世界に誇れる高水準の教育現場がありながら、今では世界から二周遅れと言われている日本の教育現場。江戸時代のやりかたが今の時代に全部当てはめていけるとは思いませんが、もう一度、教育のあり方を考えるところまで来ているんでしょうね。