西洋かぶれ

物事は、広い視野の中から見るべきです。これからの時代は、ますますグローバル化していき、世界は近くなっていくでしょう。そして、これからは世界で活躍する子も増えてくるでしょう。また、日本社会に多くの外国人が生活するようになるでしょう。当然、園にも外国人が増えてきます。保育の国際化を考える聖徳大名誉教授・上海市教育委員会諮間委員である日名子太郎氏は、外国人保育を行うにあたって、どうしても学ばなければならないことについてこう述べています。
「まず己れのこと、つまり日本の歴史・文化についての学習」が必要であると言います。「鎖国以来今日までのわが国の歩んできた道には数々の誤りがあり、しかもそれを何回も飽きることなく繰り返している傾向がある。外国人は、日本のことについて知りたいことが多く、関心も強い。逆に日本人はあたらしがり屋で日本の伝統文化も含めて無知に近いのは、もちろんわが国の親の考え方、進学中心の教育観といった方向へ直走りした結果によるものである。したがって、「温故知新」―古いものを理解し、その結果として新しいものに眼をむけること―という立場に立つことによって、まず古いものを十分に学び、大切にし、自国の歴史、文化について学び、その間に諸民族、諸外国とのふれ合い、関係などを知り、ついで新しいものへ関心を移すということが、ほんの形式的にしか行われていなかったということへの反省が必要である。」
戦後、どうしても日本は欧米に対して劣等感があります。それは、戦争に負けたからというだけでなく、長い鎖国をしてきた後の反動である明治期にも、西欧に追いつけということと、西洋化することがモダンに見え、日本社会全体が、一斉に西洋文明かぶれになりました。それと、どうも国民性としての「新し物好き」という気質もあるのかもしれません。そんな盲目的な西洋追従に対して、夏目漱石は、危機感を持ちます。圧倒的な優位にあった西洋文明一辺倒になっていくのを見て、そのような風潮に流されていく自分、社会を憂い、もっと自己を確立すべきであるとしてその風潮を律するための対抗原理として、「西洋」という「他人」本位への対立概念として、自己本位を掲げたのです。 数日前のブログでも書いたように、ただカタカナの名前を出し、そんな人がこう言っているというと、なんだかそれが正しいかのように思え、偉そうに吹聴する人を「吾輩は猫である」の中で皮肉っています。
“友人で美学とかをやっている人が来た時に下のような話をしているのを聞いた。「どうもうまくかけないものだね。人のを見ると何でもないようだが自ら筆をとって見ると今更のようにむずかしく感ずる」これは主人の述懐である。なるほどいつわりのない処だ。彼の友は金縁の眼鏡越しに主人の顔を見ながら、「そう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像ばかりで画がかける訳のものではない。昔イタリーの大家アンドレア・デル・サルトが言った事がある。画をかくなら何でも自然その物を写せ。天に星辰あり。地に露華あり。飛ぶに禽あり。走るに獣あり。池に金魚あり。枯木に寒紈鴉あり。自然はこれ一幅の大活画なりと。どうだ君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」”
こう助言された猫の主人は、一生懸命に写生をします。しばらくしてきた美学をやっている友人に話したら、“美学者は笑いながら「実は君、あれは出鱈目だよ」と頭を掻く。「何が」と主人はまだわられた事に気がつかない。「何がって君のしきりに感服しているアンドレア・デル・サルトさ。あれは僕のちょっと捏造した話だ。君がそんなに真面目に信じようとは思わなかったハハハハ」”
漱石は、「野分」という作品の中で「西洋の理想に圧倒せられて眼がくらむ日本人はある程度に於て皆奴隷である」と言っています。もっと、自己本位という日本の文化を大切にすることが必要であることは、今の時代にも言えることです。

西洋かぶれ” への5件のコメント

  1. 長年仕事を通じて、外国から輸入された保育を実践している園を少なからず見てきました。特にモンテッソーリ教育は特に熱心に勉強したように思います。ただ、ある年に開かれたモンテの全国大会を覗いた際に、そこで語られる内容が子どもの実態とかけ離れていることにとても失望してしまいました。ひょっとしたらあの頃の私も「西洋かぶれ」の一人だったかもしれません。今、藤森先生のおかげで、ようやく日本人による人類普遍の保育理念を知ることができました。近々ドイツで御講演ですか?日本生まれのMIMAMORUが逆輸入される日が来るかもしれませんね。

  2. 「温故知新」という言葉は大切にしなければいけないんだと学校で教えてもらったのですが、具体的になぜ大切なのかは教わらなかった記憶があります。今頃になってようやく理解できるようになりました。西洋にかぶれるとしても、その文化がなぜ生まれてきたのかといった部分にまで関心をもつことが出来れば少しは違うのでしょうが、形だけということが多かった気がしています。かぶれるにしても、先で自己本位につながるかぶれ方があるように思います。でも、そうはなりにくい特徴が、私も含めて日本人にはあるのかもしれません。

  3. 私は物心ついたころよりおそらく「西洋かぶれ」でした。戦後の高度経済成長期に生長し日本がみるみるうちに経済大国になっていく姿を肌で感じたのですが、一方でテレビを通じて伝えられる欧米の文物は魅力的であり、「西洋かぶれ」を決定的にしたのは「ビートルズ」そしてクラシック音楽でした。中学の教科として教えられた英語はその西洋かぶれの火に油を注ぐ役目を果たしていました。おまけに外国切手にも魅了され・・・。まぁそれでも日本史には関心があり高校時代は『歴史読本』の愛読家でしたが吹奏楽を通じてやはりイギリス人やアメリカ人、あるいはヨーロッパの音楽家の作品に触れていたので「西洋かぶれ」は絶えることなく、おそらく今現在も「西洋かぶれ」でしょう。ただし「ただカタカナの名前を出し、そんな人がこう言っている」というふうにならないように日々気をつけているつもりですが・・・どうですかね。

  4.  私自身、日本の文化と聞かれると漠然としすぎて、何が正解なのか分かりません。ただ外国人の人が日本の文化に興味があるのならば、日本人としては日本の文化というのは知っておく必要があるかもしれません。それは日本の各地域によって文化は違うかもしれませんが、根底にあるものは共通していると思います。それは大人になってから学ぶものでなく、日頃から目にしたり、触れることが大切のような気がします。新しい物が生まれるのは確かに素晴らしいことだと思いますが、「温故知新」という言葉を大切にし、新しい物を生み出すことが重要だと思いました。

  5. 以前に見た世界で活躍する企業マンの話を思い出しました。「英会話をするにしても、日本のことを話せなければ海外では舐められてしまう」といった内容のことを話していました。決して「西洋かぶれ」というのは悪くはないように思いますが、相手の文化と自分の国の文化の相違をわかっていなければ、どこかで歪みが生まれるように思います。そうならないためにも日本の文化をもっと深める保育や教育をもっと考えなければいけませんね。とはいえ、自分自身もそれほど日本の文化に対して知らないことが多くあるのですが(笑)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">