先日、子規庵を訪れた折、その斜め向かいに興味をひく建物がありました。そこは、「書道博物館」です。今、開催されている企画展は、“中村不折コレクション「漢字のはじまり ―古代文字の不思議を探る―」でした。なんで、この場所にそのような博物館があるのかというと、ここは、洋画家であり、書家でもあった中村不折が、その半生40年余りにわたり独力で蒐集した、中国及び日本の書道史研究上重要なコレクションを有しているのですが、彼が亡くなるまでの30年間、この地に住んでいたのです。
夏目漱石の「吾輩は猫である」は、漱石の不安な日々の中で執筆されたのですが、その第一回は、明治38年(1905)に雑誌「ホトトギス」第8巻第4号に掲載されました。昨日のブログで紹介しましたが、漱石は、この小説をはじめは一回限りのつもりで書いたのですが、大きな反響を呼び第十回まで同誌に断続的に掲載されました。そして、「吾輩ハ猫デアル」上篇が刊行されたのですが、この上篇の挿絵を担当したのは、フランス留学から帰国したばかりの画家・中村不折だったのです。
彼は、明治維新の前々年に江戸京橋東湊町に生まれるのですが、維新のごたごたで職を逸し、不折が5歳のとき郷里長野県高遠へ帰ることになります。しかし、父親の仕事はうまくいかず、長野県の伊那や松本に職を求めて移り住む生活が続きます。この間に小学校を終えた不折は、上諏訪町の呉服店に勤めることになります。私の祖先は、この上諏訪町で織物関係の店を商っていたので、もしかしたらどこかで関係があったのかもしれません。中村は、その時の縁からか、後に上諏訪の宮坂醸造の清酒「真澄」のロゴを書いています。日本酒と言えば、「日本盛」も彼の書です。

そののち小学校代用教員をはじめとしていろいろな仕事をしますが、22歳のとき、絵を勉強するため上京しますが、金銭的に余裕がないため、高橋是清邸の空き部屋、三畳一間を借り自炊生活を始めます。そして、小山正太郎に師事し本格的に絵を学び、36歳の時渡仏します。それまでの10数年間は、風景画を中心に絵画の勉強に打ち込みますが、生活の糧としては新聞社の挿絵や教科書の挿絵描きを行います。その時の日本新聞社の副編集長は正岡子規で、生涯の友となります。また、師事した小山正太郎は、私画塾「不同舎」を開きますが、その門下生には、中村不折のほか、青木繁、鹿子木孟郎、満谷国四郎、小杉未醒、坂本繁二郎、萩原守衛など洋画で活躍する画家を多数育てました。中村は、その中でも特に後輩の荻原守衛(碌山)と時を同じくして渡仏するなど、互いに影響を受けあいます。また碌山からの紹介で中村屋の創業者、相馬愛蔵・黒光夫妻とも知り合います。そこで、現在、中村屋が使用しているロゴは不折の書で、明治の終わり頃に揮毫されたものです。

彼は、お酒やタバコ、身なりなど全く構わないことでも有名で、稼いだお金を書道に関する資料収集に費やし、その後の書道博物館設立につながっていきます。挿絵も、「吾輩は猫である」のほかにも多数書いており、「若菜集」「野菊の墓」などの挿絵や題字を書いています。
このころのいろいろな文士や画家などの交友がしのばれます。
夏目漱石から中村不折へと連想ゲームが続きます。中村不折のことは書道家という意外に知識がありませんので、書道つながりで、映画「書道ガールズ!私たちの甲子園」が今年の5月に公開され大ヒットしました。(ちょっと苦しいか)隣接する愛媛県の四国中央市の三島高校書道部の部員達が始めた書道パフォーマンスが話題になりとうとう映画に。私の友人もエキストラで出演しています。映画の話が続きますが、「きな子~見習い警察犬の物語」が今全国で大ヒット上映中です。この映画は当地の警察犬訓練所が舞台で、ちょっとドジな警察犬きな子と女性見習い訓練士の心温まる絆の物語です。映画好きの藤森先生、ご覧になったら是非ご感想をお聞かせ下さい。先生もお越しになったあの風光明媚な荘内半島もロケの舞台ですよ。
様々な人が様々に交流していたのが、ここ連日のブログでよく分かります。誰か一人を通して歴史を見ているだけでは見えない風景が、同じ時期の複数の人も視点に加えるだけで生き生きとその風景が浮かんでくるので不思議です。歴史はこうやって眺めるとおもしろいですね。
様々な時代の有名な人たちは、何かとつながっていますが、「類は友を呼ぶ」ということわざがあるように、同じ志を持った人たちというのは自然と集まってくるのですね。そして、お互いに切磋琢磨することで自分に磨きがかかり、有名になるのかもしれません。それらに共通していることは有志が集まる「塾」を開いていることだと思います。だからと言って、ただ集まって話すのは簡単ですし、どこでも簡単に出来ます。しかし一番重要な事は、その話し合いの中に師となる存在がいるか、いないかだと思います。普通はそんな素晴らしい存在、環境があるのは貴重だと思います。生臥龍塾に参加できる職員の先生方は本当に貴重ですね。
yamayaさんは「書道家という以外に知識がありません」とありますが、私はむしろ、画家として中村不折を認識していました。東京竹橋の国立近代美術館に行くとよく見かけ名前の「不折」を「何と読むのだろう」と思いつつ「ふせつ」と知り、「なんだそのままじゃないか」とがっかりした、どうでもよいことを思い出します。今回のブログでは「書道博物館」が紹介されています。じきに家内と訪れる予定の博物館だったのでこれが中村不折の、と知りとても驚いているところです。そして驚いたのは「日本盛」と「新宿 中村屋」の揮毫も彼氏によるもの。前者はあまり印象がなかったのですが後者は何か洒落ていて趣きがあると思っていました。そうですか、中村不折ですか。書道博物館に行くことが楽しみになってきました。
今回のブログに出てきた中村不折やその他の画家の方々は全然知りませんでした。しかし、今回の中村不折の時「日本盛」や「真澄」、「新宿中村屋」のロゴの字は見たことがあります。この字を書いた人と夏目漱石や正岡子規といった歴史に名を連ねる人々と関わりが深いのを考えるとその時代の息吹を体感できるように思います。また、何事にもこういった歴史やその周りにいる人々は自分が置かれている環境ややるべきことを集中し、そのことについて真摯に向き合っている姿を感じます。私も今やるべきこと、保育という一つの目標にむかって真摯に向き合うことを改めて感じました。