夏目漱石の「吾輩は猫である」を久しぶりに少し読んでみると、あの書き出しの「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。」という文章は、なんとなく投げやりの気がしますが、その作品を書いたころの「自己本位」を考え始めたころの状況から察しがつきます。イギリスでの行き詰まりだけでなく、日本に帰ってきてからの講師としての躓き、それに追い打ちをかけるかのように、一高での教え子であった藤村操が「華厳の滝」に入水するという事件が起きます。漱石は、授業中に宿題をして来ない藤村を厳しく叱ったことがあったため、それが自殺の一因ではないかと自分を責めます。この思いは、終生続いたようです。この自殺は、当時、ずいぶんと世間に影響を及ぼしました。それは、藤村の死後4年の間に華厳で自殺を図った者は185名にものぼったようで、そのために華厳の滝が自殺の名所として今でも知られています。
 そんなこともあって、漱石は神経を傷めます。家庭内でも随分と荒れていたようで、妻の鏡子が「漱石の思い出」という随筆の中でこう回想しています。「梅雨期頃からぐんぐん頭が悪くなつて、七月に入つては益々悪くなる一方です。夜中に何が癪に障るのか、無暗と癇癪をおこして、枕と言わず何といはず、手当り次第のものを放り出します。子供が泣いたといつては怒り出しますし、時には何が何やらさつぱりわけがわからないのに、自分一人怒り出しては当り散らして居ります。どうにも手がつけられません。」
また、漱石も「吾輩は猫である」は、そんなに長くなくつもりはなく、なんだか最初はやけになって書き始めたようです。それを、「文学談」で次のように述べています。「『猫』ですか、あれは最初は何もあのように長く続けて書こうといふ考えもなし、腹案などもありませんでしたから無論一回だけで仕舞ふ積り。また斯くまで世間の評判を受けうやうとは少しも思つて居りませんでした。最初虚子君から「何か書いて呉れ」と頼まれまして、あれを一回書いてやりました。丁度その頃文章研究会といふものがあつて、『猫』の原稿をその会へ出しますと、それを其席で寒川鼠骨君が朗読したさうですが、多分朗読の仕方でも旨かつたのでせう、甚く其席で喝采を博したさうです。(中略)妙なもので、書いて仕舞つた当座は、全然胸中の文字を吐き出して仕舞つて、もう此次には何も書くやうなことは無いと思う程ですが、扨十日経ち廿日経つて見ると日々の出来事を観察して、又新たに書きたいやうな感想も湧いて来る。材料も蒐められる。斯んな風ですから『猫』などは書かうと思へば幾らでも長く続けられます。」
これを読むと、最初は投げやり的に風刺をするつもりで書き始めたのですが、次第に猫の目から世の中を見る視点が、逆に人の世界を客観的に眺めるようになり、書いていくうちに面白くなっていった様子がわかります。ですから、後の世まで読みつながれる名作となったのでしょう。
ここに書かれているように漱石に書くように勧めたのは、高浜虚子ですが、彼らは、子規庵に殆ど毎月のように集会して文章会を開いていました。その会の名前は、「山会」と言っていたようですが、それは、正岡子規の「文章には山がなくては駄目だ。」という主張に基づいて付けられたようです。夏目漱石の人生の山や谷が、彼自身と彼の作品に深みを与えていったのでしょう。

” への4件のコメント

  1. 何かを成し遂げるというのは決して簡単なことではなく、様々な苦しみや悩みを抱えながらも、それをどちらかというと正反対に近い形で表現する方法を見つけることなのかもしれないと思える内容です。偶然のきっかけをつかんで行動を起こすことなども、何とか社会を変えたいといった強い思いがあるからこそ可能になることだと思います。何かと制約のある中で自分の人生の何をどう表現するか。それを考え行動することが必要なんだと、結局いつもあれこれと考えているところに落ち着きます。行動していくしかないんだと教えてくれている気がします。

  2.  「我輩は猫である」を書き始めた時の夏目漱石の心情を知ることができました。まさか、長く書くつもりもなく、思いつきで書いた文章が、こんなにも有名になったのは、夏目漱石の才能もあるかもしれませんが、自己本位というものを自分の中に確立してきた中で、世の中を客観的に見る事ができたのでしょうね。ただ、いくつも有名な小説を残した夏目漱石でも人生はたくさん悩んだり、苦しんできたのですね。そんな波乱万丈な人生が彼の小説に大きく影響したと考えると、そんな人生も悪くないと一瞬は思いますが、そこまで強くない私は乗り切ることができるか分かりません。ただ壁にぶつかっても、乗り切れるような力をつけたいとは日々思います。

  3. 『我輩は猫である』の冒頭部分はやはり魅かれるものがあります。特に「名前はまだ無い。」の部分にうなってしまいます。猫にも「たま」とか「みけ」とか、そうそう私の子ども頃飼っていた猫は「とら」でした。いずれも名前があり、それゆえ「名前はまだ無い。」は、大げさかもしれませんが、この後のストーリーを暗示させる融通無碍を感じます。ところで私の飼い猫「とら」と「みけ」ともどもよく添い寝をしていました。冬の時期など湯たんぽ代わり。そのとらはある日国道を走る車に轢かれ亡くなり、「みけ」はある日老衰により玄関で死に絶えていました。以後、生き物を飼うことには全く関心がなくなり現在に及んでいます。ところで正岡子規の「文章に山がなくては駄目だ」という意見は意味深長でありまた厳粛かつ冷徹でもあります。

  4. 私の知り合いに「人にとって短所は長所になる」といわれたことが思い浮かびました。夏目漱石も自分自身の出生や人生にコンプレックスや悩みがとても多くあったのでしょうが、それが漱石の文章として表に出たとき、そういったものがとてもすばらしい作品につながったのだと思います。自己本位の考えに至ったのは人生の浮き沈みと正岡子規との関わりなど多くの偶然によることも多いように思います。ある意味天命というものがあったのではないかと思います。色々と私も多くのことを悩んだり、困ったりすることもありますが、しっかりと地に足をつけて乗り越える力が必要ですね。

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