夏目から子規

 「元来人間というものは自己の力量に慢じてみんな増長している。少し人間より強いものが出て来ていじめてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない。」人類が、この世の支配者かのように思い増長していますが、実は、自分の力を過信しているに過ぎず、それぞれはそれほど大したことがないのです。ですから、「いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。」と、猫の目から人間を見るとそう思えるようです。いかに猫の方が優れているかというと、「人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優っているかも知れぬが、智慧はかえって猫より劣っているようだ。」と猫はつぶやきます。
 この文章は、イギリス留学で、英文学への疑問が起こり、帰国後、東京帝国大学英文科講師となりますが、それもうまくいかず、神経衰弱を再発させてしまう中で、高浜虚子に小説を書くようにすすめられ、38歳のとき執筆した 「吾輩は猫である」という小説の中の一文です。「自己本位」という考え方から自己の矛盾を見つめた夏目漱石が、猫の目から人間のありかた、社会を風刺した作品です。自己本位という考え方からもう一度読み直してみると、随所にその気持ちが猫の言葉によって語られます。
自己本位とは直接関係ありませんが、こんな一文があります。「行きませう。上野にしますか。芋坂へ行って團子を食いましょうか。先生あすこの團子を食ったことがありますか。奥さん一辺行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます。」
その文章に誘われてというわけではありませんが、先日の日曜日に、妻と芋坂に行って団子を食べてきました。
dangomise.jpg
この芋坂という名前の由来が案内板に書いてありました。「坂を登れば谷中墓地、 下ると羽二重団子の店の横から善性寺に通じていた。鉄道線路でカットされ、これに架かる橋が「芋坂跨線橋」と名付けられて、わずかにその名を残している。坂名は伝承によると、この付近で 自然薯(山芋)が取れたのに因むという。正岡子規や夏目漱石、田山花袋の作品にもこの芋坂の名が書かれている。芋坂も団子も月のゆかりかな 子規」
ここの団子が、なぜ羽二重団子というかは、年末にNHK大河ドラマで放映される「坂の上の雲」に書かれてあります。「“めしがあるかな”と、茶店に入るなり、松山なまりで小女にいったために、返事もしてもらえなかった。この茶店は“藤の木茶屋”とよばれて江戸のころからの老舗なのである。団子を売る茶屋で、めしは売らなかった。その団子のきめのこまかさから羽二重団子とよばれて往還を通るひとびとから親しまれている。
habutaedango.jpg
“団子ならありますよ”と、小女がいった。真之はやむなく団子を一皿注文した。“鶯横丁はすぐそこじゃな”“半丁ほどむこうです”“正岡子規という人の家があるが、知っておいでか”ときいたが、小女は子規の名も知らなかった。真之はだまって団子を食った。」
 芋坂の案内板にも子規の歌が書かれてありますが、この秋山真之の言葉ではありませんが、この店から数本のところに正岡子規の家がありました。
sikitei.jpg
この家で、子規は壮絶な最期を迎えるのですが、今でもその部屋、子規が病床から眺めた庭、それらが保存され、見学ができます。その部屋で、夏目漱石が座ったであろう場所に座ってみました。

夏目から子規” への6件のコメント

  1. いや~今年の猛暑ははんぱではありません。例年ならお盆過ぎると少し秋の気配が感じられるのに、今日も真夏日。天気予報では、今年はラニーニョ現象で、秋は短く、冬は特に寒さが厳しくなるそうです。本当に地球環境は破滅に向かっているとしか思えない。「吾輩は猫である」の主人公の「猫」の言葉は、現代の地球人への漱石の予言であり警告にも思えます。今年は、特に熱中症の被害が急増中で、これほどの災難が地球上に降りかかっているのに、まだ地球人は自分のしでかしていることの恐ろしさにまだ気づいてはいないのではないかと思う。

  2. 東京は実は地方とは比べ物にならない名所旧跡が多いのだと再認識しました。
    先日、あるお客様と同行していて、「島根は緑が多くていいですね~」と言われて悦にいっていますと、続いて「でも、緑ばばかり段々濃くなって、家がまったく見当たりません」と言われてかなりへこみました。
    先月から猫を飼い始めました。
    保健所で殺処分一歩前だった1歳半の成猫ですが、恩に感じているのか、わたしにべったりでなついていてかわいいものですが、自宅でいつも私を見つめている彼(雄)はやはり、「うちの主人はちょっと間抜けかな?」などと思っているのでしょうか。

  3. 猫の目を通して世の中や人間のあり方を見つめるという方法は、学ぶところが多くあります。批判などをそのまま表現するよりも圧倒的に力があります。このようなセンス、ユーモアが、人の心を動かしていくんでしょうね。このような表現力を自分のものにするためにも、自己本位をますますつかみたくなりました。

  4.  猫の目線から見える人間の姿を表した発言は面白いですね。よく道端で野良猫に合いますが、そういう風に思われているのかもしれません。そうは言っても夏目漱石が書いた文章ですが、人間の悪いところを指摘し、注意するべき部分を書いているのですね。ただ残念なことに私は「我輩は猫である」は読んだことがないので、どんなストーリーか知りません。自己本位を理解した夏目漱石が、猫に変わって書き表すことができることも、自己本位を自分のものにしたから出来る技のような気がします。自己本位というのは、色々なことに応用できるのですね。

  5. 猫の目線を通して、物語が進んでいくというのはなかなか面白い趣向だと思いました。猫という媒体を通して客観的に自分を見つめて物語を書いていくというのは自己本位の考え方を持っていないとできないことであると思います。それを体現できている夏目漱石のすごさを改めて感じました。

  6. 「高浜虚子に小説を書くようにすすめられ」たのは「神経衰弱」の治療のためでしょうか?アルコール中毒に苦しむモーリスユトリロが治療のために絵を描くように医者にすすめられて絵描きになった話を思い出しました。実際はどうだったのか?今回は「芋坂」の案内板に反応します。実は「谷中墓地」に行ったことがなければ「羽二重団子の店」にも立ち寄ったことはありません。しかしその続きに出てくる「善性寺」さんには行ったことがあります。ある方の随行で訪れました。由緒あるお寺さんで宗門の中でも格式のあるご寺院さんです。ふと当時のことを思い出したところです。ウォーキングも兼ねて江戸散歩を決め込みたいと思います。もう少し暑さが和らいだら・・・。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">