1生の計

「一日の計は朝にあり、一年の計は元旦にあり」という言葉があります。この言葉は、ふつうは正月に言うことが多いのですが、いま、その言葉が頭に浮かびます。今日という日をどう過ごすのか、それは朝考えることで、それによって充実した日を送ることができ、また、この1年をどう過ごすかを元旦に考えることで、ずいぶんと毎日が違ってきます。物事は、最初が肝心ですし、よりよいスタートをきることが大切です。同じような言葉に、「一生の計は幼きに在り、慮りを前にすれば、期に躓かず」というのがあります。これは、自分の生涯の生き方について、幼いときによく考えるべきで、年をとってからでは遅すぎるのです。同じように、思慮計画を十分にすれば、過ちを犯すことはないだろうということです。これは、後悔先に立たずということでもあり、後悔しないためには、事前によく、計画を練ることだと諭しています。同時に、幼児教育の大切さを訴えているのです。何度かブログで紹介したOECDが、ECECという乳幼児期の養護と教育を考える上で、スターティングストロングという人生のスタートをより強固に切らせようと提案していることと同じです。この言葉が書かれてあるのは、江戸時代中期に、勝田祐義編で寺子屋の教科書として使われた「金言童子教」という書の中です。
 この書は、正徳年間に刊行された、子ども向け教訓句の教科書で、先行する「実語教・童子教」をうけて、和漢の名句を集め、和文の注釈を施したものです。この中から話芸に引用されているものもかなりあるようです。もともとの「金言童子教」は、鎌倉時代、僧侶によって作られたもので、範とした「童子教」は、以前ブログで紹介しましたが、日本に古くからある「実語教」「童子教」という漢詩調の教訓集で、五字を一句とし、道徳の教科書として早くから活用され、金言・格言を一般化させる原動力ともなっていました。それを範として、江戸時代に勝田によって刊行された「金言童子教」も数多くの金言・格言によって、一般庶民の子弟に家庭や寺子屋などで道徳を教えたのでしょう。
 勝田は、この書の序文にこの書を出版するようになったいきさつを書いています。「本来、自分の子どものために書いた家庭内の文書だったのを、友人が見て『これはいい、役に立つから出版しなさい』と盛んに勧めるので、自分は出すつもりはなかったのだが、押し切られるようにして出版したのである」といっています。そして、たとえば「論語」のような本格古典への少年向け手引きとして書いたとも言っています。そこで、「鄙言を以て抄した」解説がついていて、子どもにもとても分かりやすいものとなっています。
この書の最後に付け加えられて言葉に「子不教父過 学不成子罪」があります。この言葉のもとは、中国北宋時代の政治家・学者である司馬光が言った、「養子 不教父之過 訓導不厳師之惰」という言葉で、子どもを養っていながら何も教えなければ、それは父親として失格であり、教え導いて戒めなければ、それは師として怠っていることになりますという句からヒントを得たであろうと言われています。「金言童子教」では、父親が子に学問や道理を教えないのは重大な過ちであり、一方、教育を受けた子が学問のうえで一人前にならないのは子に非があるということを言っています。それは、これらの教えを受けるために寺子屋に通わせたり、子どもに諭すのは親の役目ですが、それを身につけ、実践するかは本人の問題であると最後に言っているのでしょう。

1生の計” への6件のコメント

  1. すいません、今日のブログとあまり関係がないのですが、今読んでいる本にこんな一節があったので紹介します。『ドラッカーは人間が人間であるゆえんを自由とし、自由を「責任ある選択」と定義したのです。人間が主体的に独自の選択をして、その選択に対して責任を持つことを自由と考えました。それは決して、好き放題に振る舞うことではなく、必ず責任を伴う行為であり、それこそが本当の人間である証だというのです。そうだとすると、自由は気楽なものではなく、責任を伴う真摯な人間の営みということになります。』(NPOという生き方 島田恒著)あらためて、藤森先生の見守る保育の理念が人間の本質に根差したものであり、人間としての第一歩を踏み出した子どもたちにとって最も必要とされる保育だと再認識しました。

  2. 一日のはじまり、一年のはじまり、一生のはじまり。いろんなはじまりがありますが、その時にどのような思いを持ってスタートを切るかはとても大事だと思っています。私が大事にしたいのは「はじめに思いありき」です。生活していく上で、生きていく上で、あれもこれもというのは無理な話です。非常にたくさんあることの中から何を選んで何を捨てていくかが生きるということだと思います。その選択をする基準が思いであり、それを子どもたちに伝えていくためにも、自分自身を磨いていくことが必要なんだと思っています。

  3.  最近になって、やっと朝起きてから保育園に行くまでに、今日やることを頭の中で整理できるようになったと思います。それまでは、ただ保育園に行ってルーティンワークのように過ごしているだけだったと思います。何事にも、まず最初に考えることが重要です。それは、人の一生にも通じることで、幼い時に考えることが大切であり、考えるというのは、それだけ乳幼児期というのは、一生を決めるくらい重要な時期です。もっと一日を大切に過ごしたいものです。

  4. 私はまだまだ、「一日の計は朝にあり」といったように毎日を過ごしていないですね。これから心がけていこうと思います。今、将来に対して目標がない若者が多いと聞きます。それは乳幼児期に人生の思慮計画を考えていないから、そういった人が多くなっているのかもしれませんね。このようなことを考えると乳幼児期におけるスタートの大切さを改めて感じます。自分自身まだまだなのですが、子どもたちにも一日一日を大切に過ごしてほしいですね。

  5. 「子不教父過 学不成子罪」・・・「父親が子に学問や道理を教えないのは重大な過ちであり、一方、教育を受けた子が学問のうえで一人前にならないのは子に非」・・・かつて子どもとして学び、今父として子どもに教える立場にある自分にとってはとても意味深い五字一句の教訓です。大人となった自分の今はおそらく子ども時分の学びの結果であり、また亡き父親の教えの結果でしょう。また我が子の将来こそは現在父としてある自分の結果であり、そして我が子の学びの成果の如何に繋がることでしょう。こう考えてくると先祖代々の結果による私自身はまた子々孫々の結果に対しても責任を負うことになります。ということは都度自己決定することが未来に対する自己責任に繋がることです。過ち、罪を意識して日々暮らす必要を今回のブログから汲み取ったところです。

  6. 朝起きて一日の計を立てる習慣、考えただけでもなんと好習慣なのだろうと思います。漠然と一日を始めるのではなく、目標に向かって始まる朝という感覚で、明日の朝、起きて計画を立ててみようと思います。
    親として子に何かを教えるというより教わる毎日で、失格の烙印をいただくことになります。教える程にものを知らねばと、事あるごとに痛感しながら、大した進歩のない自分を許す毎日です。

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