木曜

三洋電機の創設者である井植歳男は、「井植学校」という二世経営者が学ぶ場を提供していました。ここでは、 とかく二世経営者がつきあたる旧勢力とか、伝統とか、積み上げてきた歴史という、ある意味ではきれいに聞こえるもので、実は変化や改革に抵抗するという力に対して、頭でっかちで身動きがとれなくなるのを避けるために「三つの切る」を説いています。それは、「古いものに対して思い切る」「新しいことへ踏み切る」「合理的に割り切る」です。それは、古いものを捨て去ることではなく、今という時代をよく見つめ、次世代に向けての挑戦であり、それが、次の時代をつくっていくことになるのです。そのための「井植学校」だったのです。
明治の終わりころ、彼が教員時代の教え子や彼を慕う若手文学者が集まり、さまざまな議論をした会合の場が、私の園の近くにありました。それは、夏目漱石が亡くなるまで過ごした「漱石山房」です。
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   私が使用している原稿用紙
夏目漱石が小説家としての地位が確固たるものとして築かれていくにつれ、彼の家には、あまりに多くの門下生が入れ替わり訪れるようになります。それでは仕事がはかどらないので、門下生の一人である鈴木三重吉が漱石の創作活動を憂い「木曜日の午後三時からを面会日と定候」と取り決められた事から、この会を「木曜会」と称されるようになりました。この日は誰でも自由に来てよいことにしたので、かつての教え子以外の学生やその他の人物も多く来るようになりました。後年、その鈴木三重吉らは、このころを思い出して「僕たちは幸福だったね。熱目漱石と同じ時代に生まれたのさえ幸福だのに、しかも親しく教えを受けたにみか、お互いさんざっぱらわがままを言ったり、叱られたり、甘えたり、厄介をかけたりしたのは、なんという果報者だろう」と語りあったといいます。
この「木曜会」に参加したメンバーは、後に日本文学界を代表し「漱石山脈」と称されるようになるのですが、作家志望者や東京大学在学当時や松山、熊本時代の教え子たちの小宮豊隆、寺田寅彦、鈴木三重吉、森田草平、阿部次郎や菊池寛、芥川龍之介、久米正雄らが参加し、親交や文学談義を深めたようです。そして、その門下生たちに理想として掲げた言葉は、「エゴを超越して、自然の叡智に従って生きる」という「則天去私」です。
「漱石山房」と称されたのは、漱石が教職を辞して東京朝日新聞社に専属作家として入社した明治40年の9月から没するまでの10年間を過ごした旧居です。この漱石山房で執筆された作品は数多く、代表作としては「三四郎」「それから」「門」「彼岸過迄」「こゝろ」「明暗」などがあります。そこは借家でしたが、漱石の死後、遺族が朝日新聞社からの退職金の一部で家を買い取り、戦後、土地は都が譲り受け、のち新宿区に移管され、現在は敷地の一部が区営住宅と区立漱石公園となっています。その公園には、山房全体の復元には至っていませんが、山房ベランダを模したコーナなどが整備されました。
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そして、公園の入り口には、夏目漱石の胸像が置かれ、碑面には『則天去私』の碑文があります。そして、表の漱石の自筆の俳句は「ひとよりも空 語よりも黙 肩に来て人なつかしや赤蜻蛉」 と詠まれています。
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 そして面白い建造物としては、「猫塚」がありますが、これは、「吾輩は猫である」のモデルであった初代猫の13回忌に建てられたものです。
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そのほかに、このあたりには、私の出身高校の大先輩である夏目漱石にちなんだ場所が点在しています。

木曜” への5件のコメント

  1. 井植学校の「三つの切る」は自分のこれまでにも当てはまるところがある、というより何だかそうしてきたような気がします。従来に対して拘ることなく思いを切り、新しい世界へ思いっきり踏み切り、そしてその行動の元にある考え方が「合理的に割り切る」。これからもこれらの「切る」は自分自身の行動の指針になっていくことでしょう。さて、夏目漱石のいくつかの小説は読みましたが知らないことが結構あるなと今回のブログを読みながら感じたところです。「木曜会」なる会の存在もその一つです。それにしても錚々たるメンバーですね。夏目漱石の偉大さが逆に偲ばれます。そうそう「生臥竜塾」も確か木曜日開催?ここから来たのか、たまたま一致したのか?それから「則天去私」、エゴを超越して自然の叡智に従って・・・このことも私自身の生き様の基本に据えたいと思いました。

  2. 「井植学校」が経営者の集まりなら、「吉田学校」は戦後の保守政治家の搖濫であり、古くは松下村塾は維新の志士たちを数多く輩出した。いつの時代でも「師弟」こそが世の中を動かし、新しい時代を創る原動力になってきたと思う。漱石山房の錚々たる顔ぶれを見ると、師の漱石の偉大さがわかる。つまるところ、師匠の偉大さを証明するのが弟子の役目だということだ。この臥竜塾も8月29日で開設5周年ですね。いながらにして先生の講義を学べる幸運を感謝しながら、コメントを書き続けてきました。あと何年かして、「僕たちは幸福だったね。藤森先生と同じ時代に生まれたのさえ幸運だったのに、臥竜塾で親しく教えを受けることができたのは、なんという果報者だろう」ーそう言って思い出す日が必ず来ると思います。

  3. 井植学校の「三つの切る」はとても勉強になります。今をつないでいくためにはこのことが大切なのは、時代が変わっても変わらないことですね。このような視野を教わることの出来る場はいつの時代でも存在していて、あとはこちらの意識次第でそこに出会えるかどうかという事だろうと思います。「臥竜塾」の存在は本当にありがたいです。
    夏目漱石について私はあまり知りませんが、どのくらい偉大な人だったかということを最近よく耳にするようになりました。もっと深く知ってみたい人の一人です。

  4.  自主的に参加する勉強会がどの時代にもあったのですね。藤森先生が職員と行っている「生臥竜塾」もその一つに値します。何か自分が極めたいことがある場合、黙々と勉強するのも大事かもしれませんが、一番はその事を極めた人の話を聞く事が一番学びが大きいと思います。それが、「井植学校」や「木曜会」そして「生臥竜塾」です。もしかしたら他にも色々な勉強会を行っているかもしれません。どの時代も切り開いていくのは、そのような勉強会を行っている人たちなのかもしれません。

  5. 「古いものに対して思い切る」「新しいことへ踏み切る」「合理的に割り切る」の三つの切るは今の時代でも通用することですね。とくに2世の人間には「う~ん」とうなる内容だと思います。わたしはこの3つの言葉の特に「合理的に割り切る」という言葉が一番大事なようにも思いました。決して、昔のことを切り捨てるわけではなく、良いところを残して、新しいことを作りあげる。「今という時代をよく見つめ、次世代に向けての挑戦していく」ためには割り切ることもあれば、残さなければいけないところもあるということですね。
    「井植学校」や「木曜会」、「生臥龍塾」などの勉強会がつねに時代の最先端を担っていくのでしょうね。

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