彫刻家イサムノグチは、2歳のときに、母親のレオニーと日本にやってきます。しかし、父親である野口米次郎は、すでに日本人を妻にし、子どもまでいたために子として認めてもらえませんでした。そこで、レオニーは大学の先輩である津田梅子を頼り、女子英学塾(現津田塾大学)での仕事を希望しますが、レイニーの複雑な身の上であったため採用してもらえません。そこで、富裕階級の子女複数の英語家庭教師などするのですが、その中に、小泉八雲の子どもたちもいたそうです。そうしているうちに、イサムは幼稚園に通うことになります。その後、大森の公立小学校に入学するのですが、当然、住民の大半は漁民だったため、日米混血のイサムはいじめにあいます。そこで、登校拒否になります。それに対して、母親は、すぐに差別のない学校に転向させます。そこは、カトリック系の学校でしたが、イサムは、高学年になると性格が変わっていき、校内で暴力事件を繰り返すようになります。その理由の一つは、母親が第二子を出産した為でした。そこで、母親は、イサムを一時、学校を休学させ、指物師の修業をさせます。それが、将来、造形家となる基礎を培ったとされています。
その後、13歳の時、単身、アメリカに行き、自ら道を切り開いて行くのですが、このようなさまざまな運命の中で、それに負けずに母親が的確に対処し、13歳から自立をしていきます。よくない環境は子どもをダメにするのではなく、子どもの力になっていくこともあるのです。その境遇の中から生まれてきたイサムノグチの作品は、人の心を打ちます。
庭園美術館の受付
訪れた香川の庭園美術館は、制作の場であった広場に、たくさんの石の作品が、未完成のものも含めて点在しています。その広場に立つと、制作中の姿が浮かび上がります。また、そこには、古い民家を移築して、作業小屋を造り、棲家を造り、倉庫を造り、石垣を築いてきた経過が、展示蔵になり、事務棟になり、一つの作品となっています。
その空間と石の作品は一体となって見るものに訴えかけてくるのですが、その中で、強烈な存在感を持っているのが、「エナジー・ヴォイド」という作品です。

チラシより
「力」と「空虚」という、現代物理学の始源にさかのぼる概念と、「硬さ」と「柔らかさ」というある意味で矛盾する表現を兼ね備えています。それが、高い天井、土壁といった明治時代の酒蔵を移築した空間の中で、和の精神と、世界の石とが調和をもたらしています。
道を挟んで住居にしていたイサム家(や)を見るころには、すっかり日が陰り、格子から漏れる光が何とも言えない空間を構成しています。もともとは、武家屋敷だったそうですが、その斬新さは、新しい時代に生まれ変わったかのようです。素朴な石が敷き詰められた上がりは、床暖房ですし、土壁に覆われた空間は、音響設備が素晴らしく、アメリカの持つ合理性と、質素ともいえる素朴さは、国際人だったイサムノグチであったからでしょう。
人は、換えることのできない運命に出会います。しかし、その運命それ自体は変えることはできませんが、その運命をいいものにするか、悪いものとするかは人の力で変えることができます。それは、その人の才能かもしれません。
イサムノグチの人生は本当に波瀾万丈ですね。しかも要所、要所で母親が適切な対応をしていますね。
知り合いに彫刻家で、教育学部で美術を教えている方がいます。その人は子供の頃から絵を描くことや、工作をするのが大好きで、学業の方は全くやらなかったそうです。もちろん小学校で宿題を出されても全くやりませんでした。あるとき担任の先生が、「君は絵を描くことが好きだから、毎日、何でもいいから絵を1枚描いてきなさい。それが君の宿題だ」と言いました。するとそれ以来、毎日、宿題(絵を描くこと)を欠かさずにやって、提出するようになったそうです。そして高校から美術のコースに進み、美大で彫刻を学び、今に至ります。
その方は、ユニークな活動もされています。例えば島根に住んでいたとき、衰退傾向にある地場産業の木工と、小学校とを繋ぐ活動をしました。子供達に木の器を作らせて、それで給食を食べるという取り組みです。地域の産業を知ると同時に、木や森について学び、木工の技術を学び、自分で作った器を大切に使いながら食事をする。この活動から環境について、また職と食についても学べたのではないでしょうか。
小学生の時に、頭ごなしにみんなと同じ宿題を強制されていたら、このような方は育たなかったかもしれません。いい先生に出会えたのだなと感じます。
何か事を成し遂げた人の多くは、苦しい立場に立たされても、それを乗り越えてきたという過去があるように思います。そのような人生でも受け入れて正面から向かっていくことが大切なんだと教えてくれているようにも思います。また先日、学校というものの捉え方、もっと言えば学校のあり方について少し議論したのですが、学校に通うことでみんな同じように力をつけていくことができると誤解されているところがあるようにも感じました。個性を伸ばすことを考えたとき、どこかで自分次第という思いを持っていなければ苦しくなる時期が来ることもあるのではないでしょうか。よくわからなくなりましたが、そう思えるようになるための大人の支えは大事だと思っています。
イザヤ・ベンダサンと言えば、学生時代によく目にした「日本人とユダヤ人」の著者で評論家の山本七平さんのペンネームですが、彼の人生も波瀾万丈です。戦争中、フィリピンのルソン島のジャングルを敗残兵として逃げまどい、胆石で七転八倒するような激しい痛みに襲われながら、命からがら生き延びて帰還。戦後も過酷な試練の連続で、失職や幼いわが子の死を乗り越えて何とか出版業が軌道に乗り出した矢先、火事で自宅兼書店が全焼。苦労して出版した本の在庫や重要な文献、家財もすべて灰に。その焼け落ちる家の前で山本さんは仁王立ちになって『転んだら起きればいいんだ!出直せばいいんだ!』と叫んでいたといいます。藤森先生の語る「運命を変える才能」とは絶体絶命のピンチをも受け入れて、そこから這い上がるしなやかな楽観主義のことだと思います。
いじめにあった者が逆に校内暴力者に転ずる、振り子が大きく右に振れそしてまた大きく左に振れ・・・やがて落ち着くべく点を目指してその振れ幅を小さくしていったであろう軌跡を読み取ることができます。「母親は、すぐに差別のない学校に転向させます」「母親は、イサムを一時、学校を休学させ、指物師の修業をさせます」「母親が的確に対処し、13歳から自立をしていきます」、この3つのことを振り返るとお母様がその時の息子さんに心から寄り添って方向付けを「的確」にしていることが注目に値します。作品「エナジー・ヴォイド」からは強烈なインパクトを受けます。仏教でいう「空」の芸術表現、のような気がします。エナジーとヴォイドという矛盾概念の統一を見て取ることできる極めて興味深い作品です。
有名な彫刻家イサムノグチの人生は波乱万丈に満ちていたのですね。そんな人生の中で彼の才能が開花した大きな要因は母親の的確な判断です。問題ばかり起こしていた息子に対して指物師に修行をさせ、結果それが数多くの有名な作品を生んだわけです。今の時代、学校で悪さばかりしていると、間違った道に進んでしまいそうな気がします。修行をした時がイサムノグチの運命を変えたターニングポイントでしょうね。自分の運命を変えることはできないが、その運命を良いか悪いかにするかは人の力で変えられる・・・とても心に響きました。
イサムノグチ氏の人生は波乱に満ちていたのですね。世に出てくる偉人たちの多くはそれぞれ波乱に満ちていた人生を送っているように感じます。というのも、おそらくその道を突き詰めていくときっと色々な逆境や試練は多くあると思います。それを乗り切ることのできる胆力やまたそれをプラスにできる柔軟性を持っていたからこそ、偉人の偉人たる所以なのかもしれませんね。しかし、それにはその人の周りの環境も多く関わっていると思います。イサムノグチ氏には母親が的確な対処をしたことで、そこで才能が開花し始めたんですね。どんな環境がその人にとって良いかはなかなか難しいことですが、自分の置かれた環境を良いものに変えることができるようにしたいものですね。