どんな時代でも、それぞれの分野で秀でている人はいるものです。しかし、その才能も、それを伸ばす環境がなければうずもれてしまいます。 過去から現在まで、そのような人がたくさんいたことでしょうね。また、戦争のような多くの死者を出すような時代では、たくさんの才能を持った人たちが、その力を発揮することなく亡くなっているでしょう。そういう意味でも、世に名を残す人々は、いろいろな条件を満たした結果ですので、幸せなわずかな人たちかもしれません。
からくり儀右衛門は、父親の仕事ぶり、街の人々の生活などから刺激を受けました。同時に、書物からも刺激を受けます。その一つが幕末に出版された「機巧図彙」(からくりずい)という手本書です。この書は、日本最古の機械工学書で、寛政8年(1798)に、首・上・下の全三巻が江戸で出版され、のちに大阪や京都でも再版されています。著者は、土佐藩の細川半蔵頼直ですが、内容はその書名のとおりで、江戸からくり人形が当時のまま復元される事を可能にした書物です。時計やからくり人形などの構造・製造過程を詳しく説明し、技術だけでなく、発明工学技術の発展に必要な学ぶ心と精神のありかたまでが記されています。この内容を見ると、儀右衛門がさぞかし興味を持っただろうということが推測されます。また、この書物の出版の革命的意味は、当時、技術は師から弟子へ秘密に伝えられ、門外不出が当然な時代に、初めての技術公開書として出版されたからです。
当時のヨーロッパの人に「日本は蒸気を使わない技術において、世界最高の域に達している」と言わしめたほど、人々に驚きと感動、喜びを与える「からくり」に人一倍、心を打たれ、傾倒していったのは儀右衛門でした。彼は、朝から晩まで、小刀を手に図案とにらめっこし、睡眠時間を惜しんで創意に燃えたのでした。この「機巧圖彙」に先駆けて、1730年に出版されたのが「機訓蒙鑑草」です。この本の内容は、松・竹・梅の3部からなり、松では、28種のからくりを江戸の情景と共にイラストで描かれ、梅と竹では、図説が記されています。「機訓蒙鑑草」は謎解き本に、「機巧図彙」は技術書に近いものであったようです。
このほかにも、江戸時代に読まれた「理科」の教科書があります。日本で最初の百科図鑑であり、天文地理から器具や建築、人物、動植鉱物におよぶ、さまざまなものや事柄について、達者な絵を載せ、漢名の見出しと和名、簡素ながら学問的な解説を記している「訓蒙図彙」があります。この本書は寛文16年(1666)、京の朱子学者・中村惕斎が編纂したものですが、「訓蒙」とは、子どもに教え諭すこと、「図彙」とは、たくさんの図を集めたものという意味で、彼は、こどもに諸物の名とその特徴を教えるために著したといわれています。その後、何回も再版が重ねられ、ドイツ人のケンペルが著した「日本誌」にも、この「訓蒙図彙」が転載されています。
室町中期に成立した字引だった節用集は、語をいろは順に分け、さらに天地・時節・草木などの門を立て、意義によって分類・配列したものです。これも、理科の教科書です。それが、江戸時代に改編・増補した多種多様の節用集が刊行され、やがてはいろは引き国語辞書の代名詞のようにもなりました。「節用」という言葉の語源は、論語の学而篇に「節用而愛人」という言葉がありますが、節用とは増税や増役を招くような事業をみだりに行わず、人を愛せよという意味で、節約を促しています。この中の「節用」から採ったという説があります。しかし、どうも、「史記」の「節用」という日常随時用いるという意味から採ったような気がします。
江戸時代にも、立派な理科の教科書が子ども用にもあったのですね。