さまざまな庭訓往来

 日本では、江戸時代までは学問は公家や僧侶に対して行われてきましたが、江戸時代になると武士や庶民も学ぶようになりました。庶民に対しての教育には、大きく寺子屋が貢献することになるのですが、同時に、各藩では武士に対しての教育にも力を入れるようになりました。それが藩校です。この藩校で学ぶ内容は、寺子屋での庶民に対する内容と少し違ったものでした。読み・書き・そろばんを中心に教える寺子屋での民衆の教育に対して、人との関係を学ぶ為に忠義や孝行をたいせつにする儒学が、武士の社会では,階級を整え、政治の安定を図ろうとするために、なかでも朱子学が広まりました。そのきっかけが、5代将軍綱吉で、彼は孔子をまつる聖堂を江戸に建てて武士に学問をすすめ、その影響で、各藩でも武士の教育に力を入れるようになり、18世紀中ごろには、各地に藩校が建てられました。
教科書も、室町時代の前期には、貴族社会向けに作られたものを使っていました。その代表なものが「庭訓往来」といわれる往来物です。それが、江戸時代には、「絵本庭訓往来」のように武家から、商人、職人、農民など様々な階層に向けて工夫を凝らしたものが出版されるようになります。そして、文化・文政年間には、京都や大阪や地方の出版元からもその地域にあった「庭訓往来」が出版されるようになります。たとえば、「永楽庭訓往来」名古屋で代表的な書肆(出版社兼書店)であった永楽屋東四郎が出版したものです。この「永楽庭訓往来」は、読みがながつけられており、庶民にもつかわれたのではないかといわれています。これを見ても、教育は地域を重視していたことが分かります。
これら「庭訓往来」は、基本的には擬漢文体で書かれ、武士・庶民の日常生活に必要な実用的知識を、網羅的に収録しています。1年12ヶ月の往信返信各12通と8月13日の1通を加えた25通からなり、多くの単語と文例が学べるよう工夫されています。内容としては、「新年の会遊」「花見詩歌の宴」「地方大名の領国統治、勧農、館の造り、果樹」「領地の繁栄と為政の心得、市町の経営と諸職業人の招致、商取引の施設と業種、諸国特産品」「家財家具、調理品名」「盗賊討伐への出陣、武具乗馬の借用、出陣の命令系統と心得、武具・馬具の名称」「競技会の衣装、諸具、諸器」「司法制度、訴訟手続き、問注所・侍所の組織と職掌」「将軍家若宮の行列の威容」「大法会に寄せて、伽藍・仏像、法会の式次第、役僧、舞童、諸道具」「大斎の行事にちなんで、点心、寺家の諸役、僧位僧官の名称、布施物、点心用の食品・菓子・茶具・汁・菜などの食品食物」「病気の種類と治療法、病気予防・健康保持のための禁忌」「地方行政の制度、着任の模様、行政管理の模様」などです。この項目を見ると、当時、どんなことを学んだかがよくわかります。
この「庭訓往来」には葛飾北斎が挿し絵を描いているものがあります。それが、「絵本庭訓往来」です。北斎の独特の挿絵が入ることによって、実にわかりやすくなっています。また、「女庭訓往来」という女性用の「庭訓往来」もありました。その内容は、「女中嗜草」「三弦の名所」「琴の名所」「いろはの始り」「歌かるたの起り」「しみもの落し」「諸病の妙薬」「和歌の始り」「七夕の歌づくし」「男女相性の事」「ゆめはんじ」「呪咀秘伝」などでした。
これらの内容を見ても、女性が学んでいたことがわかります。教科書は、その時代に内を学んでいたか、何を学ばせたかったかがわかります。