幼児教育

幼児教育は、人生においてどういう意味を持つのでしょうか。2000年にユネスコが「万人のための教育」というのをまとめ、それと時を同じくして21世紀の「知識基盤社会」に対応した人材育成を目指して、OECDの教育委員会によるプロジェクトである「乳幼児における教育と養護(ECEC)政策に関する調査」をしました。その結果、乳幼児教育を「生涯教育」の第1ステージとしてとらえることにしたのです。そして、その第1ステージの出発点である乳児期において、より強固にスタートさせようということで「スターティングストロング」という、乳幼児における教育と養護(ECEC)において、保育の「質」に重点を置いた「出発点を力強く」と就学前教育の質改善に向けての政策提言をしています。乳幼児教育を、人生という長いスパンからどういう位置づけにするのかを考え、単に学校への準備期としてとらえないことを提言しています。「江戸の教育力」(高橋敏著 ちくま新書)の中にこんな文章があります。
「教育を長期スパンで考えるなら、文字を介さず耳を駆使し、声・語りの言語を通して有史以来、人類の歴史とともに行われてきた。この人類共同事業の教育にさまざまな異分子が発生、近代以降膨張しては細胞分裂し、複雑怪奇な教育現象を引き起こしているのが現況と考えてもおかしくない。事実、地球規模でいえば格差や差異は大きく多様であるが、世界中の誰もが辿る子どもから大人への、文字を介さない音・声・語りの非文字教育の意味を問い直すことが今求められている。江戸の教育力を支えていたのも、「一人前にする」という、有史以来綿々継承されてきた社会共同の非文字教育である。文明化、グローバル化の今の日本でも、どんなに変容、解体されようが、この赤子から子ども、そして一人前への非文字教育コースを通過しないものはいない。」
幼児教育から学校教育につないでいこうとするとき、学校の多くは、「教育は学校から始まる」と思っている節があります。確かに、文字教育は学校からかも知れません。しかし、子どもは生まれながらにして教育される権利があるのです。また、多くの教育は、地域の中で、地域の触れ合いの中で、地域の年中行事や冠婚葬祭、儀式の中で行われてきたのです。決して、親だけで、特に母親だけで子育てが行われてきたわけではないのです。また、学校だけで教育されてきたわけではないのです。
武蔵国北多摩郡狛江村和泉の玉川付近の出身であったことから自ら「玉川(ぎょくせん)」と号した小町雄八という人がいます。彼は、農民出身だったのですが、学問を重ね、晩年に心学道話を説きました。その講説をまとめたものが「自脩編」別名「玉川道話」です。その中に、親としての心得が書かれてある部分があります。
「子どもは、大人の言葉を聞いて決して忘れないもので、その見聞きしたものが、全て子どもの心を形作るのである。どんな些細なことであっても子どもに嘘をついてはいけない。また、子ども同士がケンカをして泣いた時に、わが子を贔屓することは、わが子をダメにすることである。子どものケンカの是非善悪を正す必要はない。親は自分の子どもを叱って連れ帰るべきである。」
「親子は同じ家で生活するために、子どもは親の良い面も悪い面もよく見ている。親といえども完全な人格者ではないため、子どもには親の非を咎める心が生まれるように、親子では道が行われにくい面がある。従って、良き師匠や友に子どもを託して道を学ばせるのである。」
「もともと、親は子どもに良いことを教えたいと思い、子どもは良いことを学びたいと思う心がある。その良いこととは、結局は「職業を身につけること」と、「父兄に仕えること」である。この二つは生きていくための根本である。考えてみると、田圃を耕すことも学問であり、文武諸芸を学ぶことも学問である。『論語』にあるように、学ぶことは行うことであり、行うことは学ぶことである。」

幼児教育” への5件のコメント

  1. 田舎にいると、就学前の教育は幼稚園でという雰囲気をひしひしと感じます。なるほど、幼稚園は小学校のプレスクールだから、「教育は学校(幼稚園)から始まる」となるわけだ。かたや保育所といえば、家庭の事情で幼稚園に通えない子のための福祉目的の施設で、いまだに少し低く見られる傾向があります。まして、3歳児神話が生きているので、乳幼児のための保育もあまり顧みられない傾向があります。幼児教育=文字(言葉)をもってする教育という認識が一般的だからでしょうか。せっかく江戸時代に優れた教育思想があったのに、時代の流れに逆行したことが行われていることがとても残念です。

  2. いつものことながら、江戸時代の教育には驚かされます。この歴史に一人ひとりがきちんと目を向けるべきですね。それを経て今を捉え、先へどうつないでいくかを考えることが、今まさに大切にすべきことだと思います。未乳幼児教育を生涯教育の第1ステージと捉え、なおかつ共生と貢献を大切にするという部分が定まってくると、教育のあり方はずいぶん変わるでしょうね。

  3. 今、世界で考えられていることが、すでに江戸時代には考えられていたんですね。前回のブログでも感じたことですが、江戸時代にはとても子どもたちにとって日々の中で多くのことを環境を通して行っていたのがわかります。私はいすに座って行うものが教育であると保育に関わるまで思っていました。しかし、その「教育」とは何か、と考えると決して、座って習うことばかりではなく、環境を通して子どもたちは多くのことを「学習」しているんですね。広い意味で「学習」「教育」というものを環境を構成する大人がもっと意識することが大切ですね。

  4. 高橋敏さんの「江戸の教育力」はまだ読んでいませんが紹介して頂いた箇所からもその興味深さが伝わってきます。いつか読んでみたいですね。「文字を介さない音・声・語りの非文字教育の意味」というところは本当に考えさせられます。私が勤める仕事場の職人さんたちも基本的には「文字を介さない音・声・語りの非文字教育」的雰囲気の中で仕事をしています。たとえば園長先生は多数の書をものしているわけですが「〇〇のここにこう書いてあったから今△△な仕事をしなければならない」ということを一度も耳したことがありません。それでも園長先生が示す乳幼児教育の理念に基づいて実に見事に日々の仕事をやっています。「非文字」の職業文化を毎日私はこの目で確認しています。一人一人が本当に育っています。「非文字教育」の文化は子どもに限らず私たち大人にも必要なことです。活字に頼っていると本質を見失ってしまうことがよくあります。

  5.  まだまだ江戸時代の教育から学ぶことはたくさんありますね。教育は何も文字を書くだけが教育でなく、江戸時代の教育を支えた「1人前にする」というような精神が大切であり、そして地域の中での触れ合いなどで、たくさんの事を学ぶのですね。学校だけで教育はしていないのが分かります。おそらく私も地域の中で学校では学べないことをたくさん知りました。

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