生態

 今日、園の職員たちと、「エコ」って何かという話題になりました。エコは、エコロジーの省略形ですが、和製英語です。このエコロジーというのは、生態学と言い、生物と環境の関係を研究する学問のことを言います。同じようにエコノミーを略して「エコ」ということもあります。これは、経済という意味で、エコロジーとは全く関係ない言葉と思いますが、実は関係があります。それは、エコロジーもエコノミーも、その語源はともに古代ギリシアの市民の家政機関である「オイコス」に由来しています。OIKOS(オイコス)とは、ギリシア語で「家・棲家」という意味です。エコロジーとは、「自然界の生物の生存のための活動は、オイコスを成立せしめる論理を究明する学問」ということです。それが、
環境破壊や公害問題が表面化するにつれ、それを解決する学問分野であるとして生態学が注目を受けるようになりました。そこから、生態学的判断によって、それらの問題に対して必要と考えられる対抗策や、それまでの方法論への変更、見直し等を行なう運動が起こり、それらをまとめて表す言葉としてエコロジー運動(エコロジズム、エコロジスト)といった言葉が使われるようになった。そこから、次第にそれらの方向における運動や活動にエコロジーという言葉が使わり、環境を守る言葉としてエコという言葉が生まれたのです。
 生き物というものは不思議なものです。以前ブログでも取り上げられましたが、すべての生き物は、それぞれ己の遺伝子を子孫に残していくような遺伝子が組み込まれています。しかし、己の遺伝子を残すという非常に利己的な行為であっても、結果的に己だけでは生きていけないことを悟るのです。生き物は、環境に影響を与え、環境は生き物に影響を与えるます。そこには、相互作用があります。また、それぞれの生き物は、それぞれに役割があり、その役割はそのうちのどれかがなくなっても全体が成り立たなくなることが多いのです。そのお互いに強制して成り立っているということは、なにも地球、宇宙規模だけの話ではありません。「荘子」斉物論では、こんなことを言っています。「百骸、九竅、六臓、かねて存す。われ、たれとともに親(しん)たらん。なんじみなこれを説(よろこ)ぶか。それ私するありや。かくのごときはみな臣妾たることありや。それ臣妾はもってあい治むるに足らざるか。それ逓(たがい)に君臣とあいなるか。それ真君ありや存せりや。もし、その情を求め得ると得ざると、その真に益損なし。」
人間の体の中の話を例に出しています。私たちの身体というのは非常に不思議なもので、心臓も肺も胃腸もそれぞれの役割があり、それぞれがそれぞれの役割をしていることでうまく機能しています。しかし、私たちは、それを意識しているわけではありません。そんなことは考えてもいません。それぞれを動かしている筋肉は、不随筋といって、意識を持って動かしていないのです。それなのに、健康であればちゃんと動いてくれます。また、それぞれの機能は、それぞれ関連し合っています。身体の諸器官は単にそれぞれの働きをするだけでなく密接に連携しています。しかし、この連携も、意識して行っているわけではありません。しかし、どこかで働きを統括していなければまとまりがつかないはずです。きっと、どこかに私たちの理解を超えた「真君」が居るのではないかということを、荘子は考えます。考えようと考えまいと、私たちの身体が統一をなしているという事実には何の変りもないわけです。それが、生きる上での「道」であるというのです。

生態” への5件のコメント

  1. 今流行のエコに対する考え方はとても難しいと思っていましたが、エコロジーとは生態学ということで少し整理ができました。単に流れに乗って「エコ、エコ」と行動するのは、入口としてはいいかもしれませんが、そこから様々なのものの相互作用にまで思いをやることができて初めてエコが見えてくるんだと思います。自分は別のステージにいるのではなく、自分も含めたエコの発想が必要なんだろうと、自分自身ではある程度ですが納得することができました。

  2. 仏教に「色心不二」という教義があります。「色」とは形ある物で物質のことで、物質を離れて心はなく、心を離れて物質はないという意味です。これまで長らく思想対立してきた「唯物論」と「唯心論」の世界観を遥かに凌駕する思想だと思います。人間も、病は気からといわれるように、心のバランスを崩せば体も不調になります。逆に運動で体を動かせば心のリフレッシュができます。仏法は、その体と心を相互にリンクさせ統合してつかさどる生命の法があると説きます。それは宇宙の根源の法にもつながるというから壮大な生命観です。荘子の言う「真君」はこの「法」を指しているような気がしますが…。

  3.  エコという単語を聞くと、「資源を大切する」「無駄使いしない」など連想します。ブログの前半を読んで、あながち間違ってはいないと思いましたが、本来の意味を読むと、とても奥が深いですね。深すぎてイメージがつきにくいですが、「エコ」という言葉が生まれたのは環境を守る、生物が生きていくための環境、を守るためです。生物は元から子孫を残すという遺伝子を持っていますし、そして生物は生きるために環境に影響されますし、逆に環境に影響します。お互いが良いバランスを保っていると問題はないのに、問題がある場合はどちらかが、バランスを崩していることになります。今の地球は生物、とくに人間自身がバランスを崩し、生態系や地球に悪影響を与えている結果、「エコ」という言葉が生まれたのだと思います。荘子の言葉で、人間の体内のように器官が密接に連携を取っているが、意識をしていない。それをどこかで統括している存在がある。それが人が生きる上での「道」であるのならば、私を含め多くの人は「道」から外れているかもしれません。
    思った事をそのまま書いてしまったので、まとまりがないコメントになりました。申し訳ありません。

  4. 「エコ」近年毎日どこかで必ず目にしたり、耳にする言葉ですね。しかし、それが「生態学」から来ていたのは初耳でした。今、私たちが思っている「エコ」はあくまで表面的な要素が多いように感じます。本当のところはそれぞれの生物がお互いに環境を通して相互作用をし生命を全うしていた中で、人間は社会を繁栄させていったため、生物の相互作用のバランスを崩し、その結果環境を悪化させました。「エコ」という言葉は人間の「エゴ」の蓄積から生まれた言葉に思います。だからこそ、「エコ」を考える必要があるのでしょうね。それこそが今を生きる私たちの「道」なのだと思いました。

  5. 昨今は猫も杓子も「エコ」です。ところでこの「エコ」とは何か、ということです。今回のブログで回答が与えられています。そしてその回答の中でも言われていますが、私なりに「エコ」を解釈すると、それは「役割」ということだろうと思います。しかも無理のない、自然な「役割」です。「路傍の石」を待つまでもなく、この地球上の存在に役割を担わない存在はないと思っています。それ故、「エコ」とはそれぞれの役割をそれ以上でもそれ以下でもなく認めることだと思っています。今年は国連が定めた「生物多様性年」です。日本語にすると何だかよくわかりませんが、biodiversity、すなわち生き物は、いろいろ様々なんだ、ということです。恣意的にその存在を脅かすことが反エコ、です。「世界を大切にする」とは、自然の多様性を認める、そのために行動すること、と私は考えています。

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