それぞれの時代には、ターニングポイントと言われる変化のきっかけとなる出来事があります。私たち日本人は、よく「戦前、戦後」といういい方をしますが、終戦の時期が大きなターニングポイントで、その前と後では、教育や生活、経済などあらゆる面で変化をしました。今、南アフリカでサッカーのワールドカップ(W杯)が行われていますが、この大会が南アフリカにおいてターニングポイントになるであろうと言われています。今後、南アフリカでは、私たちが「戦前・戦後」と使うように「大会前・大会後」という言葉が使われるであろうと言われています。
今、NHK大河ドラマで放送されている「龍馬伝」の時代の大きなターニングポイントは、明治維新でした。維新前と、維新後では大きく変化します。それは、江戸時代から、明治時代への変化でもありました。それはまた、幕府から朝廷への政権の変化でした。その時期を迎えるにあたって、その前には生む苦しみというような、様々な犠牲者を出します。そして、その犠牲者を多く出した出来事が、ターニングポイントとなる時期を早めたり、遅めたりします。
昨日と先週に放映された「龍馬伝」では、その大きな出来事としての「池田屋事件」が取り上げられていました。この事件によって、明治維新が1年遅れたとも、尊攘派を刺激してしまい維新を早めたともいわれています。司馬遼太郎の新選組副長土方歳三の生涯を描く長編小説、歴史小説である「燃えよ剣」の中には、こう書かれています。「池田屋の変によって新撰組は雷鳴をあげたが、歴史に重大な影響をもたらした。普通、この変で当時の実力派の志士の多数が斬殺、捕殺されたために、明治維新が少なくとも一年遅れたといわれるが、おそれく逆であろう。この変によってむしろ明治維新が早く来たと見るほうが正しい。あるいはこの変がなければ、永久に薩長主導によるあの明治維新は来なかったかもしれない。革命には、革命派の凶暴な軍事行動が必要だが、当時の親京都派諸藩のいずれも、それへ飛躍する可能性も気分も無かった。どの雄藩の首脳も、幕府に盾をつくなど考えもしていなかった。ひとり、三十六万石の長州藩という火薬庫が爆発したのである。」
この事件は、一方では、新撰組が、その名前を高め、その存在を認めさせるために利用したとも言われていますが、結果的に新撰組の命を縮めたことになったのです。今年の初め、妻と池田屋を訪ねてみました。現在、池田屋は、京都三条木屋町の旅籠の雰囲気をリアルに再現していますが、なんと、居酒屋としての再現です。まあ、仕方ないかという感じです。

この事件をきっかけに「禁門の変」が起きます。この事件は、別名「蛤御門の変」ともいわれていますが、その蛤御門は現在の京都御苑の西側に位置しています。その場にも行ってみました。そこの立て札には、こう書かれてありました。「江戸時代末期の1864年、この門の周辺で長州藩と、御所の警護に当たっていた会津、薩摩、桑名藩との間で激戦が行われました。この戦いが「禁門の変」で、門の梁にはその時の鉄砲の弾傷らしき跡が残っています。この門は、江戸時代の大火で、それまで閉ざされていた門が初めて開かれたため、「焼けて口開く蛤」にたとえて、蛤御門と呼ばれるようになったといわれています。」
この出来事によって、薩長の敵対意識が増すのですが、それがかえって薩長同盟を結ぶことにつながっていきます。時代は、何がどの様に影響し、どのように動いていくかわからないですね。
ターニングポイントに対しての自分の捉え方は、後で振り返って「あの時がターニングポイントだったのかもしれない」と感じることが多いものというイメージを持っています。「今がまさにターニングポイント」と分かればいいですが、過去を見ても、結果的にいい方に進んでいけたというものがほとんどです。といっても、私の場合は劇的なターニングポイントがあったわけではなく、小さなものがほとんどです。意味は違ってくるかもしれませんが、分かれ道は常にあって、どっちに進むか、どう行動するかを常に選択しているように思います。大小の違いはありますが、そこから目を逸らさずに行動することでしか次はないと、当たり前のことを最近はよく感じます。だからこそ、日常がおもしろく思えています。
50年前の今日6月15日、国会前に押し寄せた安保改定反対を叫ぶデモ隊を警官隊の激突のさなか、東大生の樺美智子さんは亡くなった。あの日を境に、日本は戦後の貧困の時代を終え、高度経済成長に突き進む。戦後日本のターニングポイントだったといえる。安保反対闘争は結局挫折したが、いつの時代も時代を動かす原動力は、青年の熱と力だ。そういえば、大学時代の社会学の教授が、樺さんのお父上だったことを懐かしく思い出す。
ターニングポイントの捉え方に関しましては、自分もあいやま先生とまったく同じです。
ですが、今回はターニングポイントを直後に悟りました。
先日、昆虫人気の章で、大先輩のyamaya49様のコメントについ反応してしまい…劇的なターニングポイントになってしまうのではと…
虫は常食にしておりません。ほんとうですほんとうです。
おやつにコオロギはお許しください。
↑出雲屋様、大先輩は勘弁して下さい(笑)。長いこと御無沙汰していますが、相変わらずご活躍のようで。当方のメアド、まだ残ってましたら、一度楽しい便りを待ってます。あ、すいません、私的な内容はこの欄ではタブーでした。
私のターニングポイントはおそらく、今の職場に就職し、藤森先生の話しを初めて聞いたときでしょうか。それから自分の保育に対する考えはもちろん、生き方や物事の考え方が、ガラッと変わった気がします。ブログの中でいくつかの歴史上で起こった事件が取り上げていますが、その事件によって良い結果が生まれています。本当にどのように影響するのか分かりません。私自信にもこれから、どのような事が起きるのか分かりません。それが良い結果になるのか悪い結果になるのかも分かりません。かなり精神論になりますが、自分が信じるものがあれば、何が起きても大丈夫のような気がします。
ターニングポイントはまさに藤森先生に出会い、見守る保育を知ったときだと思います。本当にターニングポイントとは今ではなく、振り返ったときに感じるものだと思います。しかし、そのときに感じた衝撃は今でも忘れられないものでした。それによって今の自分が成長したかどうかは、自分の判断ではできないものですが、得がたいものを得ているというのは身にしみています。また、大きなポイントだけではなく、日常でも色々とターニングポイントに気付くこともあります。よい結果となろうと、悪い結果となろうと、その時自分の悔いのない判断をしたいと思いました。
私にもいくつかの「ターニングポイント」があったような気がします。そのことを考えた時すぐに思いつくのが人との出会いです。それぞれの人が私のターニングポイントを決定付けたということは言うまでもありません。しかし、このことを考えた時、実はその「人との出会い」をお膳立てする、というか、そうした方向性を決めたのがいわゆる「環境」です。それは人的環境であったり、物的環境であったり、あるいは空間的環境であったりします。明治維新は我が国おける極めて重要な「ターニングポイント」でした。我が国は現在なおこの「明治維新」の延長線上にあります。教育に携わっているとそのことを痛感できます。さて、このターニングポイントを実現できたのは当時の世界史すなわち「環境」です。そしてこれらは人、物、空間に集約できます。そして「人心」を規定するのも「環境」であることを忘れてはならないと思います。