陶磁器

 日本各地には、さまざまな陶磁器があります。また、世界にもさまざまな陶磁器があります。進化論で有名なダーウィンの妻は、ウェッジウッド家の令嬢でした。彼だけでなく、ダーウィン家とウェッジウッド家は、少なくとも四度結婚しています。ウェッジウッドは、イギリスの陶磁器メーカーで、ジョサイア・ウェッジウッドによって1759年に設立されました。とても由緒があり、歴史があるメーカーですが、2009年1月5日、アイルランドの本社はグループの中核である英国とアイルランドの子会社について法定管財人による管理を裁判所に申請し、事実上経営破綻しています。
ヨーロッパでは、このウェッジウッドと並んで、ドイツのマイセンが有名な食器のメーカーです。このヨーロッパで初めて硬質磁器を生みだしたドイツの名窯「マイセン」は、約300年前、1人の熱狂的な美術蒐集家から始まりました。13世紀、ヨーロッパの貴族たちが中国から白磁を買い付けてきました。白磁の純白で薄く、硬く艶やかな硬質磁器はヨーロッパでは未だにつくりだすことのできないものであり、列国の王侯貴族、事業家たちはその美しさに魅せられてしまいました。17世紀、ヨーロッパでは中国の磁器や日本の伊万里などが盛んにもてはやされていました。そこで、こんな贅沢品を当地で作れないかと、やっきになって製法を見つけようとしました。18世紀初頭、ザクセン王アウグスト2世の宮廷錬金術師ヨハン・フリードリヒ・ベットガーが、「無価値の素材から『金』を作れる」と言い放った言葉を聞きつけた王は、それを証明させるために彼を幽閉しました。そこで、ベットガーは、数学者で哲学者のエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスに説得されて陶器の製造に乗り出すのです。そして1707年、赤い色の焼き物(ベットガー?器)、08年にはヨーロッパ初の白磁器(ベットガー磁器)の製造に成功したのです。ベットガーがその成果を王に報告すると、10年1月23日に磁器製造の独占権を持つ「王立ザクセン磁器工場」がドレスデンに建てられ、さらに製造の秘密を守るため、6月6日に工房がマイセンのアルブレヒト城に移設されたのです。これが、マイセン磁器です。
マイセン磁器の製造は機密保持が厳守され、従業員にも製造過程の一部のみが伝えられていただけでした。しかし1718年にウィーンで競合を立ち上げようと考えた職人の1人、サミュエル・シュテルツェルが製造技術を盗み出そうとしたため、偽装防止措置として1722年、交差した青い2つの剣の模様がマイセン磁器のトレードマークに認定されたのです。
このように、ドイツが誇るマイセン磁器ですが、初期には、中国や日本の磁器の影響を色濃く受けています。まず、絵柄ですが、中国や日本の絵柄である菊の花や竹などは、ヨーロッパ人には馴染みのないものです。その中にザクロがありました。見たことがなかったために、その模様を最初に見て玉ねぎと勘違いした絵付け師が、1939年に玉ねぎ模様の図案を作成し、それが後に大ヒットします。それが、「ブルーオニオン」という結う目に絵柄になるのです。また、マイセンは、日本の有田焼の柿右衛門に多大な影響を受け、今も手描きの伝統が守られています。
陶磁器だけでなく、ヨーロッパは、日本文化、芸術から刺激を受け、自国の文化を作り上げています。
今から、マイセンのふるさとドイツに出発します。ネット環境が整えば、明日から、ドイツ報告をしようと思っています。そこから刺激を受け、自国の保育カリキュラムを作り上げようと思います。