親とは

 先日、ある幼稚園団体から講演依頼が来ました。その内容は、主任格の先生に、保護者に対して、子どもにとっては親がとても大切であることを話すことについての研修会をしてほしいということでした。今回の保育所保育指針でも、保育園は、「家庭の補完」から「家庭との緊密な連携のもとで」に変わりました。幼稚園、保育園は、保護者と連携を持ち、ともに子どもを見守っていかなければなりません。それは、もちろん学校に行っても同じことが言えます。しつけは親の責任だ、いや学校に任せるということではなく、ともに育てていくといったイメージです。
 そんな保護者の役割、保護者による家庭での育児に対して江戸時代の寺子屋ではどうだったのでしょう。今よりは親は忙しかったでしょうし、もちろん専業主婦のように育児に専念できる余裕もなかった時代です。また、それほど高い学問を修めている親もそう多くはなかったはずです。
 千葉県香取郡干潟町(今は、合併して旭市)に、平成8年3月15日大原幽学記念館を設立されました。ここは、大原幽学の遺跡と大量の資料が所蔵され、平成3年には407点の幽学関係資料が国の重要文化財に指定されました。大原幽学は天保、嘉永、安政にかけての混乱した世相の中、農民の教化と農村改革運動を指導し大きな事績を残した人物です。道徳と経済の調和を基本とした性学を説き、農民や医師、商家の経営を実践指導しました。性学とは、欲に負けず人間の本性に従って生きる道を見つけ出そうとする学問のことです。その代表的なものが「先祖株組合」の結成です。お互いに助け合い、生活を改善していくための村ぐるみの組織で世界最初の協同組合となりました。また、最近の生協と同じように共同購入によってのメリットや、耕地整理、住居の分散移なども行い、日常生活の細部にいたるまで規律をつくりその心を指導したのです。
その彼は、子どもの教育・しつけのために換え子制度を奨励しました。 NHKテレビの「歴史は眠らない」という番組がありました。その中の「ニッポン母の肖像」の第一回は、「大江戸子育て事情」で、換え子制度の説明をしていました。江戸時代、子どもは、「家」そして家の財産や格式を引き継ぎ、それを次代に伝える重要な役割を担っていました。そうした子どもを大事に育て、一人前にする責任を負っていたのは父親でした。ですから、江戸の父親の子育て熱は、藩主から農民までさまざまな立場の人にまで広がっていました。そんな“父の子育て”を支えたのが、地域社会での義理の親・「仮親」の存在でした。その子の通過儀礼ごとに結ばれ、以後生涯にわたって続く擬似親子関係は、母親が出産で命を落とすことが多く、子育てに専念するのが困難だった時代の「子育てセーフティーネット」でもあったのです。こんな社会状況の中、大原幽学は、荒廃する地域社会を立て直すため、互いの子どもを替えて育て、“村の子すべてをわが子のように”する「換え子教育」を奨励します。様々な身分階層において,子どもを地域社会で共同して育てるべきであるという考えを提案するのです。わが子に養育料をつけ、一定期間、他家に預けて教育してもらう方法で、一軒に1,2年ずつ預け、これを数年間続けます。なかには10年以上預ける場合もありました。
幽学は「道徳百話」にて、「どんな子どもでもわが子は可愛いもので、子を思う気持ちに自他の区別は無いはずである。だから、自分の子、他人の子という区別をしてはならない」という基本姿勢を持ちます。ちょっと極端な提案ですが、親子とはどんな関係かを考えてしまいます。