師弟

先日のフィンランドの方とのシンポジウムで、学校の質の高さについての話がありました。フィンランドは、学力を支える教師はとても重要だと考えられています。そこで、学校のほとんど大学院卒です。それは、必ずしも学力が高いということだけではなく、保護者のほとんどが大学卒であるために、それよりも高い学歴を持つという効果もあるようです。しかし、それだけではなく、教師は尊敬され、高貴な仕事だと思われています。ですから、教員希望者はとても多いそうです。しかし、だからと言って、必ずしも処遇がいいとは限りません。以前、ブログに書いたかと思いますが、教員の給料は、日本の教員を100とすると、フィンランドは56だと聞きました。ですから、逆に、処遇がいいからと言って教員になる人は少なく、その職業に魅力を感じている人が多いのだと思います。
江戸時代における「寺子屋」の教師はどうだったのでしょう。寺子屋は、その名の通り、もともとは寺で僧侶が教えていました。それが次第に浪人、医師、村役人の百姓や町人が過半数を超えるようになります。では、その資格というと、いい加減なものでした。寺子屋自体のほとんどは私立で、お上の許可はいらないし、お上も直接には関与しません。ですから、読み書きに自信があれば身分に関係なく、誰もが教えることができたのです。そのような姿は、幕末まで続き、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の中でも、最初のころ岩崎彌太郎が近所の子どもたちに教え始める時が放映されていました。
そんな寺子屋の教師ではありますが、とても尊敬されていたようです。また、その時の恩義はずいぶんと生徒たちには感じていたようです。日本全国には、教え子たちが師の徳をしのび、恩に報いようと、顕彰碑や墓碑を建立しています。それを「筆子塚」とか、「師匠塚」「筆子塔」「筆子碑」といいます。寺子屋で学んだ子どもたちのことを、寺子と読んだので寺子屋なのですが、江戸後期になると必ずしも教師が僧侶ではなくなったために、子どもたちのことを「筆子」と呼ぶようになりました。ですから、「筆子塚」は、筆の供養塔ではないのです。この碑は、数ははっきりわからないそうですが、少なくとも万単位あるといわれています。しかし、その形の多くは、墓石が全体として筆の穂先のような形をしています。
勢多郡原之郷村(現群馬県富士見村)で名主や農業指導をするかたわら、父から受けついだ寺子屋九十九庵の師匠をしていた船津伝次平という人がいました。彼は48歳で急逝しますが、亡くなって4年後、教え子たちによって筆小塚が建立されます。そこには、こんなことが書かれてあります。「師の慈愛と筆子の報恩の関係で結ばれた固いきずなは、過去、現在、未来の三世にわたる契となって後世にまで及ぶであろう」
師弟の関係は三世の契です。それは、教育の素晴らしさでもあり、恐ろしさでもあります。教育は、今、目の前の子どもをどうするかということだけでなく、教育とは、人類が過去から受け継いできたことを、未来につないでいくことでもあるのです。そして、その結果は、時代を経てから表われてくるものなのです。目の先のことであたふたするべきではありません。