花の色

 季節ごとにいろいろな花が咲きます。また、地域ごとにもいろいろな花が咲きます。そして、地域や、出来事や、人物にも花が関係することがあります。昨日訪れていた長崎市の花と言えば、「あじさい」です。オランダ商館医として出島に赴任したシーボルトが愛する女性「お滝さん」にちなみ「オタクサ」と名づけヨーロッパへ伝えた花です。今、ちょうど、「ながさき紫陽花まつり」が行われ、市内各所は10種類約4000株のアジサイで彩られ、さまざまなイベントが行われていました。
 長崎の市内巡りの方法「さるく」は、何度かブログで紹介しましたが、今、長崎での「さるく」のテーマは、龍馬関係で何種類も組まれていますが、今回は、期間限定通さるくの「ながさき紫陽花さるく」を講演の合間に少し歩いてみました。そのコースは、出島 →楠本イネ宅跡 →銅座跡 →旧柳通り(ベルナード観光通り) →清風亭跡 →アルコア中通り →袋橋 →眼鏡橋 →興福寺と巡るコースです。
出島を出て、楠本イネ宅跡を探したのですが、どうも見つかりませんでした。また、このコースは、どうもアジサイを楽しむというより、アジサイにちなむシーボルトに関係する場所を歩くコースのようで、なかなかアジサイを見ることができませんでした。しかし、しばらく行って、中島川のほとりに出ると、そこには、少し盛りを過ぎたアジサイがたくさん咲いていました。
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この中島川には、「中島川石橋群」として12もの石橋が架けられており、その中でとくに有名なのが眼鏡橋で、その第10橋にあたります。中島川に架かる日本最古の石造アーチ橋で国指定の重要文化財に指定されており、日本三名橋の1つです。眼鏡橋は、水面に映るその容姿から昔から人々に「めがね橋」と呼ばれていましたが、明治15年(1882年)に正式に「眼鏡橋」として命名されたそうです。
 そこを少し下っていくと、光永寺という寺がありました。そこには、「慶応義塾創立者、福沢諭吉ゆかりの寺」と書かれてあったので、中に入ってみました。安政元年(1854)、同藩下級武士の出であった、当時19歳の諭吉はこの光永寺を頼って来崎し、蘭学学習の第一歩を踏み出したのがこの寺で、約1年この寺に留まって勉学に励んだと云われています。
また、この寺の庭には、とても珍しい花が咲いていました。娑羅の木が花を咲かせていたのです。
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この木の花を誰でもすぐに思い出すのが、「祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 娑羅双樹の花の色 盛者必滅の理をあらはす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし」という「平家物語」の冒頭の文に出てくる文章です。ここで言われているように、この白い花は朝に咲いて夕方には散ってしまうことから、無常のたとえとして古来より使われてきました。もうひとつ、この木で思い出すのは、釈迦が亡くなったとき(入滅のとき)に、この木がその四方を囲んでいて,それぞれに2本ずつ,対になって生えていたことから,双樹と呼ばれるようになったのですが、入滅したとき、この木が枯れて鶴の羽根のように白くなったとの伝説があります。このことから、娑羅双樹の木は、仏教では聖木とされています。しかし、娑羅双樹はインド原産の常緑樹で熱帯樹の為、日本では育たないようです。ですから、平家物語に登場する沙羅双樹や、日本で見かける娑羅双樹の木はツバキ科落葉樹の「夏椿」や「姫娑羅」のことのようです。私が光永寺で見た花は、「姫娑羅」だそうです。
 花のいわれや、その花にまつわる逸話を知ると、その花を見る目が変わります。