荘子4

 考え方を形にするのはとても難しいことです。その形は、立体的な造形物の時もあり、言葉の時もあります。最近、男脳と女脳の違いで、男脳は「空間認知力」に優れている人が多いが、女性は「言葉による認知力」に優れている人が多いと言われています。建物を設計する時には、当然、紙の上に書かれた図面で考え方を説明します。しかし、その2次元の世界から3次元である立体物の建物を認識するのは難しい人がいます。それを、模型という同じ3次元のもので表現するとより分かりやすくなります。最近は、映像的にもその建物の中をあたかも歩き回っているように体験できるものもあります。しかも、あるきまわるのが子どもの視線や、車いすに乗っている人の視線も体験できます。
 人としての生き方に対しての考え方を言葉にするのはとても難しいことです。それを、昔からさまざまな人が何とか伝えようとしてきました。私は、保育の世界にいますが、保育というのは常々言っていることですが、人としての生き方であると思っていますので、それを言葉で表現するのはとても難しいものです。しかも、その表現の捉え方が人によって違ってしまうと、全く違ったものとして伝わってしまいます。そんなときには、私はなるべくシンプルに語るべきだと思っています。それは、他のことでもそうですが、年齢を重ねるにつれて、いろいろなことを経験し、いろいろな人と出会い、いろいろなものを見、聞くにつれてそれが増えていくのではなく、いろいろなものがそぎ落とされ、次第にシンプルになってくる気がするからです。それは、たぶん、言葉とか姿には惑わされず、物の本質を見ようとするからかもしれません。ものの本質は、非常にシンプルなものだと感じます。しかし、なかなかそれを理解することや伝えることはシンプルゆえに難しいことなのかも知れません。
荘子「斉物論」にこんなことが書かれてあります。「大知閑閑、小知?(間)?(間)。」です。すぐれた知恵である大知あるものは、静かにゆったりとのんびりし、落ち着いたものですが、つまらない知恵である小知のものは、こせこせして、こまごまと詮索するものです。??(間間)とは、こせこせして、細かいものを区別するさま。あれこれと穿鑿する貌(かたち)を言います。どうでもいいことをこまごまと詮索したり、つついたりする人がいます。それが、本質にどうかかわるのかよくわからないようなこと、いつまでも議論をすることがあります。保育の世界でも、幼保の関係、年齢別異年齢であるか、部屋のつくりがオープンであるかわかれているのかということは問題ではないのに、それにこだわります。保育の世界は、人の生き方であるとするならば、そんな形ではなく、どのような子どもの生き方を私たちは保証してかなければならないかということが問題なのです。
「大知閑閑、小知??。」のあとに「大言炎炎、小言〓〓。」という言葉が続きます。偉大なことばは、あっさりとこだわりがなく淡泊ですが、つまらぬことばは、いたずらに口数が多く、くどくどとしつこく、煩わしいものであるということです。しかし、「炎炎」というのは淡々としているというほかに、内に情熱を秘めているという意味もあります。
熱い思いのある人の言葉は、かえって淡々とし、非常にシンプルであるからこそ人の心に訴えかけ、染み入るものです。私は、なるべく、そのような講演をしたいと思っています。