ドイツ研修2日目

 ドイツにほぼ毎年来て、保育園、幼稚園を見学するといろいろなところが変わっています。その変り方が、私には不思議に思えます。なぜかというと、1年足らずで、どの園も一斉に変わっているからです。しかも、それはどうしてかという問いに対して、どの園でもこの園の考え方で、独自のやり方だというのです。日本では、保育を変えるのは役所、保護者、職員という、なかなか厚い壁がいくつもあり、何十年も昔の保育をそのまましていることが多いからです。外国では、街並みや文化財は何年も変わることがありません。いつ来ても変わりません。それに引き換え、日本では、一週間たって日本に帰ると、ずいぶんと変わっています。私の自宅周辺やニュータウンでは、その変り方は激しいです。しかし、幼稚園、保育園、学校など子どもに関係する施設では、日本ではなかなか変えませんが、ドイツではずいぶんと試行錯誤します。
 ドイツの幼児施設は、大きく二つあります。一つは、社会局管轄の0歳児から2歳児までの施設と、学校局管轄の3歳児から6歳児までの施設があります。数年前から、学校局管轄の0歳児から6歳児までの施設が非常に増えてきました。それが、今日見学した施設は、社会局管轄の0歳児から6歳児までの施設でした。なんだか、日本の幼稚園型子ども園と、保育園型子ども園のようです。そして、ドイツでも、同じ事だから一本化しようという話し合いが、今週行われているそうです。しかし、日本のように補助金の出し方が違わないので、役所の引っ張り合いの話です。しかも、社会局管轄の園はミュンヘン市で50か所あまりに対して、学校局管轄の園は300か所あまりもあるので、決着は早いかもしれません。
 今日見た園も、1年に2回、園内からおもちゃを全く使わない、室内装飾を全くしない週を設定しています。1回は、クリスマス後の4週間ぐらいで、おもちゃに満ち溢れる家庭でのクリスマスに対して、園では、全く使わないそうです。もう1回は、ちょうど今回訪れた時期である年度の終わりの4週間くらいです。
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そのためか、室内はがらんとしていて、壁に取り付けてある遊具や、片づけられない遊具棚の前には、布が貼ってあって、取り出せないようになっています。
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その週の主活動は、外遊びと森へ出かけます。その意図は、子どもに遊びを提供するのではなく、子どもがあるものを探し、創造しながら判断して遊ぶことを促します。そして、森への散策は、子どもの自発性や内面性への働き掛けを増やそうというものです。
 もうひとつの園では、70名定員のうち、40名は普通の保育ですが、30名は自由教室に参加します。どちらに入園するかは、保護者の選択のようです。自由教室というのは、近くの森や公園、街の中に出かけ、自然や施設などを観察し、午後園に戻ってきてから、保育者と一緒にいろいろ調べたり、いろいろなことを学んでいきます。それは、子どもの仮説を検証するという目的があります。そして、子どもの質問からプロジェクトを汲んでいきます。
 今回、4園見た中での共通点は、おもちゃのあるなしは別として、屋外活動、園外活動、特に森への探索に非常に重きを置いてきたという点です。私の園の裏にある公園を、区長の計らいで、「区民の森」にする計画があります。日本でも、森の重要性が見直され始めているのかもしれません。

ドイツ研修1日目

 ドイツでの1日目の研修で、気がついたことを報告します。今日午前中に行った園のコンセプトは、「遊具を減らすプロジェクト」に取り組んでいる園でした。ここは、キンダーがーテンと言って、3歳から6歳児まで75名が在籍しています。保育時間は、7時から17時までです。75名の子どもたちは、異年齢の三つのグループに分かれています。それは、昼食前後に戻るグルーうであり、活動における集団は、75名が自分が選択をしたグループ活動をします。
この園の取り組みである「遊具を減らす」というのは、何を目指しているかというと、簡単にいえば「発見し楽しみながら学ぶ」という意図からのようです。そして、今日の保育は、次の三つの中からの選択です。
一つ目は、厚紙に穴をあけて、その穴にひも通しをするというものです。
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二つ目は、料理です。火を使うところ以外は、切るところからすべて子どもたちがやります。そして、作ったものをみんなで午前のおやつとして食べるというものです。
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三つ目は、フェルトをせっけんでよく洗い、それを丸めてボールを作るというものです。
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どれも、遊具は使いません。素材を手で感じ、自発的に行動させようとするものです。そのほかにも、年長児だけが毎日3時間森に行くプロジェクトをしています。これは、今回、午後の見学予定の主ターナー幼稚園、他の日に見学が予定されているところでも「森のプロジェクト」に取り組んでいる園があります。それは、OECDにおけるスターティングストロングの中で指摘されている次の内容が影響されている気がします。
「(幼児教育として適切でないと指摘されている園では、子どもの遊びを)しばしば机上のゲームに限定される。屋外での発見遊びや北欧の就学前学校の特徴である諸活動の中からの広い選択肢はほとんどない。」ここで重視されているのは、「屋外での発見遊び」です。また、幼児の本質的学習戦略を、「遊び、屋外の探索、行動の自由、クラス室内での他児童との関係や話合い」として挙げ、これらが奨励されていない園も多いことを指摘しています。
ただ、今回見学した園では、最初、すべての遊具を無くしたところ、子どもの育ちが必ずしも保障されないところがあり、職員、保護者の意見もあり、今は、少し、緩和されているようです。
しかし、それがっていされている園を午後見学しました。それは、シュタイナー幼稚園です。見学した園は、2歳から6歳まで60名の園児が在籍し、7時30分から15時30分(木曜日は17時)まで保育しています。この園での遊具はすべて天然素材で、流木、木切れ、木の実、石ころ、布などです。そこの園長先生が、半月型をした木切れを耳に当て「電話」をかけている真似をし、もう少し大きな木切れは、それを押してパソコン、眺めてテレビというように見立てをしてみせました。
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自然物を見立てて遊ぶことで、個々の創造性を養うことができるというものです。反面、ゲーム類は、「遊び方」があるように遊び方を限定し、その為のルールがあることは創造性は養えないというのです。
簡単に何でも買えばそろうという考えかたから、工夫や創造性をどうつけていくかという点から遊具や、その素材を見直すことは必要かもしれません。
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ただ、今回の園では否定されていたコンピューターなどはフィンランドでは重要な保育教材ですし、集団を作るためのボードゲームなどの必要性も言われていることはどうなのでしょうか。

ドイツ初日

 12時間余りの飛行を経て、ドイツに到着しました。今回の機内で放映されていた映画の作品の一つに、「インビクタス 負けざる者たち」がありました。この映画は、1995年南アフリカ共和国で行われたラグビーワールドカップの時の話です。時の大統領ネルソン・マンデラが、ラグビー代表チームのキャプテンと大会の優勝への道のりを通じて、まだまだアパルトヘイト政策の名残で、差別が残っている国を結束へ導いていく話です。途中、マンデラ大統領が、結果を気にして会議をしていても落ち着かない様子が描かれていましたが、ちょうど、25日から昨日までカナダのトロントで開催されていたG8でも同様だったようです。G8は、1970年代に入り、ニクソン・ショックや第1次石油危機などの諸問題に直面した先進国の間で、これらの問題は自国だけでは解決できず、さまざまな分野での政策協調が必要であるとして、当時の仏大統領の提案により、1975年11月、パリ郊外のランブイエ城において、日、米、英、仏、独、伊の6か国による第1回首脳会議が開催されました。
これらG8への参加国の国で、今回行われている南アフリカでのサッカーのワールドカップに出場している国は、気が気でなかったようです。ニュースでは、日本代表の決勝トーナメント進出に気をよくした菅直人首相は、25日行われたメルケル独首相との首脳会談で、強豪ドイツとの対戦を熱望したと報じられました。また、ロスタイムで劇的な決勝点を挙げ、予選突破した米国のオバマ大統領はその話題を「繰り返した」ほど喜んでいたといいます。一方でG8メンバーには、「もちろん少し悲しげな面々」もいます。前回優勝ながら予選を突破できなかったイタリアのベルルスコーニ首相や、チームの内紛ばかりが注目され、無残に敗退したフランスのサルコジ大統領らはこの話題に心穏やかでなかったようだと報じられています。
ちょうどドイツに着いた27日(日本時間では28日)は、20カ国・地域(G20)首脳会合の最終日で、ドイツ対イングランド戦が行われました。メルケルドイツ首相は会合の席で、「当日はサッカーを見る」と明言した上で、キャメロン英首相と一緒にテレビ観戦する考えがあることを明らかにしていました。メルケル首相によると、首脳会議の場でもW杯は話題になったそうです。
飛行機は、ミュンヘン空港に近付いてきたとき、機内放送がありました。「サッカーの速報をお知らせします。ただ今、ドイツが1点とりました。」しばらくして、「2対1でドイツが勝っています。」そして、着陸寸前、「まだ試合は終わっていませんが、4対1で勝っています。」と流れました。着陸して、荷物を受け取っている間に試合はドイツの勝利で終わったようでした。迎えに来ていた通訳さん曰く、大きな歓声が響き渡ったそうです。あと、その騒ぎの余韻はあまり感じませんでしたが、道々で、数人の若者が気勢を上げたり、バスを追い抜いていく車の屋根にはドイツ国旗が何本もなびいているのを見かけました。また、ホテルの近くのビアホールでは、サッカー観戦をで盛り上がっていました。
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そういえば、前回、ミュンヘンで行われたワールドカップの時も、私たちも、ちょうどミュンヘンに来ていて、町はその熱気に包まれていました。いよいよドイツ研修が始まります。

陶磁器

 日本各地には、さまざまな陶磁器があります。また、世界にもさまざまな陶磁器があります。進化論で有名なダーウィンの妻は、ウェッジウッド家の令嬢でした。彼だけでなく、ダーウィン家とウェッジウッド家は、少なくとも四度結婚しています。ウェッジウッドは、イギリスの陶磁器メーカーで、ジョサイア・ウェッジウッドによって1759年に設立されました。とても由緒があり、歴史があるメーカーですが、2009年1月5日、アイルランドの本社はグループの中核である英国とアイルランドの子会社について法定管財人による管理を裁判所に申請し、事実上経営破綻しています。
ヨーロッパでは、このウェッジウッドと並んで、ドイツのマイセンが有名な食器のメーカーです。このヨーロッパで初めて硬質磁器を生みだしたドイツの名窯「マイセン」は、約300年前、1人の熱狂的な美術蒐集家から始まりました。13世紀、ヨーロッパの貴族たちが中国から白磁を買い付けてきました。白磁の純白で薄く、硬く艶やかな硬質磁器はヨーロッパでは未だにつくりだすことのできないものであり、列国の王侯貴族、事業家たちはその美しさに魅せられてしまいました。17世紀、ヨーロッパでは中国の磁器や日本の伊万里などが盛んにもてはやされていました。そこで、こんな贅沢品を当地で作れないかと、やっきになって製法を見つけようとしました。18世紀初頭、ザクセン王アウグスト2世の宮廷錬金術師ヨハン・フリードリヒ・ベットガーが、「無価値の素材から『金』を作れる」と言い放った言葉を聞きつけた王は、それを証明させるために彼を幽閉しました。そこで、ベットガーは、数学者で哲学者のエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスに説得されて陶器の製造に乗り出すのです。そして1707年、赤い色の焼き物(ベットガー?器)、08年にはヨーロッパ初の白磁器(ベットガー磁器)の製造に成功したのです。ベットガーがその成果を王に報告すると、10年1月23日に磁器製造の独占権を持つ「王立ザクセン磁器工場」がドレスデンに建てられ、さらに製造の秘密を守るため、6月6日に工房がマイセンのアルブレヒト城に移設されたのです。これが、マイセン磁器です。
マイセン磁器の製造は機密保持が厳守され、従業員にも製造過程の一部のみが伝えられていただけでした。しかし1718年にウィーンで競合を立ち上げようと考えた職人の1人、サミュエル・シュテルツェルが製造技術を盗み出そうとしたため、偽装防止措置として1722年、交差した青い2つの剣の模様がマイセン磁器のトレードマークに認定されたのです。
このように、ドイツが誇るマイセン磁器ですが、初期には、中国や日本の磁器の影響を色濃く受けています。まず、絵柄ですが、中国や日本の絵柄である菊の花や竹などは、ヨーロッパ人には馴染みのないものです。その中にザクロがありました。見たことがなかったために、その模様を最初に見て玉ねぎと勘違いした絵付け師が、1939年に玉ねぎ模様の図案を作成し、それが後に大ヒットします。それが、「ブルーオニオン」という結う目に絵柄になるのです。また、マイセンは、日本の有田焼の柿右衛門に多大な影響を受け、今も手描きの伝統が守られています。
陶磁器だけでなく、ヨーロッパは、日本文化、芸術から刺激を受け、自国の文化を作り上げています。
今から、マイセンのふるさとドイツに出発します。ネット環境が整えば、明日から、ドイツ報告をしようと思っています。そこから刺激を受け、自国の保育カリキュラムを作り上げようと思います。

生活から産業へ

何回かブログでテーマに選びましたが、「グッドデザイン賞」という賞があります。この賞を、私は二度受賞していますが、その歴史は古く、1957年に始まっています。その制度が、50年以上もたっても、今日までもなお存続し発展を続けているのでしょうか。それは、時代によってあまり必要がなくなったものではなく、ますますデザインが重要になってきたからです。私のブログでも、たびたび取り上げるのも、デザインという定義は、時代によって変化をし、その変化が、他の分野にも影響を及ぼしているからです。デザイン賞とは、応募された対象の中から「優れたデザイン」を選ぶものですが、この「優れたデザイン」というものが変化しているのです。
「グッドデザイン賞(Gマーク制度)」発足当時の文書には、その目的について「商品の良質化により国民生活の向上、産業の発展及び輸出貿易の振興を図るため・・・グッド・デザインを選定公表する」と記載されています。当時、教育の目的にも似たようなことがありました。目的に「産業の発展」があるのです。当然、国を復興させ、国を富ませる課題はいつの時代でもありうることです。国が富むことによって、国民の生活が富んでくるという発想です。そのために、個人の思いはあと周りになり、一生懸命に働き、産業が発展してきました。それは、物だけでなく、建物、道路造りなどにも反映され、いろいろなものが作られてきました。それを後押しするかのように、いろいろな施設が作られました。私は、その一つが「保育園」出会ったような気がします。子どもにとっての施設というよりも、産業を発展させることを支えてきました。
ところが、2008年、グッドデザイン賞は大きな変更をおこないました。それは「産業から生活へ」を「生活から産業へ」と踏み換える改定です。産業を発展させることで、生活が良くなるのではなく、人々の生活が豊かになることで、産業が発展してくるという発想の転換です。それには、デザインのもつ「近未来を描く力」を、まず生活者である人々が感じてもらうために、デザインが生活者の意志をくみ取り、その支持を得うる具体策を提示していこう。そのすることによって、デザインは社会全体を推し進める大きな力となるのではないかという発想です。今日のグッドデザイン賞は、人間活動の様々な分野領域でデザインが新しい解答をもたらすことを示しながら、「明日の生活」を実現する手がかりを生活者、産業、そして社会全体に提供していこうとしています。
では、保育園という施設はどのように変貌を遂げたのでしょうか。「明日の生活」を実現する手掛かりになっているのでしょうか。もちろん、保育所保育指針には「子どもの最善の利益を考慮し」と書かれています。しかし、議論の論点は、少子時代における子どもたちの育ちをどう保障するのかという言葉よりも、「親の仕事と育児の両立支援」というように、「育児」という言葉も、親の行為です。ここ数日書いている江戸時代の子育て観も、子どものために「親の愛情」という言葉に隠れた「親の都合」を振り切ってまでも子どもをどう育てるかを考えています。子どもにとって、親が一番、親の元が一番ということでもなく、親が自分のことをするために子どもを誰かに預けるのでもなく、子どもを国の宝とし、さまざまなところで子どもの育ちを支えましょう、社会みんなで子ども中心に考えていきましょうという気概を感じます。それが、結局は産業を支えることになるのです。

今朝早く

今朝早く、テレビを見たでしょうか。夜中と言える午前3・00から午前5・00に、日本テレビを見ていた人は、日本全国で平均30・5%だったそうです。それは、もちろん、サッカーの第19回ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会第14日の日本対デンマークの試合があったからです。前回の06年W杯ドイツ大会の時、同じ時間帯で行われた日本対ブラジル戦の時は、視聴率22・8%でしたから、それを大きく上回る驚異的数字だったようです。また、瞬間最高も午前4時58分、後半25分に日本が2―0でリードしている場面で41・3%だったそうです。人の心理としては、負けていると見る気がしませんが、勝っていると見ようとします。また、今回のために練習試合で負けが続いた時には、岡田監督へのバッシングは相当なものでした。それが、勝ったとなると、突然、賞賛に変わります。人というものはかってなものですが、仕方ないかもしれません。
しかし、野球の優勝の時も同様ですが、うれしいのはわかりますが、東京でいうと、あの渋谷での大騒ぎはちょっと行きすぎの気がします。公衆の場で、人に迷惑をかけるのはやめてほしいと思います。また、今回、あったかわかりませんが、闘う相手に対する悪口や中傷もやめてほしい気がします。また、闘うときにも、昔から言われるように、正々堂々と戦ってほしいともいます。
その点で、今回対戦相手になったデンマークは、非常に優れている国のようです。事前のテレビで放送されていましたが、デンマークは、対戦相手に対する思いやりが深く、サポーターも必要以上には騒がないそうです。また、サッカーの危険行為に対する忠告として出されるレッドカードを出される率が非常に少ないようです。それがなぜかというと、デンマークが生んだ偉人アンデルセンの童話を小さいうちから聞かされているからだと言っていました。子どもたちのアンケートで、アンデルセン童話の中で何が一番好きかという問いに対して、「親指姫」が多いそうです。親指姫という話は、みんなの協力、思いやり、恩返しによって姫が幸せになるというストーリーで、その話からから、人に対する優しさが育まれたと言われています。
デンマークという国は、は大きく分けて、ドイツの北に延びるユトランド半島の東側に位置するシェラン島を中心にあまり大きくなく、人口は約 543 万人といわれています。この国が、フィンランドと並んで、よく福祉教育に取り上げられます。私も、かなり昔ですが、福祉や保育の実態を見るために行ったことがあります。シェイクスピアの戯曲「ハムレット」の舞台として有名な城であるクロンボー城に合間を見て一人で行ってきました。その時の列車の中のことを以前のブログで書きましたが、「犬可」という車両に乗り込んで感じたのが、福祉は障害者やお年寄りに優しいというだけでなく、犬を連れていようが、自転車に乗っていようが、乳母車を押していようが、それらが町を歩いたり、列車に乗ったり、店に入るときにハンデにならないようにすることだということを知りました。
家族を大切にし、個人を大切にするデンマークでは、専業主婦はまれで、女性はたいてい仕事を持っています。しかし、育児休暇中は日本と同じ1年間の保障で、その後は仕事に復帰します。しかし、原則として医療費はだれでも無料で、入院も、出産を含めて一切お金がかかりませんし、学校の学費は大学に至るまで無料です。その代わり、所得税は、個人収入の49.5%、消費税率は25%です。それでも、将来に対する夢と自信を持っている若者の率が、日本の若者が5%であるのに対して、デンマークは60%と非常に高くなっています。きっと、情緒が安定しているのでしょう。

幼児教育

幼児教育は、人生においてどういう意味を持つのでしょうか。2000年にユネスコが「万人のための教育」というのをまとめ、それと時を同じくして21世紀の「知識基盤社会」に対応した人材育成を目指して、OECDの教育委員会によるプロジェクトである「乳幼児における教育と養護(ECEC)政策に関する調査」をしました。その結果、乳幼児教育を「生涯教育」の第1ステージとしてとらえることにしたのです。そして、その第1ステージの出発点である乳児期において、より強固にスタートさせようということで「スターティングストロング」という、乳幼児における教育と養護(ECEC)において、保育の「質」に重点を置いた「出発点を力強く」と就学前教育の質改善に向けての政策提言をしています。乳幼児教育を、人生という長いスパンからどういう位置づけにするのかを考え、単に学校への準備期としてとらえないことを提言しています。「江戸の教育力」(高橋敏著 ちくま新書)の中にこんな文章があります。
「教育を長期スパンで考えるなら、文字を介さず耳を駆使し、声・語りの言語を通して有史以来、人類の歴史とともに行われてきた。この人類共同事業の教育にさまざまな異分子が発生、近代以降膨張しては細胞分裂し、複雑怪奇な教育現象を引き起こしているのが現況と考えてもおかしくない。事実、地球規模でいえば格差や差異は大きく多様であるが、世界中の誰もが辿る子どもから大人への、文字を介さない音・声・語りの非文字教育の意味を問い直すことが今求められている。江戸の教育力を支えていたのも、「一人前にする」という、有史以来綿々継承されてきた社会共同の非文字教育である。文明化、グローバル化の今の日本でも、どんなに変容、解体されようが、この赤子から子ども、そして一人前への非文字教育コースを通過しないものはいない。」
幼児教育から学校教育につないでいこうとするとき、学校の多くは、「教育は学校から始まる」と思っている節があります。確かに、文字教育は学校からかも知れません。しかし、子どもは生まれながらにして教育される権利があるのです。また、多くの教育は、地域の中で、地域の触れ合いの中で、地域の年中行事や冠婚葬祭、儀式の中で行われてきたのです。決して、親だけで、特に母親だけで子育てが行われてきたわけではないのです。また、学校だけで教育されてきたわけではないのです。
武蔵国北多摩郡狛江村和泉の玉川付近の出身であったことから自ら「玉川(ぎょくせん)」と号した小町雄八という人がいます。彼は、農民出身だったのですが、学問を重ね、晩年に心学道話を説きました。その講説をまとめたものが「自脩編」別名「玉川道話」です。その中に、親としての心得が書かれてある部分があります。
「子どもは、大人の言葉を聞いて決して忘れないもので、その見聞きしたものが、全て子どもの心を形作るのである。どんな些細なことであっても子どもに嘘をついてはいけない。また、子ども同士がケンカをして泣いた時に、わが子を贔屓することは、わが子をダメにすることである。子どものケンカの是非善悪を正す必要はない。親は自分の子どもを叱って連れ帰るべきである。」
「親子は同じ家で生活するために、子どもは親の良い面も悪い面もよく見ている。親といえども完全な人格者ではないため、子どもには親の非を咎める心が生まれるように、親子では道が行われにくい面がある。従って、良き師匠や友に子どもを託して道を学ばせるのである。」
「もともと、親は子どもに良いことを教えたいと思い、子どもは良いことを学びたいと思う心がある。その良いこととは、結局は「職業を身につけること」と、「父兄に仕えること」である。この二つは生きていくための根本である。考えてみると、田圃を耕すことも学問であり、文武諸芸を学ぶことも学問である。『論語』にあるように、学ぶことは行うことであり、行うことは学ぶことである。」

3歳

3歳児神話について、柏女霊峰氏が、著書「現代児童福祉論」の中で述べています。
「3歳児神話」とは,「3歳までは児童のその後の発達にとってきわめて重要な時期であり、母親が家庭で育てるべきである」とする考え方である。精神医学の領域では古くから、児童とりわけ乳幼児の発達にとって母親の存在がきわめて重要であるとする見解が主流になっていた。特にボウルビーらによる世界保健機構への研究報告が乳幼児期における母親からの分離経験がその後の児童の発達を阻害する危険性を提唱して以来、主として精神分析学者からのマイナスの影響にかんする指摘が続けられていた。」
この考え方は、世界における施設保育の是非を問う時に持ち出されます。また、保育園が持つ機能である「発達」「集団保育」「養護」にどのような関係するかということが議論され、ホスピタリズム論争をもたらしているのです。その影響は、今でも研究され、女性の社会進出が進む中、より重要な課題なのです。しかし、これは、アメリカでも研究された結果や、2001年から提案されたOECDによる、乳幼児期における用語と教育(ECEC)に示されたように、どうも「質」の問題ではないかということになっています。母性的養育の量よりも質的な欠如に問題があるとか、単に母が子どもから物理的に離れることの影響を問うのではなく,親子の相互交流の発達や質,子ども自身の特性・ストレス耐性などの諸要因を絡めた研究の重要性が主張されているようです。
柏女氏は、著作の中に「ホスピタリズムにみられる乳幼児の発達遅滞や障害は母性的養育の剥奪の結果によるものか、あるいは施設の養育環境自体の問題であるのかその検討が不十分である」とあるように、子どもへの影響は様々な要因が重なって表れるもので、何が何に影響しているのかは決めにくいものです。それは、良くも悪くも、どちらも決定づける結果は出ないような気がします。それは、最近の脳における前頭葉の発達における影響が何によって損なわれ、促されるかという研究でも同様なことがあります。たとえば、子どもがキャンプなど屋外活動をすると、前頭葉が活発に使われることはわかりますが、その中の何が促しているのかは、よくわかっていません。人は、さまざまな環境が複合的に絡み合って影響を受けていくからです。ですから、家庭がいいのか、施設がいいのかは簡単には言えないのです。
それなのに、柏女氏はこう言います。「一般にはいわゆる「3歳児神話」として定着し、これが一方では保育所に乳幼児を預けて働く母親の罪障感を生み、また、女性を家庭に留め置きたい男性側の、あるいは、女性のパート労働と同様、専業主婦の雇用調整のためのレトリックとしてしばしば用いられ、いわゆゆイデオロギー的性格をもつ結果となっている。わが国における女性就労のいわゆるM字カーブの存在もこの考え方が男性のみならず女性も含めて社会一般に受け入れられている、あるいは、受け入れざるを得ない状況に置かれている結果としてみることができる。」と分析します。
最近の研究では、むしろ保育環境(保育者と保育を受ける乳幼児との数比、保育者の質,提供される保育の内容)と家庭環境(家庭環境と安定性,保育経験前からの母子環境の状況,保育以外の日常生活経験)および乳幼児の特性等との相互的な関わりのあり方のなかで決定されると考えることが必要であるとしています。
私は、乳幼児教育の必要性は、少子社会における子ども環境の変化、子どもを支える社会の変化を考える必要があると思っています。

江戸時代の親

最近のイクメンではありませんが、江戸時代は、父親が育児をしていたようです。しかし、孟母三遷のように母親が子どもの教育のために一生懸命になる姿が昔から紹介されてきました。その母親の姿は、寺子屋の教材として取り上げられ、紹介されてきましたが、その解説に「女性でありながら、素晴らしい子育てをしている。いわんや父親であれば。」と書かれてあるのを見ると、父親が育児をするのが普通であることがわかります。その意味から、かつては「父兄」と言っていたのかもしれません。どうして、父親が育児をしていたのかというと、子どもは目に見えない格式などを引き継ぐものであり、先祖から預かったもの、預かりもので、父親が責任を持って育てるという気風があったからだといわれています。この子どもは自分の所有物ではないと云う考え方から、昨日のブログの「換え子制度」のようなことが提案されるのでしょう。
また、江戸時代には、母親が子育てに専念できない厳しい状況があったのもその理由だったようです。江戸時代、20代?30代の女性の死亡率は、男性の2倍もあったのです。その原因は、出産によるトラブルで、妊娠による病気や、難産、産後の日経ちの悪さが原因だったのです。また、農村では母親、女性は重要な労働力でした。女性として、出産時期が労働力としてもベストの時期なのです。ですから、江戸時代は父親が子育てに関わることなしでは考えられなかったのです。だからと言って、父親が一人で子育てができるわけはありません。そんな父親や家庭を助けるために、江戸時代には独特の地域システムがあったのです。いわゆる子育て支援が行われていました。
天保、嘉永、安政にかけての混乱した世相の中、農民の教化と農村改革運動を指導し大きな事績を残した大原幽学は、「子供仕込み心得の掟」20か条を掲げています。1、預かった子を家中のものが可愛いと思うようになり、人目を忍んで落涙する程の愛情をかけよ。2、男は15歳、女は13歳までに何事も一人前にできるようにならないと生涯の恥なので、十分に心がけさせよ。ただし、これは口で教えると口で覚えるので、とにかく行いを示して教えよ。3.食事について意地汚くならないように心がけよ。4、子供が人の悪口を話すときは、家中内挨拶もせず知らぬふりをするが良い。5、人に呼ばれた時は、必ず返事をしっかりとさせるべきである。そして、最後の結びには、「ただ情の深いのが極上である」と書かれてあります。
こんな幽学ではありましたが、親子の課題は何かというと、一人前になれない、親離れできない子どもというよりも、子離れできない親の問題でした。彼は、村人を立て直す同情として「改心楼」を建設して、子どもを独自に教育しようとします。その時に一番問題になったのは、甘やかす親と甘ったれる子どもであったようです。親子の情は、時として仇になることが多いことを指摘しています。子どもへの愛情がいつのまに溺愛になり、放蕩息子をつくることになって家は破産し、断絶することがままあったのです。ですから、子どもは小さいうちから第三者、今でいう保育園に入れるのがいいとしています。そ子に入園させるのは、子どもを愛しているからこその行為であり、子どもを放り出すことではないことを強調しています。幽学たちは、幼いころから他人に面倒を見られるのは、親のありがたみ、他人の情けを知り、他との協調性、忍耐力を身に付けさせ、一人前の人間に育つためには非常にいいことであるとしています。
子どもは、小さいうちは親のもとで育てるのが一番いいとする3歳児神話は、今では政策上の作戦であることはよく知られています。

親とは

 先日、ある幼稚園団体から講演依頼が来ました。その内容は、主任格の先生に、保護者に対して、子どもにとっては親がとても大切であることを話すことについての研修会をしてほしいということでした。今回の保育所保育指針でも、保育園は、「家庭の補完」から「家庭との緊密な連携のもとで」に変わりました。幼稚園、保育園は、保護者と連携を持ち、ともに子どもを見守っていかなければなりません。それは、もちろん学校に行っても同じことが言えます。しつけは親の責任だ、いや学校に任せるということではなく、ともに育てていくといったイメージです。
 そんな保護者の役割、保護者による家庭での育児に対して江戸時代の寺子屋ではどうだったのでしょう。今よりは親は忙しかったでしょうし、もちろん専業主婦のように育児に専念できる余裕もなかった時代です。また、それほど高い学問を修めている親もそう多くはなかったはずです。
 千葉県香取郡干潟町(今は、合併して旭市)に、平成8年3月15日大原幽学記念館を設立されました。ここは、大原幽学の遺跡と大量の資料が所蔵され、平成3年には407点の幽学関係資料が国の重要文化財に指定されました。大原幽学は天保、嘉永、安政にかけての混乱した世相の中、農民の教化と農村改革運動を指導し大きな事績を残した人物です。道徳と経済の調和を基本とした性学を説き、農民や医師、商家の経営を実践指導しました。性学とは、欲に負けず人間の本性に従って生きる道を見つけ出そうとする学問のことです。その代表的なものが「先祖株組合」の結成です。お互いに助け合い、生活を改善していくための村ぐるみの組織で世界最初の協同組合となりました。また、最近の生協と同じように共同購入によってのメリットや、耕地整理、住居の分散移なども行い、日常生活の細部にいたるまで規律をつくりその心を指導したのです。
その彼は、子どもの教育・しつけのために換え子制度を奨励しました。 NHKテレビの「歴史は眠らない」という番組がありました。その中の「ニッポン母の肖像」の第一回は、「大江戸子育て事情」で、換え子制度の説明をしていました。江戸時代、子どもは、「家」そして家の財産や格式を引き継ぎ、それを次代に伝える重要な役割を担っていました。そうした子どもを大事に育て、一人前にする責任を負っていたのは父親でした。ですから、江戸の父親の子育て熱は、藩主から農民までさまざまな立場の人にまで広がっていました。そんな“父の子育て”を支えたのが、地域社会での義理の親・「仮親」の存在でした。その子の通過儀礼ごとに結ばれ、以後生涯にわたって続く擬似親子関係は、母親が出産で命を落とすことが多く、子育てに専念するのが困難だった時代の「子育てセーフティーネット」でもあったのです。こんな社会状況の中、大原幽学は、荒廃する地域社会を立て直すため、互いの子どもを替えて育て、“村の子すべてをわが子のように”する「換え子教育」を奨励します。様々な身分階層において,子どもを地域社会で共同して育てるべきであるという考えを提案するのです。わが子に養育料をつけ、一定期間、他家に預けて教育してもらう方法で、一軒に1,2年ずつ預け、これを数年間続けます。なかには10年以上預ける場合もありました。
幽学は「道徳百話」にて、「どんな子どもでもわが子は可愛いもので、子を思う気持ちに自他の区別は無いはずである。だから、自分の子、他人の子という区別をしてはならない」という基本姿勢を持ちます。ちょっと極端な提案ですが、親子とはどんな関係かを考えてしまいます。