街を歩いて発見するものに、大きく二通りあります。ひとつは、昨日のブログに書いたように歴史的な場所を見つけることです。こんな場所で、こんなことが行われたのだという思いに馳せることは歩く楽しみでもあります。もうひとつは、さまざまな自然と出会うことです。こんなところにもこんな花が咲いているのだ、こんな鳥が飛んでいるなどの発見も楽しいものです。都会では、その自然からも歴史が見えてくることも多く、いろいろなところがつながってきます。
先日、石神井公園の中の三宝寺池で「かきつばた」が咲いているのを見ました。
この池は、昭和10年12月に、国の天然記念物に指定された沼沢植物群落を有する池ですが、このかきつばたは特に珍しいものではありません。しかし、その美しい紫色に惹かれて写真を撮りました。私のマウスパッドはかきつばたの絵をモチーフにしています。

「かきつばた」といえば、1701~04年頃、尾形光琳が40代前半頃に手がけたとされる傑作、国宝「燕子花図屏風」の絵を思い浮かべます。この作品は、平安時代に成立した、最も著名な日本の歌物語のひとつ「伊勢物語」の第九段「八橋」の場面を描いた作品だといわれていますが、どうでしょうか。伊勢物語ではこうなっています。三河国(現在の愛知県知立市八橋町近辺)に、水が蜘蛛の手のように分かれて流れているために、八つの橋を渡したことから名付けられたとされている八橋というところがあります。都には自分の居場所がないと思った在原業平は、同じ気持を共有していた友人たちと、京から愛知へ道に迷いつつ下り、この八橋にたどり着きます。そのとき、「その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、『かきつばたという五文字を句の上にすえて、旅の心をよめ』と言ひければ、よめる、からころも 着つつなれにしつましあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙おとして、ほとびにけり。」(川のほとりで食事していると目の前には燕子花が咲き乱れていた。それを見ていた友から「かきつばた”の5文字を上の句にして歌を詠め」と促された業平はこう歌った。唐衣 着つつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ(着慣れた着物のように親しく思う妻が都にいるのに、はるばるこんなところまで来た旅を悲しく思うのだ)これを聞いた友人たちは思わず飯の上に涙を落とした)というものです。各句のはじめをつなぐと「かきつばた」になるのですが、これは「折句」という技法が使われています。この歌のすばらしさは別として、この歌のイメージと、尾形光琳の屏風の絵の力強さとは、あまり結びつかないかも知れません。
結びつくといえば、この場所の八橋といえば、京都の銘菓である「八ツ橋」を思い出します。そして、このお菓子と、在原業平の歌と、尾形光琳の屏風と結びついてきます。八橋を販売している店の包装紙や容器のデザインに屏風絵が使われていたり、戦前には「騎馬の在原業平像」も包装紙に使用していたりしていたからです。しかし、戦後、「京名物としての八ツ橋」の由来を、高名な歴史学者に委嘱し、詳しく検証して行く過程で、「八橋検校由来説」が最も信憑性が高いことがわかったようです。それは、近世筝曲の開祖と呼ばれる八橋検校の歿後、彼の遺徳を偲んで、墓所のある京都黒谷金戒光明寺に参詣に訪れる人々が後を断ちませんでした。このため門弟たちは、八橋検校に因んで琴を形取った焼菓子を「八ツ橋」と名付けて、参道の黒谷の森の茶店で売り出したのが始まりだというのです。

「八ツ橋」といえば近頃では、生八ツ橋や、つぶあんを生八ツ橋で包んだ三角形のものしか食べないので、もともとが「琴」の形をしていたことを忘れていました。一見関連性のない歴史や土地が、「かきつばた」という可憐な花から思い起こさせてくれました。
少し和歌のお勉強をしてみましょう。「折句」の技法は、次の歌にも見られます。
夜も涼し 寝覚めの仮庵(かりほ) 手枕(たまくら)も 真袖(まそで)も秋に 隔てなき風
夜は憂し ねたく我が背子 果ては来ず なほざりにだに しばしとひませ
表向きは男女の恋のやりとりですが、最初の句の折句では、「よねたまへ(米給へ・米をください)」と読めます。また、後ろから読むと「せにもほし(銭も欲し)」と読めますね。これは「沓」という技法だそうです。一方、返歌のほうには、折句に「よねはなし(米は無し)」、沓に「せにすこし(銭少し)」という言葉が隠されています。なかなか粋ですね。これは、「徒然草」の吉田兼好と友人の頓阿のやりとりです。昔の日本人には、言葉遊びの才があったようです。
かきつばたの紫色は、写真で見ても不思議な美しさのある色ですね。散歩をする時に写真を撮ることはあまりありませんが、こういうシーンを写真に撮るためにその部分に注目することで、見ているだけでは考えない部分に思いがいくということがあります。思いを深めるために写真を撮るということも意味のある行為かもしれません。それにしても、かきつばたから八ツ橋へ話が展開していくとは思いませんでした。
「かきつばた」恥ずかしながら花にはうとく、聞いたことある名前でも実際の花とは結びつかず、この写真を見てこの花なのかと思いました。しかし、緑の葉の中に映える紫色がなんとも美しい花ですね。また、藤森先生のマウスパットの絵と重ねてみると、とても日本の風情というか、趣があるように思います。また、歌の言葉遊びそういったものはなんとも粋な遊びですね。今の時代ではものがあふれている分そういった現地の人とのかかわりもなかなかないのが少しさびしく感じました。
それにしても、「八つ橋」が元をたどれば京都ではなく愛知にルーツがあるのにびっくりしました。昔からある銘菓というものにはそこの土地だけではなく意外な歴史があるのでしょうね。
写真の花は時々見かけることがあります。道端と言うよりも、公園で見ると思います。あと、たまたま今日は日曜日で「サザエさん」を見ていましたが、庭に咲いている花は「かきつばた」のような気がします。そんな綺麗な花「かきつばた」から、京都の銘菓八橋が関連するとは、思ってもいませんでした。藤森先生の散歩は、ちょっとした植物や建物、地名から様々な物が関連してくるのは、本当にすごいとしか言いようがありません…。
♬ いずれ あやめかかきつばた ♬ ということで、今回のかきつばたの写真も色鮮やかです。何とも美しい。「石神井公園」には私も行ったことがありますが若かりし頃ですから花より云々、まぁ致し方がありません。そして、尾形光琳傑作、国宝「燕子花図屏風」。現在、東京青山の根津美術館で絶賛公開中!!!尾形光琳といえば、熱海MOA美術館の国宝『紅白梅図屏風』もあります。これは今年の公開を見逃しました、ザンネン!そして「八つ橋」とくればこれは国宝「八橋蒔絵螺鈿硯箱」ときます。東京国立博物館所蔵。しかも切手になっています。1955年発行の500円切手。未使用美品カタログ評価額何と12000円!!!「八つ橋」切手、切手マニアにとってはアイドル的存在です。