上海万博が始まった5月3日の読売新聞編集手帳に、こんな事件のことが取り上げられていました。「120年余り前、清国の丁汝昌・提督率いる北洋艦隊が、7千トン級の軍艦を旗艦として、長崎港に寄港した。当時の日本海軍には3千トン級が1隻あるだけ。日中海軍力の差は歴然としていた。上陸した水兵たちが粗暴な振る舞いを引き起こしたものの、当時の明治政府は“腰を低くして清国艦隊のご機嫌をとり、清国水兵と衝突しないよう一般市民に指示した”(石光真清著『曠野の花』)という。世に言う“長崎事件”だ。」
この事件から思い出すのは、黒船来航でしょう。国民はさぞかしびっくりしたでしょうね。それを観た人たちは、さまざまな思いをしたでしょう。NHK大河ドラマの中で、坂本竜馬が、目の前を通り過ぎる黒船を観たときの迫力は、テレビを見ている私たちにも伝わってきました。実際にその姿を観たら、そんな国を排除したり、そんな国と戦争したりしたらかなわないと思うのも当然でしょうね。机上の上でだけの理屈で、外国が侵略してくるという危機感から攘夷すべきだという考えを持つのと、実際に外国の文化を見たときとは違います。しかし、それをしばらくたってから検証することも必要です。外国の圧倒される文化に触れての驚きだけで、すぐにそれを真似しようとしたのも少し違う気がします。落ち着いてから日本の文化を検証すると、なかなか外国にも劣らないものを持っていることに気がつくはずです。
どちらにしても、実際に見てみないと始まりません。それは、坂本竜馬など、国を憂えていた若者たちも例外ではありません。龍馬は江戸湾の警備の一員に加えられますが、瞬く間に日本中に広がった「黒船来航」の知らせを聞いて、持ち前の好奇心からいてもたってもいられず、自分の持ち場を離れ、黒船が停泊しているという浦賀に向かいます。その途中の品川沖で、ペリーが江戸幕府の煮えきらぬ態度に業を煮やし、江戸湾に向かわせた黒船と遭遇します。この黒船との衝撃的な出合いが、龍馬の大きな人生の分岐点です。この龍馬に思いを馳せたくて、砲台跡に行ってみました。
品川の少し先の立会川駅周辺はかつて、旧・土佐高知藩 山内家の下屋敷があったことで知られています。

このあたりから海のほうに行ったところに土佐藩が築いた浜川砲台があったようです。その砲台が、龍馬が藩の命を受けて警備についた場所のようです。ですから、その持ち場を離れて黒船を見に行った場所は、そのあたりの江戸湾沿岸だったようです。そんなことで、高知から龍馬の像を譲ってもらっています。
砲台跡は、今は住宅になったとのことで、全くその形跡もありませんでしたが、2004年に宅地造成地から50~120cmの石が見つかっているそうです。
かつて約1万6,800坪の大屋敷だった土佐藩下屋敷のあった一帯の中に、小高い土佐山という丘があります。そこからは江戸湾が望まれ、その景色が気に入り、故郷の地よりも当地への埋葬を望んだ土佐藩15代藩主・山内豊信の墓があります。
山内家の墓から離れて妻と二人きりで並んでいる墓は、幕末のあの騒々しさから比べるとなんだかさびしい気がしました。しかし、彼らが歩んできた人生は、歴史が大きく変わるときにかかわることができてエキサイティングだったでしょう。変化の時は大変ですが、やりがいはあります。
黒船来航で日本中がてんやわんやの大騒ぎになったと思いきや、右往左往したのは幕府や一部の攘夷派の武士で、一般庶民はいたって平静だったようです。実はこの当時、すでに諸外国の船が日本近海に頻繁に姿をあらわしていたので、ああ、またかというぐらいだったようです。あの吉田松陰が黒船来航の報を聞いて25時間後に見物に行った時のことを書いた日記に『土人(浦賀の地元の人)甚だ憂ふるの色あり。然れども絶えて騒擾の態なし』(地元の人は心配しているが騒いではいない)とあります。それどころか、小舟を漕ぎ出して黒船のそばへ行き、乗員と物々交換をで珍品を手に入れようとしたり、外国人相手に商売を始める輩もいたようで、庶民は幕府よりもしたたかでたくましかったようです。『たった四はいで夜も寝られず』だったのは幕府の役人だったかも…。
歴史が大きく変わろうとしているところを、多くの人が実感した時代だったんでしょう。そのことを自分の事として捉え、行動に移したからこそ、坂本龍馬は語り継がれているんだと思います。変化は目に見えにくい形で訪れることもあります。それを感じ、さらによその出来事と思わず自分のことと思えるかどうかが、それが大事なことだと思います。変化の時の大変さを楽しめるようになるまで、しっかり向き合いたいと思います。
現在の大河ドラマは主人公の坂本龍馬をはじめ、日本を変えた多くの人物が一緒の時代を共に過ごしています。本当にこの時代に生きてきた人物は毎日がエキサイティングだったと思います。大河ドラマで龍馬を演じている福山さんの演技が上手なせいもあるかもしれませんが、龍馬の好奇心、探究心というのが、どれだけあったのか伺えます。ただ龍馬だけでなく、それを取り巻く周りの人物達も同じくらいの好奇心があったと思います。それが原動力となり、日本を変えることができたと思います。すみません、ちょっとブログの内容と離れてしまいました…。
幕末という時代はなんとも日本という国が変わる部分がそれまでの時代より大きく、政府だけではなく庶民にまで関わることが大きかった時代のように感じます。また、海外の文化や思想もこれまで以上に入ってきたのではないでしょうか。そのため、日本の国の中ではいろいろな考えが交差しとても大きな渦になったのでしょうね。そんな中で坂本龍馬という人物の探究心や好奇心、行動力がそのほかの各藩主や用人たちの心を動かし、今に至ったんでしょう。ただ、坂本龍馬がすごいのがその国を変えるために動く行動力でしょうね。考えだけではなくそのほかの人たちに与える影響力がものすごかったのだろうと思います。そんな時代の中を生きた土佐藩15代藩主・山内豊信も土佐山から江戸湾が多くの思いをはせたのでしょうね。
「丁汝昌・提督率いる北洋艦隊」の結末は昨年暮のNHK「坂の上の雲」で私たち一般的日本人の知るところと成りました。そしてほんの数十年前にはわが国政府は「腰を低くして清国艦隊のご機嫌をと」っていた事実を今回のブログで知るに及びました。歴史変遷のエネルギーを感じます。今回の「上海万博」、先の「北京オリンピック」と合わせて、本当に歴史の大きな動きを実感せざるを得ません。中国が改革解放政策を採ってからどれほどの月日が経過しているのでしょうか。かつて円借款の対象国だった国が今や円の国を下支えしている。わが国の年輩者のみならず東アジアの近現代史を知るものにとっては驚くべき歴史の変遷です。「変化の時は大変ですが、やりがいはあります」。江戸幕末より150年の現代日本。大いなる転機に今さしかっているのでしょう。