老子

日本人の考え方にずいぶんと影響を与えた書物に、寺子屋や藩校で教科書として使われていた四書五経がありますが、その中の、論語、大学、中庸、易経を簡単に素人としての見方で解説してみました。しかし、これらは、どうしても道徳的な戒めが多く、どの人も君子にならなければと固く考えてしまいます。中国の人々も、儒教が国教となってから、やはりそういう思いをしたようで、そんなとき、老荘を思い出して、少し肩の力を抜いたようです。老荘思想とは、やはり中国で生まれた思想で、道家の大家である老子と荘子を合わせてこう呼んでいます。そうは言っても、この老荘思想を読めば力が抜けるほど、私はレベルが高くなく、それどころか、その思想からも学ぶことが多くあります。
日本人に影響を与えた思想として、儒教、仏教、道教が三大思想といわれています。その思想家の代表が孔子、釈迦、そして、老子で、三人は、ほぼ時を同じくして在命していたと言われています。しかし、この中で老子は、謎が多く、その人生も伝説的なことで包まれ、その書物や思想でさえ、彼のものではないかといわれているほどです。彼の表した書物の代表的なものであり、道教の開創の書として後世に伝わる「老子道徳経」の成立についてもこんなことが言い伝えられています。「紀元前600年頃の周の時代に、周の西方国境である函谷関で関所の役人を勤める尹喜は、ある日、青い牛にまたがってやって来る一人の老人と出会います。その老人にただならぬ徳の高さを感じ取った尹喜は思わず老人の前に跪き「おそらくあなた様は隠遁されるのであろうとお見受けします。その前にどうか私のために道について何か書き残していただけないでしょうか」懇願しました。彼のあまりの熱心さに、その老人はしばらく関所にとどまり、道と徳の意味を述べた書物を著したのち立ち去り、その後の消息はようとして知れないと言われています。」この書物は、さすが関所で短い間に書かれただけあって、五千余字からなる短い書物です。その中は、上篇の「道経」と下篇の「徳経」の二篇により出来ています。
その第1章は、「道の道とすべきは常の道に非ず。」とあります。老子の思想は、「道」について考えることが中心なので、道教と呼ばれますが、この道を中国語では「タオ」と言い、老荘思想のことを「タイオズム」とも呼ばれています。「道」について考えようという思想の第1章で、構えていた力が抜けていきます。「道というものは、定義できない」というのです。それは、他のあらゆる定義というのは言葉によってなされるものですが、道という概念は言葉に先立つものだからといいます。ただ、このときの「道」は、道そのものではありませんし、○○道というようなものでもありません。もっともっと奥深いものなのでしょう。しかし、そんな道であっても、言葉で表したり、普通の人が思うような「永遠不変」のようなものではないのです。人は、自然との共生の中で生きています。人は自然に育てられ、人は自然を生かし、自然と生活してきました。そんな自然とともに生きていくことこそ、自然なことなのです。名誉を求めたり、地位を欲したりするような生き方の中には幸せはないのです。老子にとって、立身出世とか名誉のために汗水流して努力するなど全く無意味なことで、自然と一緒に、自然のように生きることを目指したのです。それは、人間の生命は自然が作り、自然が育ててくれているからです。
老子は、世界の常識、世界の価値観を飛び越えて、のびのびと、自由に明るく、心豊かに生きていくことを提案しているのです。