一陰一陽2

先日訪れた温泉津温泉は、島根県にありますが、この地方を中国地方の中で山陰地方と言います。それに対して、瀬戸内海側を山陽地方と言います。この分け方は、易経の「陰」と「陽」の考え方を用いたのでしょう。それは、日が昇る方を「陽」、日が沈む側を「陰」としたのです。物事を、陰陽に分けてそのバランスをとっていくということは一見理解しやすい概念です。それは、いろいろな所に使えます。たとえば、「陰に偏ったり、陽に偏ったりすることから病気が生まれる」というようにですが、実際にそれがどういうことであり、どのようにしていけばということをすればいいかというと、たとえば「かたよった食事をしない」「デスクワークだけでなく、戸外運動もたまにはする」と分かりやすくなります。ただ、それは中庸がいいとか、バランスが大切というと簡単ですが、儒教の中で「中庸」が特に大切であると孔子が言ったように、実はなかなか難しいことです。
 「一陰一陽之を道と謂う」というように、陰陽の世界は、天地の生命力の大作用なのです。陽が盛んに活動している時は陰が潜み、逆に陰が盛んに活動している時は陽が潜みます。このバランスの中では、どちらがいいということではありません。善悪で判断すべきものではないのです。「仁者はこれを見てこれを仁と謂い、智者はこれを見てこれを知と言い」というように、一陰一陽の道を、憐れ深い人は、これは仁愛の道であるといい、知識ある人は、これを知恵の道であるというのです。学者など研究者は、どちらかに偏ってしまったり、自分の分野からだけからものを見たり、考えたりしてしまいます。実は、仁は人を愛し憐れみ恵む陽の徳、知は物事の道理を究め知る陰の徳であり、そのバランスが道なのです。また、「百姓は日に用いて知らず」というように、一般大衆は、この道理を日々の生活の中で実践し、無意識に感じているのですが、それがどんな法則の中で行われているのかを知りません。ですから、「故に君子の道は鮮(すくな)し。」というように、この陰陽をきちんと理解し、それを実生活に生かすことができる人は少ないのです。
私たちの人生は、一陰一陽の作用の中で営まれています。その中で、おおむね、「陰」と「陽」の分け方は、「陽」は非常に行動的で、能動的であるのに対して、「陰」は、受容的、内省的な性格を持っているとします。その考え方で行くと、男は「陽」で、女は「陰」、母親は「陽」で、息子は「陰」となり、母親は女性という立場からすると「陰」ですが、子どもに対しては「陽」という立場になると解説しています。しかし、私は、最近の考え方では、子どもは「陽」であると思っています。子どもは非常に活動的な生き物ですし、能動的な生き物です。その行動を受容するのが大人でしょう。母子関係は別として、少なくとも保育における保育者と子どもの関係では、保育者はあくまでも「陰」であるべきだと思っています。それは、非常に「陽」である子どもとのバランスです。子どもは、自らの中に「陰」を持つことを学んでいません。何でも知りたがり、なんでもやりたがるのです。また、逆に保育者が「陰」が強くなければ、子どもの探究心を引き出せないと思います。保育者はあくまでも子どもを信じ、慈愛をもって受容する精神が必要です。その保育者の心得が「MIMAMORU」だと思います。