勝と龍馬

 昨日から、若い人でにぎわう長崎に来ているので、易はちょっと休憩して、若い人にも人気のある話題に少し変えます。NHK大河ドラマ「龍馬伝」が相変わらず好調で、各地は龍馬を訪ねてにぎわっているようです。この連休も大変でしょうね。私も、その舞台となる地を、毎年の恒例で時間を見ては妻と訪ねることにしていますが、今年は混んでいるので、工夫がいるようです。その中で、4月初めの日曜日に勝海舟の屋敷跡を訪れました。
その場所は、六本木ミッドタウンから赤坂側に降りたところにある氷川神社の裏手にありました。この社殿は、享保15年(1730)に、造営の奉行は老中岡崎城主水野忠之に命じて、8代将軍徳川吉宗により建立されたものです。訪れた氷川神社は、桜がほころび始めたころで、街中でありながらひっそりしていました。
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その裏手にあるという「勝海舟邸跡」は、周りを何度かぐるぐる回りましたが、なかなか見つかりませんでした。やっと見つけた碑は、喫茶店のわきの茂みの中にありました。
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そのそばにある「勝海舟邸跡の記」にはざっとこう書かれてありました。「この地は、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が安政六年(1859)から明治元年(1868)まで住んだ旧跡である。海舟は終生赤坂の地を愛し、三カ所に住んだが、当初居住中の十年間が最も華々しく活躍した時期に当たる。(中略)文久二年(1862)十一月、海舟を刺殺しようとして訪れた旧土佐藩士坂本龍馬らに世界情勢を説いて決意を変えさせ、逆に熱心な門下生に育てて、明治維新への流れに重要な転機を与えることになったのもこの場所である。」
先週の大河ドラマの内容は、「龍馬が、松平春嶽から紹介状をもらいうけ、勝麟太郎の屋敷を訪ねます。龍馬は勝の弟子にしてほしいと頼みますが、勝は拒否します。続いて勝の屋敷を訪れた武市から、龍馬の“幕府も藩もいらぬ”という言葉をきいて興味を覚えた勝は、再び龍馬を呼び出し、弟子にすることを決め、龍馬を品川の咸臨丸に連れて行く。」というものでした。 碑からすると、坂本と勝が出会ったのは、この場所のようです。一説には、脇の氷川坂で出会いがあったともいわれています。今回のテレビの中で、勝役が「龍馬かぶれ」で有名な俳優で歌手の武田鉄矢が演じていますが、金八先生のイメージが強かったり、福岡のイメージだとか、あくが強いキャラクターが強い分、勝役には賛否両論があるようです。しかし、当の本人は、一昨年、「龍馬を育てていただきたい」と勝役のオファーを受け、「思わず目頭が熱くなった」と感激。自宅の部屋に飾ってある龍馬の写真の前に、小さな杯と、龍馬の好物だった混ぜご飯を供えたといいます。
勝と出会った龍馬は、勝の愛弟子になり、龍馬の思想に影響を及ぼします。開国主義も海運国の降盛も、勝の指導によるものともいわれ、薩長同盟が成功したのも、勝が龍馬に西郷を紹介したのが始まりだともいわれています。龍馬のほうも、勝に仕えていたのがとてもうれしかったらしく、故郷の姉にあてて、「おれは今、勝海舟と言う日本第一の人物の弟子となって働いている」との手紙を再三にわたって送っています。また、勝の有名な言葉に、「薩長連合、大政奉還、あれはみんな龍馬ひとりでやったことさ」というのがありますが、龍馬は勝からの評価も高かったようです。
勝は、一度引退の徳川慶喜に従って、静岡市に移りますが、再び上京し、満76歳で亡くなるまで赤坂区氷川町四番地に住み、ここでの話をまとめたのがこの地名をとった「氷川清話」です。この屋敷跡は、区立氷川小学校敷地として使われていましたが、児童の数が減り、廃校になっています。いまは、老人施設などになっていて、石碑だけが残っています。
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勝と龍馬” への6件のコメント

  1. 吉田松陰に学んだ高杉晋作、緒方洪庵の弟子が福沢諭吉、島津斉彬を師とした西郷隆盛、そして生涯勝海舟を師として仰いだ坂本竜馬。幕末に生きた人物はその人の人生に多大な影響を与えた師匠を持っている。師匠と決めた人がいる人は幸せだと思う。私にも二人、人生の師匠と思い定めた人がいる。日本第一の人物だと確信している。いつまでも師匠の志を共有できる人生でありたいと思う。

  2. 坂本龍馬にとっての勝海舟の存在を考えてみると、やはり尊敬できる生身の人間がいることの意味は大きいんだろうと思います。素晴らしいことが書かれた本もあります。歴史上の人物の生き方から多くのことを学ぶこともできます。でも、尊敬できる人に出会い、そこから学ぶことほど、影響を受けることはないように思います。損得を抜きにしてどれだけの人と出会えるか。そのためにも謙虚さの基準は高く持っておかなければと思っています。

  3. 今回のブログと先週の「龍馬伝」を見て坂本龍馬と勝海舟の師弟関係というのに、とても興味が湧きました。ただ大河ドラマも途中から見たので、最初の出会いは見る事はできませんでしたが、最初は暗殺するために訪れたそうですね。しかし、そうだったとしても坂本龍馬が勝海舟という人物を出会う事ができた理由も、龍馬の好奇心や探究心、そして日本を変えたいという大きな志が運命的な出会いを実現させたような気がします。思いが強ければ強いほど、実現するものなのかもしれません。そういう意味で武田鉄矢が勝海舟の役が来たのも、龍馬に対する思いのおかげでしょうか…。

  4. 坂本龍馬ははじめ勝海舟を刺殺しようとしていたのですね。とても意外でした。しかし、そこから勝海舟を師事し多くのことを学び、そこから大きくなった坂本龍馬にとって勝海舟の影響力は相当大きいものであったと思います。坂本龍馬と勝海舟一見、坂本龍馬が勝海舟から学んだことばかりのような気がしますが、勝海舟自身も坂本龍馬の“幕府も藩もいらぬ”という言葉に興味を持ったというのを聞くと、お互いに高めあっていたのではないかと思いました。そういった師弟愛というのがまたかっこいいですね。

  5. 先日古本屋に入り『氷川清話』を見つけました。立ってパラパラページめくり、購入しようかな、と思いながら結局買わずじまい、でした。いつか購入してじっくりと読んでみたいですね。坂本龍馬について一体どのように語っているのか、とても興味があります。「龍馬ひとりでやったことさ」と薩長連合、大政奉還の立役者にするところなど勝海舟大人物、と思えてきます。幕府に勝海舟がいたおかげで日本歴史の大転換点が事の大きさに比してスムーズであったと思います。江戸が戦火で焼け野原にならなくて良かった。勝海舟は考えたのでしょうね、どうしたら江戸を戦火から護れるか。その理由はやはり江戸という地そして江戸の人々が好きだったからでしょう。

  6. 先日古本屋に入り『氷川清話』を見つけました。立ってパラパラページめくり、購入しようかな、と思いながら結局買わずじまい、でした。いつか購入してじっくりと読んでみたいですね。坂本龍馬について一体どのように語っているのか、とても興味があります。「龍馬ひとりでやったことさ」と薩長連合、大政奉還の立役者にするところなど勝海舟大人物、と思えてきます。幕府に勝海舟がいたおかげで日本歴史の大転換点が事の大きさに比してスムーズであったと思います。江戸が戦火で焼け野原にならなくて良かった。勝海舟は考えたのでしょうね、どうしたら江戸を戦火から護れるか。その理由はやはり江戸という地そして江戸の人々が好きだったからでしょう。

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