時の書1

 今の時代に求められる「学力」を評価するために「学力テスト」が行われます。私は常々「Plan Do See」ではなく、「Do See Plan」であるべきだと思っていますが、これは卵が先か、ニワトリが先かという議論と同じで、まわっているものですので、結局は同じことを言っているのかもしれません。しかし、人類が生まれてから今日まで、生きる営みは決して計画されてきているわけではありません。そして、その生活の中での経験や体験からより効率良くしようということを検証した結果、次回の行動を計画するようになったのだと思います。ですから、時代の変化は、常に計画より先に起きてくるもので、その変化をよく見なければなりません。それは、その変化の中で、変わらないものを見つけることでもあるのです。
私は、江戸時代までの日本における教育というシステムや教材に興味を持っていますが、その中で教科書として使われていた「四書五経」という、儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経があります。四書とは「論語」「大学」「中庸」「孟子」であり、このうち「大学」「中庸」は、五経のうちの一つとされている「礼記」の一章を独立させたものです。その四書について、このブログで何回か取り上げました。特に、この「礼記」から抽出された「大学」「中庸」については今回特に興味を持ったところです。しかし、五経の「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」は、「五経を以て四書よりも高しとする」といわれるほど重要のようです。しかし、これらは難しいですね。この五経をどのようにして藩校、寺子屋で教えていたのでしょう。四書のほうは毎日音読、復唱することで何となく意味が伝わってくるのですが、五経のほうはそうはいかないと思うのですが。また、内容も、今の道徳のようにも思えますが、その書からは、ただ人の生きる道を解くだけでなく、宇宙観を持ち、時間空間をも視野に入れた壮大なこの世の物語でもあるように私には思えます。ですから、それを読み解くのは私には無理ですが、その中の言葉、文章を切り取って、それを今の時代に生かす工夫はできると思います。
四書五経の筆頭に挙げられているのが中国最古の書である「易経」です。この書は、「帝王学の書」「学問・智慧の書」「哲学・倫理の書」、「処世術の書」、「道の書」などと言われていますが、多くの人のイメージは、「占いのテキスト」かもしれません。 しかし、本当は、「よく易を修める者は占わず」という荀子の言葉にあるように、よく易を学んだならば、占わなくても先々を知り、行うべき行動を判断することができるということなのです。ですから、易経は「時の書」ともいわれ、自分のおかれている立場など、出処進退に関する行動の指針となるべき法則、リーダーに不可欠である「時」の本質を見抜く洞察力、 わずかな「兆し」で将来を察知する直観力、危機管理能力を養うための指針ともなると言われています。
ずいぶんと前置きが長くなりましたが、少し、この「易経」について、今の時代に通用する、わかりやすい部分だけ、解説してみようと思います。おぼろげながら断片的に持っている易経に対する知識を、このブログがなければ、あらためて整理しようとしませんから。

時の書1” への6件のコメント

  1. 「時の書」というタイトルでまず何だろう?と思いましたが、次以降に「易経」の内容が明かされるということなので、しばらく頭の中でぼんやりと考えておくことにします。
    今回は見るとか見抜くとか察知するといった言葉が出てきました。何かを意識することでそれに関する情報が得やすくなるカラーパス効果という言葉を知ったのですが、何を意識するかで気づくことや得られるものが大きく変わってくることを、このブログを通して日々体験しています。世の中の全てのことを見るのはおそらく不可能でしょう。その限られた中で何を見るのか。カラーパス効果のように、自分の視点にヒントを与えてもらえるこのブログは本当に貴重な存在です。

  2. 江戸時代の日本人は、世界的に見ても識字率が高く教養も豊かだったと言われている。その教養の多くは儒教からきており、「四書五経」も広く読まれていたらしい。社会体制が180度変わるという明治維新を成功させた原動力は、その教養の高さにある。『自分の置かれている立場」「出処進退に関する行動の指針」「時の本質を見抜く洞察力」「わずかな兆しで将来を察知する直観力」「危機管理能力」これらは維新回天に活躍した数々の人物に共通する点であり、実は今の日本の為政者に最も欠けている能力ではないか。いま、四書五経を読み返すことは実に「時」にかなったことだと思う。

  3.  「論語」「大学」「中庸」「孟子」の言葉全て藤森先生のブログで知りました。とくに「中庸」の考えは、ブログでとても勉強になり今現在でも私なりに理解した中庸の考えを忘れた事がありません。ただ、こんな難しい事を藩校や寺子屋で私よりも小さい子ども達が学んでいたと思うと、確かに、どうやって教えていたのか気になります。
     「五経」」の「易経」。「易」という言葉は占いの印象ですが、帝王学、哲学、道の書と聞くと印象が一気に難しく捉えてしまいます。初めて中庸という言葉を聞いた時の印象です。ただ前置きを読むと、人が生きる上で必要な事がたくさん書いてありそうです。じっくり読んで理解しようと思います。

  4. 儒教という言葉は学校の社会の時間に聞きましたね。そして、日本の文化の教えはこの儒教の考えから来ているというのは今までで色々と聞いてきました。しかし、自分が儒教というものを知っているかと聞かれたとき、よく考えてみるとはっきりとこれと言えるものがありません。言葉だけは知っていても実際知らないことだらけだと思いました。
    「よく易を修める者は占わず」という荀子の言葉はなかなか面白いですね。先々を見つめることできれば、占いにも惑わされないということも今の世では言えるかもしれませんね。この言葉から易経にすごく興味がわきました。しっかり理解していきたいですね。

  5. 「易経」については私にも関心があり、いずれじっくりと読んでみたいと思っておりました。今回連載でこの「易経」を平易に解説してくださるようですからこれはとても楽しみです。私が「易経」に関心を示すのは「占い」からです。特に「四柱推命」のルーツが同経とされていることを見聞きしております。そこであるとき岩波文庫か何かでこの「易経」をぱらぱらとめくって見たことがあるのですがどうも占いがわかる書ではないような気がしていました。荀子の「よく易を修める者は占わず」という言葉を引用しておられます。そして「先々を知り、行うべき行動を判断することができる」と続いています。「易経」=「時の書」。なるほど、これは途轍もなく興味深い。私の知識の地平が広がるようでワクワクします。

  6.  〝四書五経〟という言葉を目にしてもあまりピンとこず、この度の連載も知らないことを知るた旅に出る楽しさの中にいるようで、わくわくします。しかしながら文中に〝このブログで何回か取り上げました〟とあり、過去のブログに内容が取り上げられていたことを知り、そちらも合わせて読み進めたいと思うところで、藤森先生がこうして丁寧に読んでいく順番や、過去に書かれていることを提示して下さっていることの恩恵を改めて感じます。
     〝内容も、今の道徳のようにも思えますが、その書からは、ただ人の生きる道を解くだけでなく、宇宙観を持ち、時間空間をも視野に入れた壮大なこの世の物語でもあるように私には思えます。〟7年後の2017年現在、藤森先生は道徳についての連載をされていることも驚きです。そして、何より〝宇宙観〟など、とてもわくわくする言葉が織り込まれていて、この分野というのでしょうか、こういった文章に触れることがとても心震えることだと、最近確信のような気持ちでいます。

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