ドイツ医療

 今年も6月に私が主催するドイツツアーに行く予定で準備を進めています。参加者も20名を超えるほど申し込みがあり、とても楽しみです。最近のこのツアーの特徴は、保育関係者の中で、園長、保育者だけでなく、保育園、幼稚園を設計する設計事務所の方や、幼児家具をデザインする会社の人などの参加もあり、夜のディスカッションなどは幅広く話が聞けるので、見方の視野が広がります。本当は、どこかの園の嘱託医さんや、調理関係、食材関係者などとも行けるといいのですが。それは、保育とは、いろいろな人の中で行われるものだからです。そして、その人たちで、日本の保育はどうあるべきかを考えることが必要だからです。そのために、ドイツ行きは、ドイツの保育研究ではなく、ドイツを見ることによって、日本の保育研究でもあるのです。
ドイツと言って思い出すのは、私の年代ではほとんどの人がイメージするのは「医学」です。明治政府は開国と同時に医学はドイツが優れているとして、ドイツ医学の採用を決めました。それまで、オランダ医学でしたので、私はどうしてかと思っているのですが、いろいろないきさつがあるようで、その一つに、ドイツ医学を推す陸軍とイギリス医学を推す海軍との間に論争があったとか、幕末のイギリスによる「フェ一トン号事件」に関係するなど複雑のようです。どちらにしてもドイツ医学が日本では中心になり、「カルテ」などのドイツ語が医学界では使われるようになりました。
そのドイツでは、最近、「ジェネリック医薬品」という、薬の特許権が消失した後に、別の製薬会社が製造する、同じ成分と効果を有する後発医薬品が多くつかわれているようです。また、ドイツは主要先進国の中で最も代替医療が活用されている国だそうです。薬や注射を用いる通常医療の代わり、もしくは、通常医療と合わせて用いられたりするため「補完医療」とも呼ばれ、薬草を用いた治療薬を処方したり、風邪などの時に煎じたお茶を飲む家庭医学も広く活用されているようです。医学の先端と言われている国で、代替医療が活用され、薬草などの治療薬というと、東洋医学が見直されているということでしょうか。
ところで、「ジェネリック医薬品」という言葉が、日本でもポスターなどで見かけることが多くなりました。この医薬品は、「後発医薬品」とも呼ばれ、新薬が持つ「物質特許」期間が満了した後開発された医薬品です。ジェネリック(generic)とは「一般的な」「総称の」という意味を持つ英語です。欧米では、商品名ではなくお薬の有効成分名である「一般名(generic name)」で処方されることが多いため、ジェネリック医薬品と呼ばれています。新薬は、最初に開発・発売されるお薬で、開発メーカーは特許期間中、独占的に製造・販売することができます。それは、新薬の開発には、なんと9~17年の年月と、約500億円もの投資が必要といわれているからで、臨床試験などのさまざまな試験のあとも、数々の審査や承認申請するための手続きがあります。しかも、新薬として承認される成功率はわずか1/15000以下なのです。ですから、開発期間が長く、価格も高くなります。しかし、その特許期間が満了した後に、開発期間が短く、開発コストも大幅に抑えられ、価格が新薬の約2割~7割に設定されていて、厚生労働省の承認のもとに発売される薬がジェネリック医薬品です。「薬価」といわれる医療用医薬品の公定価格をジェネリック医薬品では、原則として新薬の7割に設定されます。そのほか、すでにジェネリック医薬品が発売されている場合は、原則として一番安いジェネリック医薬品と同じ薬価にし、すでに発売されている新薬とジェネリック医薬品の品目数が合計20を超える場合は、1番安いジェネリック医薬品の9割の「薬価」にすると決められています。そして、2年に一度、市場実勢価格に合わせて改定されるようです。
今後、日本でも、代替医療とか、ジェネリック医薬品が使われるようになるでしょう。

江戸切子

 着々と江戸のシンボル「東京スカイツリー」が背を伸ばしています。以前のブログでも紹介しましたが、このスカイツリーのライティング計画のコンセプトは、「江戸で育まれてきた心意気の「粋」と、美意識の「雅」という2つのオペレーションが1日毎に交互に現れる新しいスタイルのライティング」です。そのほかにも、随所に江戸の原風景を継承するデザインを取り入れることで、タワーの立つ下町の歴史文化を表そうとしています。
 先週土曜日の新聞に、「江戸時代から続く伝統工芸「江戸切子」の若手作家が、東京スカイツリーをテーマにした大鉢を作った」という記事が掲載されていました。この作品は、江戸切子の新しい表現を模索する中、江東区の工房から見たツリーの姿にヒントを得たということで、今年3月、江戸切子の新作展で最優秀賞に輝いています。この若手作家の堀口さんは、中学生の頃から職人にあこがれていたそうで、大学卒業後、実家の「堀口硝子」に入り、9年間修業した後、独立して制作を続けているそうです。堀口さんによると、江戸切子は、日々の暮らしの中で使われる道具として、庶民のニーズをくみ取りながら発展を遂げてきたと言います。「良いものを作り、生き残ったものが伝統になる。新しい可能性を切り開いていくのも伝統工芸ではないか」と考えていた堀口さんは、「ツリーが伸びていく姿を見ている、この時代を切り取ることはできないか」と思い立って、完成させて大鉢は、江戸切子の定番の色ガラスを使わず、鉢の表面の約2000か所を削ったり、磨いたりして、鉄骨構造のツリーのシルエットをモザイク調の模様で浮かび上がらせています。
 日本でガラスが作られるようになったのは、江戸時代中頃です。その技法は中国から、長崎に伝えられました。その当時作られていたのは、「ビードロ」と呼ばれる吹きガラスです。これを吹く女性の姿は浮世絵にもなっています。天保5年(1834年)に、江戸の小伝馬町でビードロ屋を営んでいた加賀屋久兵衛という人物が、英国製のカットグラスを真似て金剛砂を用いてガラスの表面に彫刻を施したのが始まりと言われています。そして、江戸時代の終わりには、カットを施したガラス、「ギヤマン」が西洋からもたらされます。このギヤマンを目指して日本でもカットガラスの制作が始まりました。それが切子で、「ガラスを切る」という意味です。幕末に黒船で来航したペリー提督が、加賀屋から献上されたガラス瓶の見事な切子に驚嘆したという逸話が伝えられています。長崎等から伝来した外国のガラス製造書物を元に、江戸のガラス職人を招くなどして、第10代薩摩藩主島津斉興によって薩摩で切子が始められ、11代藩主島津斉彬が集成館事業の一環としました。しかし、斉彬の死後、集成館事業の縮小や薩英戦争時にイギリス艦艇による集成館砲撃で被害を受け、また幕末維新から西南戦争へ至る動乱もあって、その技術は明治初頭で途絶えてしまいます。 しかし、その職人や技術は、東京のガラスや大阪へと渡り、明治時代には、英国人による技術指導によって、西洋式のカットや彫刻技法が導入されました。現代に至る精巧なカットの技法の多くはこの時に始まったとされています。その中から「江戸切子」が誕生していったのです。
ガラスという素材は、昔から人々の心を魅了し、切子は、そのガラスの美しい輝きと、触ると壊れそうな繊細さを持ち合わせ、虹色の輝きを持ち、はかなさを愛しむ江戸のこころが伝わってきました。昨年、私の還暦にあわせた「赤」と、この臥竜塾の「竜」を合わせた江戸切子を頂きました。
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好きなもの

あるところで、こんな相談がされていました。「10歳の息子の事ですが、いまだに砂、土いじりが大好きで困っています。低学年までは仕方ないと思っていましたが、年中、砂、土、小石が家にあり、いくら掃除してもなくなりません。そろそろやめて欲しいのですが、いい方法ありませんか?」
 子どもは、大人からみてくだらないと思うものにも興味を持ち、それは子どもによって違いが見られます。先日、2歳児の保護者会で、我が子の自己紹介で、ある保護者が「我が子は、新幹線が大好きです。特に秋田新幹線とか、東北新幹線が大好きで夢中です」と言いました。その後の保護者は、「うちの子は、なぜかバスが好きで、バスを見ると大騒ぎです。先日、はとバスに乗せて上げたら、もう大興奮でした」これを聞いていて、なぜ、子どもは、新幹線とバスとそれぞれ違うものい興味を持つのでしょう。それは、きっかけかもしれませんし、環境の違いかもしれません。しかし、それ以上に生まれながら興味関心を持つ対象が違うことも大きいのではないかと思います。それは、必ずしもある形をしたものだけでなく、5感すべてにあるのではないかと思います。先日、10歳の子が漢字検定1級を取得したニュースが流れ、その子は2,3歳のころからなぜか漢字に興味を持っていたという親の話です。
 小さい子が、どうしてそれに興味を持っているのかを子どもからは聞き出すことはできません。それは、たぶん、自分でも説明できない何かがあるからです。その物の形かもしれませんし、色かもしれませんし、手触りかもしれませんし、におい、音、味かもしれません。しかし、どれにしてもそれに興味を持つということは、その違いがわかるからです。犬が好きか、猫が好きかという違いでも、犬と猫の違いがわからないとどちらが好きということが言えません。そして、その違いによって同じ仲間を集めます。ある特定の規格を自分で作って、その規格に当てはまるものを収集するという、集合の概念です。そして、同じ仲間を集めようとする行動が「蒐集」「コレクション」という行為になるのだと思います。ですから、この行為は、「探索活動」に対しての動機になり、子どもの行動の中でとても大切な行動なのです。いわゆる、「子どもが何にでも興味を持ち、その中から、自分とその環境に合うベストの物を選ぶことにより、その分野の研究が進む」ということにつながっていくのです。脳が発達する段階の一つなのです。
手で触れて探索する範囲は、歩行とともに急速に広がっていきます。歩いていて手に触れるものに興味を持ちます。その中で、子どもにとって非常に魅力的なもののひとつに、「石」があります。人間は、古代から石を活用していろいろな道具を作ってきました。ですから、石を見ていると何か心が動かされるのでしょう。その手触りも子どもにとっては気持ちがいいようです。ですから、外を歩いていて、石を拾って、大切そうに持ち帰ります。同様に、人類が昔から道具として使ったものに「棒」があります。この「棒」もまた、探索行動には欠かせません。手の延長としての棒は、人類が握った最初の道具であることがうかがわれます。幼児は、棒のように細長いものに興味を持ちます。山などを歩いていても、すぐに木の枝や幹など細長い物を手に取り、大切そうに持ち歩きます。そして、棒でたたくことでものの性質を見きわめるという探索行動の道具として用い始めます。
そのほかにも、虫や葉っぱ、小さな花など散歩に行くと持ち帰ってきます。そのために室内は汚れますが、子どもたちが大切そうに持って帰ってきたものを置いておく棚が私の園の靴箱の上には用意されています。そこに置いてあるものは、探索活動の成果でもあるのです。
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春だというのに

今朝、東京都心で降雪を記録しました。昨年いただいた盆栽の桜の花が今年も花を付けましたが、寒そうです。
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雪が降った日としては1969年に並ぶ41年ぶりの遅さだそうです。ここ数日、ずいぶん寒い日が続きますが、このように4月半ばでも季節外れの寒さが続くのは、低気圧の動きなどを左右する「ジェット気流」が日本上空で非常に強いためだそうです。雨や雪をもたらす低気圧は、強い気流に乗って日本の南海上を発達しながら進むのですが、その強い気流が「ジェット気流」なのです。今年は、北極付近と周囲の気圧が関係し合いながら変動する「北極振動」の影響で、寒気が南下しやすく、逆に、南米ペルー沖で水温が例年より高くなる「エルニーニョ現象」も起き、太平洋高気圧が普段より強く、その北極振動とエルニーニョの影響がともに作用して「寒気と暖気が例年より強く、ジェット気流を強めている」そうです。
よく、時候の挨拶で「三寒四暖と申しますが」とか「三寒四温とか言われる季節」ということがありますが、これは、3日くらい寒い日が続き、次の4日間くらい暖かく、これが繰り返されることです。ちょうどここ最近の気候のように思われますが、この寒い期間と暖かい期間が繰り返しあらわれる言葉は1月から2月にかけての言葉です。もとは中国の東北部や朝鮮半島北部で冬の気候を表す言葉として用いられ、冬のシベリア高気圧から吹き出す寒気が7日ぐらいの周期で、強まったり弱まったりすることに由来する言葉とされています。それが、冬の時期に、寒さと暖かさの周期を表す言葉として使われ、その後、日本に伝わり、本来使われる冬ではなく、春先に使われることが多くなっています。それは、日本では、早春に低気圧と高気圧が交互にやってきて、低気圧が通過し寒気が流れ込んで寒くなった後、今度は高気圧に覆われて暖かくなり、周期的な気温の変化を繰り返すことが多くなるからのようです。
この気候で、今、野菜が軒並み高騰して大変です。たとえば、東京都中央卸売市場では、千葉県産ネギが5キロ1827円と、前年同時期と比べて約2倍、高知産ナスは5キロ2646円と同じく4割高く、茨城産ピーマンは150グラム121円、埼玉産の小松菜は500グラム187円で、いずれも3割近く高いそうです。それぞれの地域の人がこの値段を知ると驚くでしょうね。市場でこの値段ですから。キャベツも愛知県内の強風被害や千葉、神奈川県産の春物の生育遅れで、平年比約2倍です。
 一方、あるデパートでは、薄手のコートの売り上げが、4月に入って昨年の1.8倍、ドラッグストアでは、この春、風邪薬の売り上げが約2割増、代わりにマスクや鼻炎薬など花粉症対策商品の売り上げは前年に比べて3割程度落ち込んでいます。今年の春は寒暖の差が激しく、雨がちの地域も多く、東京では4月1~15日のうち、平均気温が例年を下回る日が9日あり、大阪でも雨や曇りの日が多かったために、コンビニエンスストアではおでん、家電量販店では小型の電気ストーブ、雨具関連でも、傘の売上高が前年の2倍になったほか、長靴や雨靴の売り上げが前年の10倍を超えたといいます。
この時期、「花冷え」とか「寒の戻り」とかいって、春になって暖かくなってから、急に冬に戻ったような寒さがやってくることがありますが、この言い方は桜が咲く前のことです。また、「春に三日の晴れなし」という春の天気は変わりやすく安定しないという言葉もありますが、それにもあてはまらないほどの寒さ続きです。それでも、4月5日は二十四節気のひとつである「清明」ではありませんが、草木の花が咲きはじめ、あらゆるものが晴れ晴れとした明るさにあふれているころには確実に近づいています。近くの池には、たくさんのおたまじゃくしが泳いでいました。
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干渉

園への要望として多いのは、セキュリティーの問題です。その多くは不審者対応で、玄関のセキュリティーをもっときちんとしてほしいというものです。最近、マンションなどでも、カードキーとか、暗証番号などを打ち込まないと玄関から部外者は入れないところも多く見られます。しかし、いつも不思議に思うのは、その住人が入るときにドアのあいているすきに急いで入ってしまうことができることです。これは、駅の改札でも同じで、ICチップをかざして入るときに、前の人に続いて、何も持たずに急いで入ってしまう人がいます。人が通るときには、しばらくは開いているからです。園や学校の玄関でも、いくらかぎを閉めても、開けるときに不審者が一緒に入ってしまったり、保護者が開けるときに園児や児童が出てしまったりすることは可能で、それは、開ける人が責任を持ってほかの人が出たり、入ったりするのを阻止するしかないと思うのですが。
また、子どもが部屋から出てしまうのを心配する人がいます。それは、目が届かなくなるという心配をするということで、よく部屋にかぎをかけていることがあります。子どもを常に監視下に置くためです。しかし、子どもは、いろいろな所に興味を持ちますし、いろいろなところを探索しようとします。それが、「探索活動」なのです。その環境に自ら働きかけて、その環境とのかかわりから必要な情報を得ていき、発達を促進させていくということをホワイト.R.W.という人が「コンピテンス」と名付け、その時の動機づけの性質を「エフェクタンス」という用語で記述したのです。
 一時期、「見えない学力」という言葉が注目されたときから、知識、情報量を測るような学力ではなく、最近は、生きる力のようなその量を測ることのできないものこそが「学力」ではないかといわれています。その力が「コミュニケーション能力」とか「問題解決能力」と言われ、それらの力は他のものとの関係性の中から身についていくるということからも、コンピテンスの「相互交渉」という側面が注目されはじめてきました。それは、対人関係能力や、社会のなかで自己の主体性を獲得するという自立的適応能力が「学力」とされてきたからです。それは、「社会的コンピテンス」ともいいます。ということは、今後の学校教育の中でも、「学力」を社会という関係性の中で捉えるべきであるとして、コンピテンスを視野に入れる必要が出てきています。
 その時の重要な行動が、乳幼児期から芽生える「探索活動」なのです。赤ちゃんは、生後2,3ケ月のころになると、特定のものをじっと見つめたり、動くものを目で追うようになります。そして、自分でハイハイなどで移動することができるようになると、自ら環境へ働きかけることが可能になります。「子どもらしさ」の象徴である好奇心によって、家中のものや場所をのぞいてみたり、調べてまわったり、いろいろな場所、ものの探索をするようになります。ただし、この時期には移動と探索は継時的に交替して起こるのですが、1歳ころになって歩くことができるようになると、移動しながら探索することが可能になります。歩きながらいろいろなものを手にとったり、触ったり、周りを見渡したり、探索することによって、いろいろな情報を得るようになります。このようにして乳幼児の知能の発達は、主体の能動的な活動である探索活動において起きてくるのです。
 このころに、部屋に鍵をかけ、外の世界にも自ら行くことはさせず、ただ、監視の下手元に置いておくことは知能の発達にも影響してくるのです。探索するための時間を十分与え、必要以上の干渉や、大人の都合だけで子どもをコントロールするのだけは避けたいものです。

子どもっぽさ

 いつまでも男は「子どもっぽい」とよく言われますが、子どもっぽいということはどういうことでしょうか。一つには、「まだ大人になりきれていない」という考え方があります。また、「大人になっても子どもらしさを残している」ということもあります。子どもは、いつか大人になっていきます。ですから、子どもとは、まだ大人になっていない、未成熟な生き物であるという考え方をすることがあります。しかし、1970年代にわかったように、脳科学的に言って、ニューロン、シナプスが増えていくことを成熟というとしたら、逆に子どものころが一番成熟していることになります。それは、その数は、生まれて間もないころが一番多いからです。また、いろいろなことができるようになることが発達としたら、たとえば、体の柔軟性は子どものほうがあります。それらを考えると、必ずしも、大人が完成形ではないのです。ですから、子どもらしい行動をしなくなり、大人のように考えるようになったり、大人のような態度をとるようになることが、発達したということにはならないのです。
そう考えると、子どものとる行動は、未成熟な行動であるとか、発達途中であるからといって、大人の指導によって一日も早く卒業させなくてはならないものということにはならないのです。このことは、すでに世界的に認められていることであり、そうした発達の考え方のとらえ直しが行われるようになってきていて、早期教育の危険性が警告されている所以なのです。
この「子どもらしさ(Childlikeness)」の再評価の中心は、「乳幼児の探索活動を子どもが主体的に世界を理解する活動とみなす」ということにあるようです。しかし、「子どもらしさ」と、幼稚っぽさ(Childishness)とはまったく違う特性だと言われています。この点から言うと、最近の若者は「子どもっぽい」のではなく、「幼稚っぽい」ということかもしれません。子どもらしさの代表が「探索活動」であるということは、子どもは、好奇心に満ち溢れ、調べたがり試したがり屋であり、どうしてかなと思ったら、すぐに動き出す活動性があるということになります。そして、何かをやるとき、与えられたものを受け身にやるのではなく、自らの好奇心や主体性に基づいて働きかけるので、そのことに熱中し、夢中になり、没入し、没頭して取り組むのです。そういう行動の中から、いろいろなことがわかり、物事を理解していくのです。頭でわかるのではなく、からだでわかる、実感するというわかり方です。それが、昨日のブログで書いた子どもにとっての「体験」なのです。
ですから、「体験」が必要であるという前に、「自ら環境に働きかける」という行為がなければなりません。このような行動を「コンピテンス」と言います。コンピテンスという言葉をそのまま訳せば「能力」ということです。人は生まれながらにして、さまざまな環境から情報を集め、それを自分なりに解釈して、自分のものにしていきます。この自分なりに解釈するという能力は、環境との関わりの中で「有能(コンピテント)」を追求しようとする行動であり、それを見つけ出そうとするために、能動的に環境に働きかけていくことが必要になります。保育指針の発達に書かれてある「自ら環境に働きかけ、環境との相互作用による」ということが「コンピテンス」ということです。この「環境と相互作用」をより効果的にすることは、人にすでに備わっている潜在能力と、環境に能動的に働きかけての自らの有能さを追及しようとする動機づけが一体となることでなされていくのです。このことを、明日、もう少しわかりやすく考えてみようと思います。

体験からの学び

本来の「教育 」とは、子どもを「発育」させることであり、その時の「大人との距離感」が問題になります。また、その時の学びは、自ら取り組むための「環境」が大切であることは折に触れて取り上げてきました。もうひとつ、またこれも再々言っていることですが、子どもたちの学びをより効果的にするためには、「教わるより教える」という、「学びあい」であることも言ってきました。それと、「自ら学び自ら考える力、豊かな人間性などの「生きる力」を育成していく上で、体験活動の充実を図ることが必要であることに留意すること」とあるように「体験」重視です。
この体験重視の教育の姿勢は、海外では多く見られます。日本では、どうしても知識を先生が伝達し、それを子どもたちが覚えるという授業が多く見られます。アメリカの多くの学校では、「I hear, and I forget.(聞いたことは忘れる)、I see, and I remember.(見たことは思い出す)、I do, and I understand.(体験したことは身に付く)」という言葉が教室の壁に貼ってあることがあります。この言葉は、体験型の授業が多く採用されていることなのです。日本でも、最近、体験型学習や自分で考える力の育成に力点を置く教育が重視されています。体験して身に付けたことこそが、生きる力につながっていき、教育から発育への転換ともなるのです。
この考え方は、いろいろなところで言われていますが、多くは「老子」の格言として伝わっています。「聞いたことは、忘れる。見たことは覚える。体験したことは、分かる。」という言葉です。それに付け加えて、「見つけ出したことは、身に付く。」という言葉もあります。それぞれの学習効果を、記憶に残る割合で示した数字がアメリカで発表されています。聞いたとき(講義)は、10%、見たとき(見学)は、15%、聞いてみたとき(講義+見学)は、20%、話し合ったとき(討議)は、40%、体験したとき(疑似体験や実体験)は、80%、人に教えたとき(相互レクチャー)は、90%だったそうです。
30年ほど前にカナダで始められた授業形態にPBL(Problem Based Learning)という「問題解決型授業」があります。最近、欧米の大学で急速に普及して、ハーバード大学医学部では大部分の講義形態をPBLにするという試みがなされているといいます。そのやり方は、教員はまず学生に課題を出します。このとき幾つかのインストラクションはしますが、あくまで学生が自主的に学習して授業の準備をします。1つのテーマに対して、幾つかのグループに分かれて作業を分担し、授業を行いますが、主に学生同士の質疑応答で授業は進行します。教員の発言は10 %以下にするというのが原則です。
 「学び」の必要性の意識付けから始め,自己主導型学習へと導くために教員はサポート役に徹し,学生の力を引き出す(学ぶ,考える方向へ誘導)ことをします。そのために,意欲や探究心を高める環境作りをすることによって、子どもらは、知識を求めるようになり、その結果、知識量が自然に増加するという考え方です。そこでの「評価」は、学びを支え、継続するためにどのようにしたらよいかということになります。老子の言葉のように、講義形式で教授した知識は5%しか残らないが,PBLにより確実に5%以上の成果を得るということのようです。
 この考え方は、主に高等教育の場面で多くつかわれていますが、私は乳幼児教育にこそ、子ども自ら発達していく力があるので、この考え方を導入すべきだと思います。

飲み会

 ここ数日、駅の付近に多くの人がたまっています。それは、新入社員歓迎会とか、新入学歓迎会などの待ち合わせでしょう。みんな、紺色か黒のリクルートスーツに身を包み、いかにも初々しい感じです。不思議なもので、小学生と同じで、1年生は、大学生でも、社会人でも同じように初々しく見えるのはなぜでしょうね。
しかし、この歓迎会の多くは飲み会でしょうから、気をつけて飲んでほしいと思います。一時期の「一気飲み」は少なくなったようですが、それでも、道端に寝ていたり、気持ち悪くなったり、意識がなくなって仲間から抱きかかえられている人を見かけることがあります。強制的に飲まされているのか、調子づいて限度をわきまえずに飲みすぎてしまいのかわかりませんが、せっかくの楽しい会がそれで台無しになってはつまらないと思うのですが。園の保護者や職員も、職場からの帰りに飲みに集まることが多いようです。どうも、働いている人は、外に出ることに慣れていることや、外に出ているついでということもあり、外で飲むことが多いようです。「サラリーマンは、気楽な稼業ときたもんだ!」で始まる歌ではありませんが、かつては、「チョイと一杯のつもりで飲んで、いつの間にやらはしご酒、気が付きゃホームのベンチでごろ寝、これじゃ身体にいいわきゃないよ。分かっちゃいるけど、止められない」というのは、ほとんど男性でしたが、今は女性でもはしご酒や、立ち飲みで飲んでいる人をよく見かけるようになりました。次第に、同数になってくるのでしょうか。
ところが、最近、どうも飲み会が変わってきているようです。今月9日の日本経済新聞に、「自宅や友人宅に集まってグループでお酒を楽しむ“内飲み会”」が増えてきたという記事が掲載されていました。どうも、そのけん引役は20~40代女性であることが、日経産業地域研究所の「お酒に関する総合調査」で分かったようです。首都圏に住む20~69歳の男女600人を対象に調査した結果、内飲み会をこの1年間に「自宅で開いた人」は31.4%、「知人・友人宅での会に出席した」は45.1%だったそうです。1人当たりの平均予算は2453円ですが、20代女性は2536円と平均を上回っているようです。また、1年前に比べてこうした内飲み会が「増えた人」は25.6%で「減った」の24.1%を上回りました。特に女性で「増えている」と答えている人が多く、20代と30代は50%、40代は45%でした。また、開く相手は、各世代とも「友人」がトップでしたが、他の世代と比べ、20代女性は「クラブ・サークルの仲間」、30代・40代女性が「子どもを通じて知り合った友人」の割合が高かったようです。
 この傾向は、少し前から若者に浸透してきた「宅飲み」ということと同じような気がします。その時、どうしてかというとまず、安上がりであること、知らない人との付き合いが煩わしく、初めての場所は落ち着かないけど、自宅で親しい人と飲むのは心地いいからという「マイルーム型」の生活志向があるといわれていました。
 今日、地方からの来客があったこともあって、10名くらいの職員が集まって、内飲み会が行われました。それは、飲み会というより、ある意味で保育の情報交換の場という感じです。会議室での会議と違って、本音が言えるというのではなく、些細な問題だと思われることでも、議論できるということです。保育とは、一見、些細なことと思われることの積み重ねです。職員からすると、その部分が、日々一番悩むところだと言います。会議、書類では現れない内容こそが、人間相手の仕事では重要であり、多いのかもしれません。

智徳

 私は、福沢諭吉が特に好きでもないのですが、彼が考えたこと、彼の著書である「学問のすすめ」には、今の時代に参考になるような江戸時代での教育の考え方が表われている気がして、どうしてもその話題に戻ってしまいます。その考え方は、今の自分が取り組んでいる問題、家庭、社会が抱えている問題、地域が抱えている問題、国が抱えている問題に対して、どういうアプローチをすべきかのヒントがあります。たとえば、最近、保育園の民営化がおこなわれる中で、「公立」と「私立」をどう考えるかという点で、福沢にとって「独立」とは「私立」と同義であったようです。「学問のすすめ」には「文明の事を行う者は私立の人民にして、その文明を護する者は政府なり」という文章があります。この内容は、民がやるべきこと、公がやるべきことがよくわかります。公は、実践ではなく、擁護なのです。
 小学校学習指導要領には、「道徳」の重視が謳われています。まず、「学校における道徳教育は,道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うものであり」とあるように、道徳の時間が用意されています。しかし、その時間の多く(最近の授業はよく知りませんが)は、テレビの道徳の時間を視聴し、それについて考えることをしています。また、道徳教育は、「人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭、学校、その他社会にいおける具体的な生活の中に生かし、豊かな心をもち、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図るとともに、公共の精神を尊び、民主的な社会及び国家の発展に努め、他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため」に、その基盤としての道徳性を養うことを目標とするとかかれてあります。ずいぶんと、盛りだくさんですね。これでもかとは言っていますが、多く語るほど、逆にこれだけでいいのかと思ってしまいます。
 福沢は、「今日の文明は智恵の文明にして、智恵あらざれば何事もなすべからず、智恵あれば何事をもなすべし。然るに世に智徳の二字を熟語となし、智恵といえば徳もまた、これに従うものの如く心得、今日、西洋の文明は智徳の両者より成立つものなれば、智恵を進むるには徳義もまた進めざるべからずとて、或る学者はしきりに道徳の教をしき、もって西洋の文明に至らんとする者あり。もとより智徳の両者は人間欠くべからざるものにて、智恵あり道徳の心あらざる者は禽獣にひとしく、これを人非人という。また徳義のみを脩めて智恵の働あらざる者は石の地蔵にひとしく、これまた人にして人にあらざる者なり。」と言っています。知恵と道徳はともに備わってこそ意味があるものであり、それこそが人間たるゆえんであると言っています。いくら、道徳を知識として教えても意味がないのです。
こう言っています。「いたずらに文字を教うるをもって教育の本旨となす者あり。今の学校の仕組は、多くは文字を教うるをもって目的となすものの如し。もとより智能を発育するには、少しは文字の心得もなからざるべからずといえども、今の実際は、ただ文字の一方に偏し、いやしくもよく書を読み字を書く者あれば、これを最上として、試験の点数はもちろん、世の毀誉もまた、これにしたがい、よく難字を解しよく字を書くものを視て、神童なり学者なりとして称賛する」こんな学校を卒業するから、「いたずらに難字を解し文字を書くのみにて、さらに物の役に立たず、教師の苦心は、わずかにこの生き字引と写字器械とを製造するにとどまりて、世に無用の人物を増したるのみ」になってしまったと嘆きます。今の時代を見ても、嘆くでしょうね。

発育

 NHK大河ドラマが好調です。すでに放映されたのですが、安政7年(1860年)3月3日、井伊直弼が江戸城へ登城途中の桜田門外で水戸脱藩浪士らの襲撃を受けて暗殺されました。その同じ年の初め、福沢諭吉らが乗った咸臨丸は、江戸品川沖を出航しました。翌月、サンフランシスコに到着しましたが、諭吉は、そこでウエブスターの英語辞書を購入しました。日本に帰った福沢は、ウエブスターの英語辞書で猛勉強し、「増訂華英通語」という、中国人子の編集した英語と中国語の対訳単語短文集「華英通語」に、英語の発音にカナをつけ、日本語訳した書物を刊行しました。ですから、今英語を日本語に訳した言葉は福沢が訳した言葉が多くあります。私は、英語を日本語に当てはめた漢字の中で、何が一番間違っていて、それがいまだにその間違いが影響している言葉に「教育」という日本語だと思っています。教育と訳されている “education” は、もともと “educe” が語源で、可能性を引き出す、という意味なのに、「教え込む」という意味の漢字に当てはめてしまったからです。それは、福沢諭吉が訳したのだと思っていました。しかし、福沢は「文明教育論」の中で、こんなことを言っています。
「もとより直接に事物を教えんとするもでき難きことなれども、その事にあたり物に接して狼狽せず、よく事物の理を究めてこれに処するの能力を発育することは、ずいぶんでき得べきことにて、すなわち学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。教育の文字はなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり。かくの如く学校の本旨はいわゆる教育にあらずして、能力の発育にありとのことをもってこれが標準となし、かえりみて世間に行わるる教育の有様を察するときは、よくこの標準に適して教育の本旨に違わざるもの幾何あるや。我が輩の所見にては我が国教育の仕組はまったくこの旨に違えりといわざるをえず。」
福沢は、「教育の文字ははなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり」と述べ、さらに、「天資の発達を助けるだけなので、『発育』という表現がふさわしい」と主張していたのです。明治時代の教育というのは、1872(明治5)年の学制にみられるように、非常に画一的な上からの教育でした。それに対して、彼は、「我が国教育の仕組はまったくこの旨に違えり」というように、「発育」とは、そうした明治政府の教育に対する批判でした。「教育」と訳されてしまったのは、彼が何年か外国に行っているうちのことで、福沢諭吉は帰国してそれを知って、たいそう残念がったそうです。「発育」 は学び手が主体であるのに対して、「教育」 は授ける側に力点が置かれています。「学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり」というように、学校というところは、人に何かを教えるところではなく、もともと人が持っている自ら育とうとする宝を妨げないことであり、「学校の本旨はいわゆる教育にあらずして、能力の発育にありとのことをもってこれが標準となし」というように、能力を見出し、それをはぐくむことが役目であるというのです。
高校生が昼寝をよくするのは、高校生の質の問題ではなく、教育という言葉に象徴される学校という場の役割の間違いが、いまだに修正されていないことが原因かもしれません。