人望

「目は口ほどのものをいう」ではありませんが、目には大きな力があることは、漢字の成り立ちを見てもわかります。先日のブログで「省」の言う漢字が「目」に関係していることを紹介しましたが、共同通信編集委員の小山鉄郎さんは、古代中国にあった「望」の文化について紹介しています。
字統によると、「大きな目をあげて、先方を仰ぎ見る人の形」とあります。小山さんによると、「望」の古代文字は、つま先で立つ人を横から見た姿の上に「臣」をかいたものだそうです。「望」の異字体には「亡」の部分が「臣」になったものもあるようです。「臣」も「目」を表す文字だからです。「臣」の古代文字は、「目」を立てたような形をしていますが、「臣」は大きな瞳を表す漢字です。古代中国では神に仕える人は瞳をわざと傷つけて視力を失った人がいました。そうやって神に仕える人が「臣」というわけです。後に君主に使える「おみ」「けらい」の意味になりました。その「臣」には、才能を持った賢い人たちがいました。それが「賢」です。「賢」の上部は「臣」に「又(また)」を加えた字形ですが、この「又」は「手」のことで、それに「臣」という瞳を表す文字があることから、大きな瞳(臣)に手(又)を入れて、瞳を手で傷つけている姿です。そうやって瞳の視力を失い、神に仕えた人が「臣」です。
 「望」は、つま先立って遠くを望み見る人ですが、この「望」にも呪いのような力が表現されています。古代の日本でも、天皇が高い所に登り、国土を望む国見の儀礼があったそうです。農業の豊作を祈る儀式ですが、目で見ることの占いの力が信じられていました。 つま先立って大きな瞳で遠方を望み見ることは、「目」の呪術的な力で敵を抑えこみ、服従させる行為だったそうです。そこから「のぞむ」という意味になったのです。さらに「ねがう」という意味にもなりました。
 「学問のすすめ」の最後の編には、「人望論」というタイトルが付いています。福沢は、「十人の見るところ、百人の指すところにて、「何某は慥かなる人なり、たのもしき人物なり、この始末を託しても必ず間違いなからん、この仕事を任しても必ず成就することならん」と、あらかじめその人柄を当てにして世上一般より望みをかけらるる人を称して、人望を得る人物という。」と言っています。十人がおなじひとを見ていて、百人がおなじひとを指差していいます。「だれそれはたしかな人物だ。たのもしい人物だ。この始末をたのんでも、かならずまちがいはないだろう。この仕事をまかせても、かならずこなすだろう」と。このように世間から期待をかけられるひとのことを、人望のある人物であると言っています。
しかし、人望はただ力量で得られるものではないと言っています。そのひとの活発な才能、知恵、そして正直な心が、人望を積んでいくからです。それなのに、福沢は「世の中はその反対の状況をみることがおおいようだ」と嘆いています。例として、こんなことを挙げています。「ヤブ医者が玄関ばかりを広くしてさかんに名を売り、薬を売るものが看板を盾に商品を売りさばき、山師の帳場に意味のない金の箱をおき、学者の書斎には読めない外国の本をかざり、人力車にのっている上で新聞を読んでおきながら家に帰れば夕方に眠気をおぼえ、日曜日の午後に礼拝堂で泣くくせに月曜日の朝に夫婦喧嘩するものもいるのです。」
「活発な才能」「知恵」「正直な心」を持ちたいものです。

人望” への4件のコメント

  1. 政治家は国家の百年先を見通して政治をつかさどるが、政治屋は選挙のことしか考えない。どうも今の日本の政界には、つま先だって遠くを「望む」人物がいない。選挙のことしか頭にないから、実現不可能なことを言って国民の気を引いて政権交代しても、早晩行き詰まる。できないことは言わない正直な心が必要だ。人望とは、その人物にどれほどの金を任せられるかだ。自身の政治活動資金の管理もできない人物に、果たして何十兆円もの国家予算を任せられるのか。はなはだ疑問だ。「臣」という字の意味からして、自らを犠牲にしてでも国家国民に仕えるのが大臣であるべきだ。一支持団体の意見の代弁者ではない。今、もし福沢諭吉先生が日本の現状を見たらどう思うだろう。

  2. 目から始まる漢字には大きな意味を持ったものがいろいろあるんですね。先日の「省」の字から一つ取り組みを思いついたのですが、そこから「望」につなげていけないかと、またまた思いが広がっていきます。
    「人力車にのっている上で新聞を読んでおきながら家に帰れば夕方に眠気をおぼえ」という部分は思わず笑ってしまいました。自分自身がそんなことをしています。今はそんな状態ですが、やはり「活発な才能」「知恵」「正直な心」は目指していきたいところです。

  3.  「人望」がある人になりたいと思いますが、まずはどのような人のことを「人望がある」というのか分かっていないので、まずは、そこの理解からですね。「たのもしい人物」「仕事を任せても大丈夫だろう」など期待を寄せられる人を人望があるとブログに書かれていますが、私がイメージしていた物と若干違う感じです。中でも「活発な才能」「知恵」「正直な心」の三つの知恵と正直な心は分かりますが、活発な才能…やはり。生まれつきのセンスもあるかと感じましたが、これは何事にも興味持ち、学ぼうとする意欲の事と通じるのかな?と個人的に思いました。それが知恵になり、正直な心に繋がっていき、最後に「人望」が積まれるのでしょうか…。

  4. こうして「漢字の成り立ち」について説明を頂くととても興味深いものがあります。目という漢字に「呪術的な力」があることについては「省」を説明された時にも触れておられましたが今回の「望」も同様のようですね。私の知り合いに目力(めぢから)?の強い方がおります。話をしているその人の目を見ていると何だかそれだけで圧倒されます。その方も藤森先生のファン?のようで先日テレビに映った先生の姿を拝見して嬉しかったとメールをくれました。それはさておき、「臣」という字には驚かされます。「瞳を手で傷つけ・・・瞳の視力を失い、神に仕えた人」とあります。政府の役職に「〇〇大臣」とありますが、この「臣」の前に「大」とありますからそれはそれは凄い役職であることがわかります。こう考えてみると「総理大臣」は「人望」を誰よりも一身に集めた人ということになるのでしょう。凄いことです。

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