最近、私は人の遺伝子は社会を形成するために様々なものが組み込まれている気がしています。それは、現在、人間が持っている特性を見ても、集団を形成することに適しています。そして、その集団は、競うためにあるのではなく、共生し、協力するために必要だったはずです。しかし、いつもの間にか、競争社会と言われ、人に勝つこと、人より抜きんでることが目標になり、そうなることによって一つの価値観での競争になっていっています。人それぞれがいて社会なはずが、同じようなことを全員一斉にやり、その中で競争させられています。もう一度、それぞれの役割の中で、協力したり、協働していく社会をつくらないといけない気がします。
昨日紹介した記事の中で、フィンランドに留学した庄井氏がその時の体験を話しています。「1990年代の終わりごろ、フィンランドに留学した。現地で思い出すのは、保育園で行われていた昔語りだ。テンションを上げる必要はない。話は静かに始まり、子供たちも静かに集まって車座になる。各家庭でも、子供が思春期になるまで、ベッドサイドで親が読み語りをするのが普通だ。この国では、物語を語る人と聞く人との間に、私たちが忘れかけていた原風景がある。人が語る言葉にはそれぞれに人生の重みがある。語り合うことで、人と人との知恵が重なり、新しい物を生み出す力が発揮される。これが、教育大国フィンランドの社会的土台にある、人と人とのコラボレーション(協働)だと、私は考えている。」
このようにフィンランドでは、子供と親が、子供と教師が、そして子供たち同士が対話し、「ともに学び合う」ことをとても大切にしているそうです。そして、フィンランドの子供は、競争で人に勝つといったことに余計なエネルギーを使いません。「3か月前と比べてここは伸びてきた」「ここは持ち味だから頑張ろう」「ここは苦手だけど先生が応援してくれるから頑張ろう」。それぞれが自分の人生を豊かにするために学んでいるのです。
先日、私の園が行った「成長展」は、「今、子どもがどんな作品を作れるか」ではなく、「どんな作品が作れるようになってきたか」というように、子どもの姿をデジタルで見せるのではなく、アナログで見せようという試みです。また、一人ひとりの違いを大切にするような展示を心がけています。どうしても親は他の子と比べたがるのですが、この成長展では、わが子の成長を確認するために、それをクイズ形式にして見ていくようにします。ある保護者が私の姿を見つけると、「私は、とても優秀な成績でした。」と自慢してきたので、「おかあさんは、よく子どもを見ているからですね」と喜んであげました。
庄井氏は、インタビューに「フィンランドの高校生に一番人気の職業は、医者でも弁護士でもなく教師だ。教育系の大学の入学者は、長い面接と集団討論を経て、選抜される。採用に当たっても、総合的な力が重視される。困難にぶつかった時に一人で抱え込まず、共同で解決する力もその一つだ。日本で教師が困難にぶつかったら、教師の自己責任になる。教師はなるべく問題が起こらないように振る舞い、子供たちもなるべく間違わないよう、いつも成功するよう、という空気を感じて生きている。これでは子供の隠された能力が発揮できない。」と答えています。
フィンランドの子どもたちは、失敗しても、その子を責めることはせず、つまずいても失敗しても、それが人間の生きる姿だとおおらかに認めながら、人と人が頭を寄せ合って事を解決していきます。日本では、今、学力レベルは低く、いじめ、不登校も多いなかで根本的な改革が求められています。
「フィンランド豊かさのメソッド」(堀内都喜子著)によると、フィンランドでは「教師は国民のろうそく、暗闇に明かりを照らし人々を導いていく」存在として最も尊敬される職業です。この国では、どの教師も修士号を持っていて、厳しい審査(知識だけでなく、人間性を判断する適性検査もある)に合格すれば大学の教職課程を受講でき、その課程を修了すれば、どこの学校でも教職につけるそうです。日本のような採用試験はない。フィンランドの教育は、志の高い教員の質の高さに支えられているようです。
目指すべきは「それぞれの役割の中で協力したり協働していく社会」ですね。一つの価値観の中での競争ではなく、多様な価値観の中で自分の役割を見つけることができれば、それが大きな意欲へとつながっていくはずです。自分自身も、確かではないですが自分の役割はこれかもしれないと感じられたときは、何とも言えない感覚になります。生きている実感と言ってもいいかもしれません。そんなものをみんなで見つけていけて、そしてお互いに高めていける教育が日本で行われるとしたら、社会は大きく変わるんだろうと思っています。
すいません、もう一度コメントさせてください。一般的に行われているのが子どもたちの絵画や工作を教室や廊下に飾り付けて父兄に披露する「作品展」。時には、公民館や市民ホールで合同の展示会をすることもあります。ただし、純粋に子どもの創意工夫で作られたものかどうかは多少疑問があります。実態は、子どもの育ちを見せると言うよりも、園のPR行事となっているようです。以前、近隣のGTの園で成長展を見せてもらいました。個人別に時系列に縦に展示された絵画。その中から我が子の絵を探す父兄。そのそばから、担任の先生がその子の成長ぶりを語りかけている姿にとても感銘を受けました。「育児を保育園から家庭に返す」試みとして、とても素晴らしいと思います。
スポーツにしても勉強にしても、やはり人に負けたくない、人より優れたいという気持ちは少なくとも持っています。ただ、そうは言っても個人的に競争や勝負というのは好きな方ではないので、人と協力したりする方が好みます。あとはカナリの負けず嫌いですので、勝負に負けたくないからという気持ちもあります(笑)中には勝負が大好きで常に人より優れていたという人もいるかもしれません。しかし、そうは言っても、これからは人と協力し、色々な知恵を出し合って解決し、前進していく事が大切なことだと感じます。
私はこの「協働」というのが好きです。おなじ「キョウ」でも「競争」は字を見た途端にもうげんなりします。競って争って、何が一体楽しいのか。勝ち負けがあることが嫌いなわけではなく、「勝たなければ敗者」というのがとても馴染めません。従って、「勝たなければ」ならないスポーツ競技や賭け事、それから選挙に立候補するなどは私の性に合わず、やりません。ところで、学びを協働して行うことに私たちは不幸にしてなれていません。学習もある意味「競争」と位置付けられていました。幸い、「勝たなければ」という思いで勉強したことはないのですが、私の同級生には「勝たなければ」をあからさまにする人もいたりしましたのでそういう人とは距離を置くことになりました。とにかく大人は子どもたちに「競争」を煽りたがります。改めなければなりません。大人が「協働」に真価を認めない限りこの国の教育は変わらないような気がします。