園では、卒園式シーズンです。もうすぐ、ぴかぴかの1年生になります。その光景は日本独特のものです。ただ、その光景も少しずつ変わりつつあります。それは、まず、ランドセルの素材ですが、主な素材は牛皮がほとんどだったのが、価格の面や重量の面からクラリーノなどの人工皮革も多くなりました。また、最も高いのは、コードバンといわれる素材で、馬のお尻の革で作られ、1頭からランドセル2個分しかとれない大変貴重な高価な素材です。また、私の子どもの頃は、女の子は赤、男の子は黒、というのが定番でしたが、今では「ローズ」「ピンク」「水色」「ベージュ」「黄色」「紺」「オレンジ」など、カラーも豊富です。水玉とかチェックも出てきました。そんな1年生を象徴するランドセルですが、私の子どものころはほとんどの子は6年生まで使っていましたが、今は、何年生まで使うのでしょう。
ランドセルを使わなくなるのは、ぼろぼろになったからではなく、ほとんど年齢的にやめることが多いので、なんとなく愛着があり、なかなか捨てることができません。小学生の背中で揺れるランドセル。6年間の思い出をいっぱいつめこんだこのランドセルに感謝の気持ちをとミニランドセルとして復活させたのが「スキップ」という会社で、一時テレビなどで紹介されて、人気になりました。その制作者らが、3+2+1が、小学校の修業年数の6になることから、今日の3月21日を「ランドセルの日」と制定することを提案しています。
ランドセルを背負って通う小学校とは、初等教育を施し、学校系統上最も基礎的な段階をなす義務制の学校です。この学校は、江戸時代の寺子屋から発展したもので、1872年学制により始まりました。その就学年限は、1886年には4年制の小学校と、高等小学校4年の2段階でした。それが、1907年の今日3月21日に小学校令が改正され、小学校6年、高等小学校2~3年に改編しました。その後1947年の学制改革により、義務教育制度が施行され、6歳から15歳までの9年間を義務教育期間とし、小学校6年間・中学校3年間をその期間に該当させたのです。
ランドセルは、日本独特の歴史を経ます。もともとは、ランドセルは子どもの持つものではなく、江戸時代に幕府が洋式軍隊を導入する際に輸入した兵士が背中に背負う布製の袋のことでした。その背嚢を英語でいえばナップサックか、バックパックというのですが、オランダ語での呼び名が「ランセル」だったので、それがなまって「ランドセル」になったといわれています。明治時代になると、このランドセルが、帝国陸軍において将校用背嚢として制定されました。同時に、官立の模範小学校として開校した学習院で兵士の背嚢を元にした物が通学カバンとして使われるようになりました。当初は現代のナップサックのような形だったのですが、明治20年(1887)に、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が学習院に入学したのを記念に、伊藤博文が皇太子に贈ったランドセルが箱形のものであったため、以降この形が流行して言ったといわれています。
ランドセルが日本独特のものといっても、外国でも当然小学生は荷物を持って学校に行きますので、何らかの袋を持ちます。しかし、その形は背負い式、手さげ式、ショルダー式などがあります。しかし、イギリスなどは、基本的に教科書はすべて学校においておくシステムが採用され、教科書は持ち歩かなくてもよくなったために、かなり小さめのカバンを持っていきます。アメリカやカナダでは、勉強は学校だけでよいとの考え方から、教科書は学校が貸与するというシステムをとっているため、ほとんどの子供は手ぶらで通学します。
1年生くらいは、教科書を使った授業から、もっと体験的な授業をすべきだと思うのですが。
月別アーカイブ: 3月 2010
体力
年をとると、体力が低下してきます。体力といっても、大きく分けて2つあります。体温調整や免疫力、抗ストレス力などを「防衛体力」といい、走ったり跳んだりという運動の基礎になる体力を「行動体力」と言います。一般的に「体力が落ちた」とか「体力がある」とか言われる体力とは、このうち「行動体力」を指しています。体力は20歳頃をピークに衰えて行きますが、その衰え方は人によって千差万別ですが、体力が衰えるのは当然として、問題があるのは、実年齢に沿った体力年齢でない場合です。最近、問題になっているのは、体力の低下ではなく、実年齢よりもずっと速いスピードで体力が低下している人が増えていることです。
体力は、20歳をピークにして次第に衰えてくるのですが、努めて運動をすると、体力の急速な低下を防ぐことができます。しかし、最近は便利な世の中ですので、あまり体を動かさなくても用が足りてしまいます。そこで、ますます体力は低下していきがちです。この低下は、はじめのうちはあまり自覚がありませんが、40代になってくると、運動不足からくる筋肉の衰えと同時に骨ももろくなってきて、体力の低下を思い知らされることになります。
体力がなくなると、いろいろなことをすることが困難になってきます。これは「行動体力」と言っていいかわかりませんが、私は、体力が必要だと思っていることに「睡眠」があります。長く眠り続けるには体力が必要な気がしているのです。私は、どうしても長く寝続けることができず、必ず夜中に起きてしまうのです。もちろん、二度寝はできるので大丈夫と言えば大丈夫なのですが、ぐっすり朝まで寝る経験をしてみたいと思います。少し前に、風邪をひいて微熱が出たので、早く寝ようと夜9時半に寝て、ぐっすり寝て起きてみたら、なんとまだ夜中の11時でした。若いころは、まだ11時でこの後いっぱい寝ることができると喜んだものですが、今は、まだ朝ではないとがっかりしてしまうのです。
本来は、睡眠はすべての生物に等しく与えられた憩いの時間です。R25 という雑誌に、スリープクリニックの遠藤拓郎先生がこう説明しています。「睡眠はただ体を休めるものではなく、心身をメンテナンスするための時間です。睡眠を夜間に自動車(体)を停めておく駐車場のようにとらえている人は多いと思いますが、どちらかといえば、夜のうちに機体のメンテナンスを行う飛行機の”駐機場”と考えるべきでしょう」
しかし、遠藤先生によれば、人は正しく入眠すれば、最初の3時間に最も大量に、疲労した体、飲酒で負担をかけた内臓、紫外線を浴びてダメージを受けた皮膚などを修復するために不可欠な成長ホルモンを分泌するそうです。私は、平日は、12時に寝ると、毎日ほぼ4時半ころに一度眼が覚めます。遠藤先生によると、「私が睡眠の専門医としてお勧めできる、パフォーマンスを落とさないギリギリの睡眠時間は『4時間半』です。ただし、4時間半睡眠はあくまで平日だけにとどめ、土日のどちらかで7時間半の睡眠を確保し、睡眠不足をリセットする必要があるので要注意。」
私は、日曜日は7~8時間寝ているし、平日も二度寝しているので大丈夫なのですが、もし、平日に4時間半しか寝なくても心配はないようです。
虫歯
腸内細菌は、ずいぶんと多くいますが、8割も私たちを助ける働きをしているとは驚きです。しかも、悪玉である大腸菌でさえ、必ずしも悪い働きをしているだけとは限らないというのも不思議です。しかし、それは当然と言えば当然かもしれません。全く必要でない菌であれば、もともと体の中に存在しているわけはないからです。最近、必要でない菌が体の中に必要以上に繁殖するのは、それを抑制する菌が少なくなったからでしょうから。
読売新聞の「健康プラス」という連載では、腸内だけでなく、同じように多くの菌がいるのが口腔内で、そこには、なんと常在菌は400種類以上、100億個以上いるとも言われているそうです。その多くは、「口腔レンサ球菌」という菌ですが、この菌は、歯の表面を覆い尽くし、ほかの病原菌が歯につくのを阻止する善玉菌だそうで、人間にとっては、縁の下で歯を守る、ありがたい細菌のようです。
逆に悪玉菌と呼ばれる菌は、推測されるように虫歯などや歯ぐきの病気を引き起こす菌です。記事によると、これらの菌は、常在菌ではあるのですが、環境の変化で急増するようです。その一つは虫歯の原因菌の「ミュータンス菌」です。この菌は、少数派だそうですが、虫歯を引き起こします。日大歯学部細菌学教室教授の落合邦康さんによると、この細菌は歯間などにたまる歯垢内に住み、食物に含まれる砂糖成分を好んで食べて乳酸を生み、この酸が歯を侵して虫歯を作るそうです。ふつうは、この菌を唾液が洗い流してくれるのですが、菌もさる者、洗い流されないように粘着質の「バイオフィルム」という膜も作って、菌と乳酸を守ります。ですから、この膜を作らないようにしなければいけないのですが、それは、この膜の原料である砂糖を取り過ぎないようにしなければなりません。
もう一つは、歯周病を起こす「歯周病菌」です。この菌は、歯と歯肉の間(歯肉溝)にたまる歯垢内にいて、毒素を作り、歯肉に炎症を起こさせます。そうなると、症状が進行して歯を支える骨を溶かしてしまい、そうなると歯が抜けやすくなってしまうのです。これが歯周病です。これらの菌を、歯磨きで除かないと虫歯になったり、歯周病になってしまいます。では、いつ歯磨きをすれば効果的かというと、この2種類の菌は、食物や唾液と一緒に胃に流れていくので、食事中には減ります。しかし、寝ている間は唾液の出が悪いので菌はどんどん増えていきます。そして、朝、起床時の細菌数は、前日の夕食後の10倍以上にもなるといいます。ということは、毎食後歯を磨くのも大切ですが、それ以上に朝起きてすぐに歯磨きをするのが、虫歯予防には一番効果的のようです。
私の子どものころは、朝起きたら、まず顔を洗い、歯を磨いて仏壇に手を合わせ、両親に朝の挨拶をしてから朝食でした。その後、朝よりも寝る前に磨くのがいいと言われ、歯磨きが朝から夜に変わりました。その後、朝や寝る前よりも、毎食後磨くのがいいと言われてきたのが、また、朝起きたら磨くのがいいといわれて、結局は昔に戻るのかという印象です。それは、歯磨きだけでなく、いろいろなことが私が子どものころに経験からしていたことが結局はいいのだということが多いようです。しかも、忙しいときには、何も毎食後磨かなくても、うがいをしたり、ガムをかんだりするだけでも効果があるそうです。
食後にお茶を飲んで、クチュクチュしていたのが、虫歯予防にもいいということのようです。
清潔
「安全第一」というよりも、子どもにとっては「安心第一」のほうがいいような気がすると同時に、「清潔第一」よりも「清廉第一」のほうがいいような気がします。どうも、最近は「安全」「清潔」を気にしすぎる嫌いがあります。もちろん、安全なほうがいいですし、清潔がいいのですが、それを気にするあまりに、大切なものまで失わせてしまうことがあるのではないでしょうか。
今、読売新聞で「健康プラス」という、連載をしていますが。ここ数日は、「常在菌と付き合う」が連載されています。この常在菌というのは、「人は自分だけで生きているわけではなく、顔、口、気道、胃、腸、尿路など、体のいたるところに棲み着いている細菌」のことです。」いわば、さまざまな菌と人間は共生して生きているのです。細菌の中には、人間に悪さをするものも多くありますが、それだけでなく、人間とお互いに助け合っている菌もあります。どのくらい菌があるのかというと、こう書いてあります。「細菌の中で最も多くいる場所は腸だ。400種類以上、100兆個以上とされ、人体を構成する約60兆個の細胞の数を上回る。大便の重量の1割ほどは、腸内細菌の死骸と言われる。それほど多い。」まあ、菌だらけといった感じです。
しかし、こんなに多くの菌があるにもかかわらず、その8割の菌が、人間にいいことをしてくれたり、悪さをしないそうです。杏林大医学部感染症学教授の神谷茂さんによると、腸内にはバクテロイデス、ユウバクテリム、ラクトバシラスなど、実にさまざまな細菌が存在するそうですが、これらの多くは食事の残りカスを分解するなど腸内環境を整えてくれると言っています。まだまだ腸内細菌の世界の全貌は明らかにはなっていないようですが、このような菌のことを「善玉菌」といいます。そして、残りは「悪玉菌」です。たとえば、大腸菌やウエルシュ菌などは、たんぱく質を分解して発がん物質を放出するとされています。
では、この悪玉菌があったらどうしようかと思うのですが、じつは、ほかの腸内細菌群が、この発がん物質を分解・無毒化するので、体への悪影響はほとんどないと言います。すごいですね。ですから、そのためにほかの腸内細菌群が体の中に必要なのです。しかも、 神谷さんは「大腸菌は、単なる『悪玉菌』ではありません」と指摘しています。悪玉菌も、ただ悪さをするためにだけ体内にいるのではありません。これらの悪玉菌も、「人間に必要なビタミンBなどを作る」「腸に集まる免疫細胞を刺激して、細菌などの侵入を防ぐ免疫機能を高める」「潰瘍性大腸炎治療薬のうち1種類の効果を高める」などの良い働きをすることが分かってきたそうです。ということは、悪玉菌も、ある程度体の中に持っていたほうがいいということになります。
ただし、悪玉菌が増えすぎるなど腸内細菌のバランスが崩れると体調不良につながると注意をしています。どうすると悪玉菌が増えるかというと、「高たんぱく、高脂肪の食事を取り過ぎる」「不規則な生活でストレスが多い」などが原因とされています。
善くも悪くも、程々がいいのかもしれませんね。「中庸」ですね。
安心と安全
私は、最近、保育はある意味では医療に近い気がすることがあります。いくら民間でも、NPOであるべきで、利益を追求するという目的が立てにくい場でもあるからです。また、保育には、少し前のブログに書いた「未病」という概念も必要な気がします。また、人間相手のですので、白か黒ではなく、「中庸」の考え方も必要になってきます。昨日、ある医者から、私たちが薦める保育「見守る保育」について、こう言われました。「見守るというのは、子供を自由にさせているということなのでしょう?」この方の言う自由は、好き放題にさせているという意味で使われていました。そこで私は、「あなたはお医者さんだからわかるでしょうが、病院に看護師さんがいらっしゃいますよね。看護師さんたちは、患者さんたちを自由に、好き勝手にさせているのですか?」その質問に不審そうでしたので、こう説明しました。「看護というのは、看ると護るということで、看護師は見守る人という意味ですよね。見守るのは、患者を信じて、患者を安心にさせることですよね。それによって、患者自身が病気に立ち向かい、自ら直そうという意欲を持って生きていく援助をすることですよね。」と言いました。私は、しばらく看護学校で教育学を教えていましたが、そういうことを教えていました。
しかし、この患者を安心させるということと、安全を第一に考えるということは違います。これは、保育にも言えることで、子供を安心させるというのと、子供の安全を第一に考えるということは違うことが多いのです。「ダイヤモンド」という雑誌の今週号に、「外科医のつぶやき」という連載として「不安な思いから“安全第一”に取りつかれた医療ではダメ!」という記事が掲載されていました。
そこには、多くの会社では、「職員の安全第一、品質を第二と訓示しているが、医療の現場では「安全第一」は、患者さんの治療の目的を考えると、とてつもない錯覚がおこることがある。」とあります。そして最後に、「患者さんの立場なら、手術への不安から安全な治療、誤った療法を選んでしまうこともあるだろう。だが、患者さんはともかく、医療従事者だけは、不安な思いに対して“安全第一”が取り憑いた判断をしてはいけないと思う。」とまとめています。ここに書かれているのと少し違う部分がありますが、私は、保育も不安な思いに対して安全第一がとりついた判断をしてはいけないことが多いような気がします。以前もブログで紹介した安藤忠雄さんの文章にも、「確かに、安全で安心であることは、建築と都市の大前提だ。1995年の阪神淡路大震災を経て、建設に携わるものの責任についても、さらに深く考えるようになっている。しかし、それにしても、世間の「建物から一切の角を失くせ」言わんばかりの過剰な反応には納得がいかない。-略- 巷では個性を伸ばす教育といった教育改革の文言がよく聞かれるが、子どもの個性、自立心を育てようという発想と、危険のありそうなものは全て排除して、徹底的に管理された環境で保護しようという発想は、全く矛盾している。ガラスに当たったら危ないことも分からないまま育つ子に、自己管理能力は身に付くだろうか。そんな過保護な状況にあって、果たして”生きている”緊張感、自分で何か工夫して問題を切り抜けようという創造力が育つだろうか。」
安心第一と、安全第一は違うことをもう一度考えないといけない気がします。
コク
今日の帰りの電車の中の広告で、こんなものが目に付きました。「新しいコク、ご贔屓に」― コク出し二段仕込みで、コク一新。コクの時間 ―というのですが、何度も「コク」という言葉が出てきますが、私はあまりアルコールを飲まないので、この「コク」という味わいがよくわかりません。この「キリン コクの時間」は、コクの概念を変える“まったく新しいコク”が特徴の新ジャンルですと書かれてあるのですが、もともとのコクの概念を持っていないので、変えようがないのですが。「コクの国」の「コク屋」を舞台に、「コクの時間」の新しい世界が始まります。という文になると、全くイメージの世界に入り込んでしまいます。しかも、このCMには、わからない言葉が他にも出てきます。「コクなのに、キリッと引き締まっている。麦のうまみを引き出す「デコクション法」と、独自の「ホップ投入法」を導入することで、冷涼感のあるホップの香りが、引き締まった後味を生み出し、飲んだ瞬間に実感できる、新しいおいしさに辿り着きました。 」この「キリッと」というのも何となくは分かるのですが、この飲み物がキリットなのかどうかは分からないような気がします。
この「コクの時間」は、第三のビールと言われているものですが、国内のビール、発泡酒の出荷量・販売量は年々減少傾向にあるのに比して、一方で比較的安価な第3のビールは伸び続け出荷数量で3割を超え、発泡酒を上回る勢いのようです。
ビールの味わいには、この「コク」のほか「キレ」という表現をすることもあります。しかし、ビールのコクやキレは数多くの成分が複雑に絡みあって生まれるため、これまでその判断方法は官能評価以外にありませんでした。それを、サッポロビール価値創造フロンティア研究所で、コクとキレを客観的に計る手法の確立しようと研究し、人間工学的なアプローチからビール成分と舌の関係に注目し、「コク・キレセンサー」の開発に取り組んでいました。その時に、次のような定義を立てました。「コク」とは、ビールを口に含むと、「にがみ」とか「しぶみ」とか、「すっぱさ」などといった味成分が舌の粘膜に吸着しますが、この味成分が、飲んでいる間にたくさん舌の粘膜に吸着すると、ビールにはコクがある、と感じます。一方、「キレ」は、ビールを飲み終えたときに、吸着した味成分がスッと舌から洗い流されると、ビールにはキレがある、と感じるとしました。このように定義したコクとキレを、脂質膜センサーという、舌の表面をまねたセンサーを使って、味成分の脂質膜への吸着量の時間的な変化を測定するのが、コク・キレセンサーです。
大辞林によると、「1 濃厚なうまみ。「―のある酒」、2 内容に深い趣があること。」と書かれてあります。その語源は、文語形容詞「濃し」の連用形「濃く」説と、「酷」には「穀物が熟する」という意味があることから「酷」説があるようです。
ワインの場合、「コク」とは「厚み・ふくらみ」を意味し、Bodyという意味でよく表現されます。ワインの中には、水分、アルコール、糖、酸をはじめ微量ながら土壌からのさまざまなミネラル分などが存在します。その中で、主にアルコール分やエキス分(ワインの中の不揮発性成分で、これが多いほど甘口になります)の含まれる量の割合によって表記が分けられます。軽いものからコクのあるものへ順に、Light-Body(ライトボディ)、Midium-Body(ミディアムボディ)、Full-Body(フルボディ)と表現しています。
また、コーヒーにも使います。しかし、やはりはっきりした定義はないようで、飲む人の感覚の問題になりますが、どうも濃くいれた方が「コク」を感じる、という人が多いようです。
タヌキ
今朝、NHKテレビでタヌキの大きな像が映りました。そのタヌキを見て、なんだか懐かしくなりました。私は、以前、このタヌキを見たのですが、それはその地に講演に行った時でした。そのころは、今ほど講演依頼がなく、私自身もまだあまり明確に保育が構築されていなかった頃の講演依頼でしたので、とても印象に残っているのです。そのほかに、思い出がたくさんあるのには、いくつか理由があります。
講演依頼が来たのは、徳島県小松島市の教育委員会からでした。先方から、「宿泊場所を小松島ステーションパークに面したところに取ります」と言ってきました。その公園には、大小たくさんのタヌキの像が置いてあるのです。それは、昭和14年に公開された映画「阿波狸合戦」やジブリの映画「平成狸合戦ぽんぽこ」などのベースになったタヌキにまつわる民話が、ここ小松島に伝わっているからです。その中で有名なのが、この公園においてある、世界一大きいタヌキの像で、その像がテレビに映ったのです。
この大きなタヌキは、滝の前に立ち、手をたたくと滝が流れる仕組みになっていて、ふるさと創生事業交付金でつくられている金長狸です。そのころ、私が園長をしていた園は、多摩ニュータウンにありました。このニュータウンは、高度経済成長の波に乗った人間が、多摩丘陵を切り開き、つくられたものです。当然、多摩丘陵で静かに暮らしていたタヌキたちも住む場所を奪われてしまいます。そこで、自然への畏怖を忘れた人間を懲らしめ、静かな生活を取り戻すため、タヌキたちは長く忘れられていた力「化学(ばけがく)」を駆使して人間に戦いを挑むのです。これが、「平成狸合戦ぽんぽこ」です。その戦いのために、四国と佐渡から狸の長老を招くのですが、四国から招いたタヌキが金長狸で、迎えに行った車に乗せて現地を案内する場面に、私の園の近くの見附橋の工事中が映るのです。そんなつながりがあるので、徳島の人は、別名タヌキ公園の前の宿をとってくれたのです。
小松島市のHPに、金長狸の民話が紹介されています。江戸時代の末頃、日開野に住んでいた金長という狸が、ある時、村の子供達に枯葉を燃やし、穴の中からいぶり出されようとしていたのを、日開野の染物屋「大和屋」の主人・茂右衛門に助けてもらいます。そこで、金長は、恩に報いるため「大和屋」に移り住んで、守り神になり、店に大いに繁盛します。その後、金長は津田浦の六右衛門という狸の世界の大物の所へ弟子入りしますが、六右衛門は人をだまして物をとる悪いタヌキでしたが、頭の良い金長の才覚に目を付け養子になれと誘います。しかし、金長に拒否され、逆にやり方を注意され、怒った六右衛門は金長とその家来を襲います。家来を失い、辛うじてひとり日開野へ逃れた金長は仇討ちを誓い県南の狸に呼びかけ、六右衛門討伐の兵を挙げます。この戦いが「阿波狸合戦」です。最後には、金長は六右衛門を討ち取りますが、自らも致命傷を受け、息を引き取ります。彼の生き様に感激した茂右衛門は、正一位金長大明神として長くまつったということです。
今では、金長饅頭が売られているので忘れられていないと思いますが、この民話を知っているのでしょうか。そのあと、私は新宿の園に来たのでタヌキには縁がなくなったのかと思いきや、以前ブログで書きましたが、新宿の園舎内になんと、野生のタヌキが入ってきたのです。ニュータウンで園長をしている時に、ある保護者から、夕涼み会で「園長は、本当はタヌキではないのですか?」と聞かれたことがあります。その保護者はひげを書いて、大きな尻尾をつけてきました。私は、「私は化けるのが上手なので、尻尾は出しません」と答えたのを、テレビのタヌキを見て思い出しました。
放課後の子供の居場所
最近、保育園には入れない待機児と言われる児童が都心ではとても多く、保護者はとても困っているようです。同時に、放課後の児童が過ごす場所である「学童クラブ」への入所希望も非常に多く、その環境は必ずしも子どものためになっていないことが多いようでう。保育園への希望が多いということの原因の主なものは、女性の社会進出ですが、その女性の子どもが小学校に入学するようになると、仕事を辞めるということは少なく、そうなると、当然、小学校低学年のころは、学童クラブに子どもを入れるようになります。今や、子どもの育ちに必要となった学童クラブですが、その内容、形態、運営主体など日本では様々です。
新宿区では、学童クラブは、児童館併設がほとんどでした。それは、まず面積が広く取れます。学童クラブとして認可された面積は狭くても、児童館としての部屋を使うことができます。それは、使う対象の年齢が重なっているために、遊び空間だけでなく、遊び道具も、図書などの備品も、トイレなどの設備も、共用できるからです。また、行事も一緒に行うことができます。学童クラブとしての行事は、在所児童だけに関係する卒所式とか誕生会くらいで、他の行事はすべて合同で行うことができます。しかし、児童館設置は、小学校区単位ではありませんので、小学校によっては、隣の小学校区まで行かなければならず、特に1年生にとっては、通所が大変だけでなく、保護者も心配なようです。
また、私が少しの間、小学校教員をしていた東京都日野市では、小学校併設でした。小学校の校庭の隅に、小さな家が建てられ、学校からその建物に「ただいま!」と帰っていくのです。その建物は、あまり大きくはなかったのですが、そこに面している校庭で遊べるので、こどもたちはおもいきり体を動かすことができます。また、通所距離も短いので、保護者にとっても安心ですし、学校の教員とも触れ合うこともできます。しかし、教員の理解がないと、校庭の使用は難しかったようです。どうも、放課後児童は、学校からすると、蚊帳の外という感じがしました。
また、私は、地域で学童クラブ新設を陳情し、団地の一角の部屋を学童クラブ室として市から借り受けて、地域の人々と運営委員会を作り、学童を運営していたことがあります。それは、市内にある公立でもなく、自主学童でもなく、地域みんなで作り上げていった学童クラブでした。私が運営委員長をしていたのですが、保護者会などの話し合いは、私としては経験したことのない面白い進め方でした。例えば、運営委員たちが前に並び、保護者たちがみんな並んで対峙する形で行われるのですが、、「もう少し保育時間を延ばしてほしい」と保護者から要望が出ると、前にいる私は、これに答えるのではなく、「では、どうしたらいいでしょうか」と逆に質問する形になるのです。というのは、権利として要求し、誰かが対応するのではなく、みんなで解決方法を生みださないといけないからです。ですから、「もっと、教材を増やしてほしい」ということではなく、「生活に必要なトイレットペーパーなどは各家庭から持ち寄って、もっと教材費を増やしましょう」という意見になるのです。
もちろん、行政が整備することが必要なこともありますが、いつも行政に要求するだけでなく、みんなで解決方法を見つけていくということも必要な気がします。地域の人たちみんなで運営する経験は、とても貴重な経験でした。
味付け
旅館に泊まると、朝食に海苔が必ずと言っていいほどついています。その海苔は、ほとんどは、味付け海苔が袋に入っているものです。一度だけ、上級宿に泊まった時に、朝食時、裃を着た調理人が大きなまな板を持って部屋に入ってきました。そして、包丁を振り回すパフォーマンスを始めたので、朝から魚の生き作りをこの場でやって見せるのかと思いきや、おもむろに海苔を1枚取り出して、一緒に持ってきた火鉢であぶり出し、そのあと、その海苔をまな板に乗せて、大げさな身振りで包丁を振り上げ、海苔を小さく四角に切り始めたのです。そして、その海苔を大げさに重ねて、小さい皿に乗せ、恭しく差しだして、部屋から出て行きました。その時は、出版社の編集者の人と一緒だったのですが、思わず、何だったのだろうと顔を見合わせてしまいました。その時は、焼き海苔でした。
昨日の読売新聞の発言小町で、味付け海苔に醤油をつけるか、つけないかのアンケート結果が出ていました。結果は、つける34%、つけない61%、その他5%でした。つけない理由のほとんどは、「そもそも味が付いているので必要ない」との答えで、「つける」派からは、「のりがしっとりしてご飯を包みやすくなる」「味がキュッとしまる」などでした。私はなぜか海苔は醤油をつけるものと思っていましたから、つけない派が多いとは驚きでした。聞いてみないと分からないものですね。
先日、テレビで放映していたのですが、おにぎりは「焼き海苔」で巻くものだと思っていましたが、関西では、味付け海苔でおにぎりを巻くようです。味付け海苔は、明治2年、明治天皇が京都へ行幸の際、東都のお土産として山本海苔店が仰せつかり、二代目徳治郎が苦心創案したものです。しかし、昭和初期ころまでは、高級品として缶に詰められ百貨店などで贈答用に販売されていたのですが、1932年に「味付け海苔」のバラ売りを大阪で始めたところ、大阪全域で爆発的な売れ行きとなり、関西では、家庭の味としておむすびに「味付け海苔」が使われるようになって、定着したようです。また、おにぎりの形も地方によって違いがあるらしく、普通は、おにぎり形というと三角形と思っていましたが、関西は「俵型」が多いと言います。
少し前に、園に韓国から女性建築家集団の方々が見学に見えた時、お土産に「韓国海苔」といただきました。韓国海苔は、韓国で生産される海苔の一つで、一般に塩とごま油で味付けされている味付け海苔です。韓国の家庭では、塩味を付けたゴマ油をごく少量塗ってから、熱したフライパンに押し付けて焼き、4つに切って、食卓の上に盛上げます。この海苔で出されている料理を包んで食べるのです。もともと、「味付け海苔」という加工海苔は日本の山本海苔店から伝わったものですが、ごま油の味付けは、日本の関西の味付け海苔が日本統治時代に韓国に伝わり、現地風にアレンジされたものといわれている。私たちが当たり前と思っていることでもそれは、自分たちの地域だけの特徴であることも多いのですね。
ヌルヌルするという意味の「ヌラ」がなまって「海苔」になったと考えられていますが、大宝元年(701年)に制定された日本最古の成文法典である「大宝律令」によれば、29種類の海産物が租税としておさめられていました。そのうち8種類が海藻で、海苔がその1つとして表記されています。この事から、海苔は産地諸国の代表的な産物として、大変貴重な食品だったようです。全海苔漁連ではこの史実に基づき、「大宝律令」 が施行された大宝2年1月1日を西暦に換算すると702年2月6日となるため、毎年2月6日を「海苔の日」と定めています。
生
平成17年度児童生徒の食生活等実態調査報告書によると、子どもの好きな料理は、1位が寿司、カレーライス・ハヤシライス、ステーキ、ラーメン、ピザでした。また、NHK放送文化研究所世論調査部による日本人の好きな料理では、寿司や刺身、ラーメン、みそ汁、焼き魚、焼き肉、カレーライスでした。ある資料によると、昭和30年代の子どもの好きな料理はおむすび、スパゲッチー、コロッケ、おでんなどでした。
これらのデータを見るまでもなく、今の子どもは寿司や刺身が好きなようです。逆に、この寿司や刺身は嫌いな料理にも入っています。どちらにしても話題になるほどなじみのある寿司や刺身の代表がマグロですが、この中のクロマグロについて、日本は窮地に立たされています。それは、欧州連合(EU)は12日、エネルギー担当相理事会を開き、モナコが提案した大西洋・地中海産クロマグロの国際取引禁止案を支持する方針を正式決定したからです。EUのほか米国、スイスなども支持を表明しており、13日からカタール・ドーハで開かれるワシントン条約締約国会議で採決される予定ですが、その阻止は、厳しそうです。
私も寿司や刺身は好きですが、私の子どもの頃は、寿司や刺身など、生の魚はあまり食べなかったように思います。ほとんどは煮魚で、たまに鯵などのフライや、タイなどの焼き魚、魚の佃煮でした。寿司も、食べたのですが、それは上等な客が来たときに相伴に預かるくらいでした。そんな高級なイメージの食べ物が、子どもの好きな食べ物にあがったときには少しびっくりしました。子どもなのにずいぶん贅沢だと思ったものでした。しかし、それは、寿司が回転寿司の登場で庶民の食べ物になったからでしょう。それと、生の魚の保存が可能になったからでしょう。
もちろん、大昔、人間は新鮮な獣や鳥の肉・魚肉を切り取って生のまま食べていたでしょう。しかし、当然、それは新鮮なうちに食べることのできる地域に限られていたはずです。ですから、魚を生で食べていたのは、海辺では海の魚、山では川の魚や鯉などを食べていたでしょう。また、お刺身と言いますが、この呼び方は一般的に関東地方で使われて、関西地方では「お作り」と言うことが多いようです。
刺身の中では、関東地方ではマグロなどの赤身の魚が好まれ、関西地方では鯛などの白身の魚が好まれる傾向があるようです。また、マグロの刺身を食べるのは、世界中の中では圧倒的に日本人が多いようです。なんでそんなに日本人はマグロが好きかというと、それは、私が思うには、日本は醤油文化だからのような気がします。マグロの刺身と、醤油は抜群の相性です。刺身の原形は鎌倉時代に始まったといわれていますが、その頃はまだ醤油がなかったため、なますにして食べたり、ワサビ酢やショウガ酢で食べていました。なますとは、現在では正月などによく食べる大根やにんじんなどを細長く切り酢で味付けしたものをさしますが、もともとは、生魚を細く切り刻み、酢で味付けする調理法でした。どちらにしても、酢がベースでした。それが、室町時代に入り、醤油が誕生しましたが、まだまだ高級品であったため、刺身は身分の高い人々しか食べる事のできない高級な料理でした。一般庶民に刺身料理が広まったのは、醤油が庶民にも普及した江戸時代の末期からです。また、明治・大正の頃は今と逆で、赤身を高級店、値打の無い脂身(トロ)は屋台店などで売っていました。
マグロを捕ってはいけないことになると、もちろん漁師さんなどそれで生計を立てている人は困るでしょうが、私たちは、マグロ、特にトロを食べることができなくなるとどうしようと思ってしまいますが、環境や、その種を守るためには、それほど頻繁にマグロを食べなくてもいいのかもしれません。