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2010年02月03日 近頃思うこと

伝統

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日本の伝統的工芸品に指定されているものを見ると211品目の中で一番多いのは、「織物」で33品目です。やはり、衣食住は人間が生活するうえで欠かせないものだったからでしょうし、その原料は、その地域の植物や動物などから作られるために、伝統として伝わっていくのでしょう。
 その指定された織物のひとつに私の住んでいる八王子のものがあります。それは「多摩織」と呼ばれるもので、現在、多摩織は、八王子市そしてあきるの市の一部の地域で作られています。企業数としては85箇所あります。現在の八王子にあたる地域では、平安時代末頃から絹が織られており、滝山紬や横山紬といった織物がありました。多摩の丘陵には遥か昔から桑の木が生え、土地の人々はその葉を蚕に与えて繭を作らせました。平安時代初頭の文献には、この一帯は生糸や絹の産地として記されています。室町時代後期、多摩川のほとりにやってきた北条氏が、領民の産業として奨励したことで産地として形が整いました。以前のブログでも紹介しましたが、八王子は「桑の都」ということで桑都(そうと)とも呼ばれます。駅ロータリーの名前は「マルベリーブリッジ」、そこから北に延びる道路の街路樹は桑の木です。
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そして、その絹を横浜から海外に輸出するために運んだ道が「絹の道」として残っています。江戸時代には定期的に絹市が立ち、地元だけでなく周辺地域からも生糸や繭、絹織物などが集まりました。
八王子織物は、明治時代に入ると文明開化によって技術が急速に発展する中で、全国各地の産地から積極的に織物技術を取り入れたり、さらに独自に技術を開発したりすることによって近代化を図り、現代産業への転身していったのですが、数百年の歴史を伝える織物の技法も守り続けました。そして、伝統の技を駆使して作られる織物は「多摩織」と名付けられ、1980年(昭和55年)に、国の伝統的工芸品に指定されているのです。
 伝統工芸は、その地域の歴史と、その位置により、その独自性を深めていきます。「八王子織物」とは、もとは周辺の村で織られ、八王子の市に集められた織物のことでした。その織物は、桐生や足利などの織物技術の先進地や、江戸という大消費地に近く、織物業が発展するにために、地理的にも有利な条件がそろっていたのです。この桐生、足利で織られていた織物も、「桐生織」として伝統的工芸品に指定されています。
桐生織の歴史は、また違ったものがあります。資料によると、1200年ほど昔、宮中に仕える白滝姫が桐生の山田家に嫁に来て、村人に養蚕や機織りを伝えたのが始まりと言われています。この桐生織物を、鎌倉時代末の新田義貞の旗揚げや、1600年の関ヶ原の合戦では、徳川家康が桐生の白絹の旗を用いたこと等から、その名を全国的に高めました。さらに19世紀前半には幕府の保護もあって、金襴緞子や糸錦のような高級織物を生産するようになり、この技術・技法は今の桐生織に引き継がれています。
「金襴緞子の帯締めながら花嫁御陵は」と歌われている「金襴」は、唐織物の一種で、織金ともいい、綾・繻子・羅・紗などの緯糸に、金箔を貼って細く切った平金糸で模様を織り出したものをいいます。また、「緞子」は、朱子織で織られているものです。中国元・明代に盛んとなり、日本には足利時代に堺のに伝わり、堺で織られますが、やがて生糸があつまる京都西陣に伝わり、西陣を中心に、伝来の唐文様を中心としつつも新しい文様が創意工夫され独自の発展をとげます。この西陣織も当然、伝統的工芸品として指定されています。
 伝統は、その地域独特のものではありますが、その地域だけのものではないのです。

投稿者 fujimori : 2010年02月03日 22:55

コメント

私が学生の頃は、八王子駅前のロータリーの真ん中に「織物の町・八王子」と書かれたタワー状の白いモニュメントがあったと記憶しています。古くから養蚕が盛んで、住んでいた大和田町は機屋さんの街だと聞かされていました。駅前のこの写真をまっすぐ行って、浅川を渡ったあたりです。大学に行くバスは、昔はずいぶん遠回りをしたものですが、今は、ひよどり山トンネルを抜けるとすぐでとても便利になりました。当時、バスがないときは、歩いて大学まで行ったこともあります。八王子は青春の思い出が一杯詰まった街です。

投稿者 yamaya49 : 2010年02月04日 18:02

ご無沙汰しております。八王子に続いて、地元桐生に触れていただいたと聞きつけお邪魔致しました。

>伝統は、その地域独特のものではありますが、その地域だけのものではないのです。

先達からは、ものづくりで栄えた街は、物だけでなく人や風習が行き交い、混在してそれが刺激になってまた良いものを作ってきたと聞きました。なるほど、よくよく考えれば、桐生には京都岐阜だけでなく綿織物静岡や糸商横浜の訛りも混じっているようです。

今回ブログを拝見して、色々な文化と触れ合うことが出来るのも、伝統産業の街ならではなのかな?と改めて思い、わが町を見なおす気持ちになりました。

投稿者 SAKAI : 2010年02月04日 22:30

「マルベリーブリッジ」=「桑の橋」。「マルベリー」という響きがいいですね。先日皇居東御苑・三の丸尚蔵館に行きました。今上天皇行幸の折各都道府県により献上された品々が展示されていました。いずれも各地の伝統的工芸品です。中には絹糸の束がありました。そのシルクは淡い緑色を帯び中々に風情あり。私が生れた県の工芸品は大きな鉄瓶でした。色合いも風情。八王子に関しては以前は「東京都西南部の都市」くらいの認識しかなく「織物」の産地とは知りませんでした。しかしご縁を頂き同市について以前よりは詳しく知ることができるようになりました。今度訪れた時にはマルベリーブリッジの桑の木をじっくりと観察したいものです。

投稿者 toshi1220 : 2010年02月04日 23:09

前日の100年の間の試行錯誤という言葉の中には、他の地域との交流も含まれているんですね。その地に一番しっくりくるものが残り、そして深まっていったと考えると、伝統というものの奥深さを感じます。伝統というとどうしてもただ単純に守ってきたものと思っていましたが、融合や発展も欠かせない要素だということがわかりました。地域の独自性の裏にある大きな広がりを知ることが、伝統を守ることになったりもするんだろうと思います。

投稿者 あいやま : 2010年02月04日 23:15

 一枚目の写真には各地域の伝統的工芸品211品目が載っていますが、この211品目全て100年間も守り続けてきたのですね。私のイメージでは各県に一つか二つくらいしかない物だと思っていましたので、素直に感動します。おそらく中には途中で無くなってしまった伝統品も多くあるかと思います。本当に今まで守り続けてきた人達の努力や気持ちを受け継ぐ為にも、実際に展覧会などで見る事が大切なような気がしました。

投稿者 Sasuke : 2010年02月07日 21:32

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