論語の第1章の中に書かれてありますが、楽しみなのは、「朋」と語りあうことだと言っていますが、この友とは、同じ門下生という同じ思いを持った人ということです。確かに、同じ思いを持った人と議論したり、意見を交わすことはとても楽しいことですし、学びも大きい気がします。しかし、それが長続きするのはとても難しいことでもあります。
 以前、九段を歩いていて、「硯友社跡」という看板を見つけました。
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この硯友社というのは、「文筆にかかわる友」という意味で、同じように硯を使う友ということです。この硯友社は、東京大学予備門の学生だった尾崎紅葉、山田美妙、石橋思案や、高等商業に学ぶ丸山九華らがつくった文学結社です。
尾崎紅葉が「硯友社」という名前を付けたのは、私はこんな理由があると思います。尾崎紅葉が「硯友社の沿革」を書いていますが、その中に、山田美妙の書いた小説「竪琴草子」に驚いた場面があります。「其の小説はアルフレッド大王の事蹟を仕組んだもので、文章は馬琴を学んで、実に好く出来て居て、私は舌を巻きました。」
山田が学んだ滝沢馬琴は、27才の時から、58才まで築土神社氏子内の元飯田町中坂下に居住していました。この築土神社は、ブログでも書きましたが、当時牛込にありましたが、今は、硯友社跡地のすぐ近くにあります。現在、中坂下(千代田区九段北1丁目5番地)の滝沢馬琴邸跡には、馬琴ゆかりの井戸が残り、この井戸で馬琴が硯に水を汲み筆を洗っていたことから、「硯の井戸」と呼ばれています。そんなことから、馬琴を学んでいた山田が硯友ということを思いついたのかもしれません。
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しかし、永遠に友でいるという意味で硯友社と称した尾崎と山田ですが、山田が社に無断で、他社で主に筆をとるようになったため、硯友社から離脱し、打撃を受けることになるのです。そんな硯友社ですが、離脱する前は、日本初の純文芸雑誌である「我楽多文庫」を創刊し、大きな反響を呼んで、川上眉山、巖谷小波、江見水蔭、挿絵の武内桂舟らが参加しています。その中で、山田や巌谷は言文一致体の小説を載せ、近代文体の確立にも貢献します。
この巌谷小波は、医者への道を歩ませられることを嫌い、周囲の反対の中で文学を志して進学を放棄し、この硯友社に入るのですが、のちに、近代日本児童文学史をひらく画期的作品を書き、その後も児童文学に専心し、種々の児童向けの雑誌や叢書を刊行しています。しかし、最近は、あまり評価されていません。彼の作品の多くは、博文館発行の雑誌「少年世界」に掲載されています。彼は、様々な作品を書きますが、有名な「桃太郎」や「花咲爺」や「舌切雀」などの民話や英雄譚の多くは彼の手によって、おとぎ話としてやさしい文章に再生され、小さな子どもたちにもなじみ深いお話としてと読まれるようになったために、児童文学の開拓者とも言われています。
巌谷小波は地域に伝わる民話を参集するために各地を訪れるのですが、「舌切り雀」の伝説が伝わるという磯部を訪れています。そこで、舌切雀伝説発祥の地とされ、巌谷小波がその時詠んだ句、「竹の春 雀千代ふる お宿かな」の句碑がある磯部温泉を、先週の日曜日に訪れました。
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楽しむ2

論語の中では「楽しむ」という言葉がしばしば使われています。それは、いろいろな場面に使われていますが、もう少し考えてみたいと思います。
論語の最初の章は、學而に「學而時習之,不亦說乎 有朋自遠方來,不亦樂乎」とあります。最初の文から「楽しむ」が出てきます。孔子は、学ぶことによって、そして、それを繰り返して学びを深めることによっていろいろなことがわかってくるのは何とうれしいことか。また、同じように考える仲間が訪ねてきて、共に学び合うことは何と楽しいことであろうかと言っています。それを冒頭に論語では持ってくることに、全体の思想があります。学ぶこと、学び合うことこそ人生においての喜びであり、楽しさなのです。
最後の章は、堯曰に「不知命,無以為君子也。不知禮,無以立也。不知言,無以知人也。」とあります。学んでいても、天命を理解しなければ君子になれないのです。また、礼を知らなければ社会では通用しません。言葉を理解しなければ、人を知ることはできないのです。学ぶことは、天命を知り、礼を知り、言葉を知ることなのです。この最後と最後の文を読むことで、1章が、最後の章に結びついて完結することを表現しているのでしょう。そこで、楽しみを表しています。
雍也には、「知之者不如好之者,好之者不如樂之者」とまた「楽」が出てきます。物事を知っているということはとても重要なことですが、それはこれを好む者には及びません。しているというより、そのことが好きであるということのほうが重要です。しかし、これを好むことよりもそのことを楽しんでいることの方がもっと重要なことです。それは、その物事を理解するためには、それを知ることよりも好きになること、それよりもそれを楽しむことと言っています。「楽しむ」というのは、最終的な境地なのです。このことを、しばしば「知好楽」と呼ぶことがありますが、仕事やその他のことへの取り組み方を述べている、といわれています。このように、孔子は、「楽しむ」ということに価値を置いています。
 また、楽しむことに関して、こうも言っています。「子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如、子曰、可也、未若貧而楽道、富而好礼者也」子貢が孔子に聞いてみます。「貧乏であってもへつらわず、金持ちであっても威張らないというのは、どうでしょうか?」それに対して孔子はこう答えます。「その通りです。しかし、貧乏であっても道を楽しみ、金持ちであっても礼儀を好むというのには及ばない。」ただ、貧乏をへつらわないだけでなく、道義を楽しむことによって、貧富が関係なくなるのです。同様に、金持ちだから奢らないというだけでなく、礼を好むものでなければならないのです。ここに書かれているのは、「道を楽しむ」ということです。そして、「礼は好む」ものであり、強制されて行うものではないということを言っています。
 そんな道だから、もし「朝(あした)に道を聞き、夕べに死すとも可なり。」というほどになるのでしょう。
述而第七の十五には、こんな章があります。「子曰、飯疏食飮水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣、不義而富且貴、於我如浮雲。」孔子は、「粗末な食事を食べて肘を枕に眠る、そんな生活の中にも楽しみはあるのです。逆に、不正に金を儲けて高い地位に登ったところで、そんな生き方は私にとっては浮雲のようにはかなく感じられるのです。」
 楽しみは、ずいぶんと高尚なところにあるのです。というより、私からすると、精神的なものですので、物質的なものとは比較できないものであり、その心がいろいろなことを学ぶ力になるのだということのような気がします。

楽しむ1

 今、オリンピックでは毎日選手の健闘が報告されてきます。特に、今日はスピードスケートでいい成績を出しました。スピードスケートというと、今回はオリンピック選考で漏れ、引退を表明した清水宏保選手がいます。彼は、4度のオリンピック出場があり、長野で金、銅、ソルトレークで銀メダルを取っています。最近の日本人選手が、なかなかメダルを取れないニュースを聞くたびに、彼のすごさを痛感します。そんな彼が、私が普段から思っていたことを14日の読売新聞で語っていました。
 最近、オリンピックに参加する選手のコメントで「楽しんできます」という言葉を聞くことがあります。そんな時に、私は、一人の個人の楽しみに、多額な税金を使うことって、どういうことだろうと思ってしまうのです。今回の国母選手の服装騒ぎでも、ある新聞に「服装で、自分を主張したいのなら、プロになって、自分のお金で試合をするときにすればいいのではないか」と書いてありました。あの制服も、税金を使っているはずです。そして、かなりの選手団だけでなく、役員などのスタッフも大勢派遣されているはずです。多くの税金を使っていることに自覚を持ってほしいと思います。
 新聞で、清水さんはこう語っています。「“オリンピックを楽しもう”この言葉には色々な意味がある。でも、選手も、見る人も、“楽しむ”をはき違えてはいけない。五輪は決してお祭りではない。だから、場の空気を楽しんでは駄目だ。個々の選手に押し寄せるプレッシャーを楽しむべきだ。僕はよく言う。重圧とは、選手にとってサプリメントなんだよ、とね。五輪本番の試合モードに体を仕上げていくためには、欠かせない材料といえる。筋肉も関節も最終仕上げの段階に入った時、重圧という強烈な刺激が入ってこそ、本物の張りが出てくる。体がそうなれば、気持にも、緊張感がみなぎってくるのだ。選手には、その過程を楽しめと言いたい。」
「昨年、政府の事業仕分けを見ていて思った。企業やスポンサーの支援だけでなく、多額な税金が五輪選手にも投入されているのだなと。“国の代表”という使命感があれば、お祭りに浮かれることはない。若い選手には、俺には関係ないよ、という人がいるかもしれない。“無知”も成長への過程だろうが、“目立ちたいだけの五輪”は間違っていると指摘したい。」
彼の意思を継いだ選手が、今回のオリンピックで活躍したことはうれしいことです。それは、何も「お国のために頑張れ!」というつもりはありませんし、メダルを取ることだけが目標だと思っているわけではありません。その道を楽しむ姿が国民を感動させ、個々の人生に影響を与えるのです。

実践

 昨日のブログで「知識を学ぶこと」ではなく、「人間としていかに生きるか」を学ぶことが本来の学問であると書きました。それは、実践が大切であるということです。こんな人がいました。庭の竹の理を窮めようと思って、庭前の竹を切って、七日七晩、竹の前に座り続け、その切り口をじっと見つめてみたところ、結局は事物内の「理」に至ることができませんでした。それどころか、ついに倒れてしまったのです。そこで彼は、心に「理」を求めるためには、じっと座って眺めているだけの学問ではだめで、仕事や日常生活の中での実践を通してこそわかってくるものではないかと思うのです。実践の重視です。
彼の名前は、実践儒学陽明学を起こした「王陽明」です。以前のブログでも取り上げた彼の命題である「知行合一」という言葉があります。この言葉は、吉田松陰が松下村塾の掛け軸に掲げてあった言葉です。知識を得た後で実践に移そうという考え(先知後行説)に対して、真に知るということは、知って終わりということではなく、その知識を持って必ず実践をするものです。ですから、「知」(知識)と「行」(実践)とは表裏一体で合一(合致)していなければならないと言う考えです。知って、行なってこそ、本当の知恵、真知であるのです。
しかし、ここで言う知識とは、端的に言えば認識ということであり、紙の上のものを暗記するということではないようです。私は、こう考えます。それは、心の中から生まれる探究心ではないかと思います。よく、学校における「教科」や、保育における「領域」とよばれるものは、学ぶ目的ではなく、物事を探求した結果、身に着くことがらを、それぞれ違う分野から部分的に切り取って整理をしたものにすぎないということです。ですから、探究心が生まれて時点から、「どうしてだろう?」「なんてきれいなのだろう!」という心が生まれてくるのです。ですから、心とは主となり、客とならざるものだから、心の理は心の中に見出される筈だと考えて「心即理」を唱えたのです。そして王陽明は、人間の心に「良知」の存在を認め、それを十分に発揮していくことの大切さを説いたのです。
そして、「良知を致す」ということで、私たちは日々の実践のなかで、自らの中に存在する「良知」が光り輝く様に日々心を磨く努力を積み重ねていかなければならないのです。具体的に王陽明は四箇教条という「立志」「勤学」「改過」「責善」を強調しています。
「志立たざれば、舵なき舟のごとく、銜なき馬のごとし。漂蕩奔逸して、ついにまた何の底るところかあらん」という「立志」、日々「立派に生きた先人」の姿を学んだり、先人の言葉を学び、魂に刻み付けていく事を行っていく事という「勤学」。そして、過ちを改め、それによって善をおこなうことを実践していくというものです。
実際は、何が過ちであるのか、何が善なのかは難しいことです。今回の保育所保育指針の改定の中で保育の目標として「子どもが現在を最も良く生き」という言葉は、本来は「子どもが現在を最も善く生き」ではないかといわれています。子どもに「善」を勧めていくために実践を積んでいくことが保育であるということなのでしょうか。
私は、深く学問したわけでもありませんので、中庸にしても、陽明学にしても、自分なりの独自の解釈をしてしまっているので、専門的に学んでいる人から見ると違っていることがあるかもしれませんが、実践から、実感していることです。

またまた中庸

今の時代だからこそ、中庸の意味と、必要性と、求道の心を今一度考えないといけないのかもしれません。「子曰。道之不行也。我知之矣。知者過之。愚者不及也。道之不明也。我知之矣。賢者過之。不肖者不及也。人莫不飲食也。鮮能知味也。」
「なかなか人の道を実行するのは難しいものです。知者は、たくさんの知識を持っていますが、それにまかせて実践を軽視し、道などは行うに足りないものだと頭だけで考えてしまいがちです。一方、愚かな人は、理解が足りなくて、何をどう行えばいいのかの判断がつかず、実行が及ばないからである。これが、中庸の道が行われない理由です。また、賢いといわれる人は人情に通じすぎて道を行う必要がないと思ってしまい、愚かな人は理解が及ばないからです。人は誰でも飲んだり食べたりしますが、本当に味のわかる人は少ないものです。飲食は、毎日行われるものであり、生きる上で大切なことです。ですから、どんな人でも日常行っています。しかし、それを味わい、そこに意味を見出す人は少ないものです。食事は栄養の摂取ではなく、食の営みです。生きるということは栄養素を体に入れ、体を維持することではなく、道を歩むことです。
 よく、「知識を学ぶこと」ではなく、「人間としていかに生きるか」を学ぶことが本来の学問であるといわれます。文部科学省のHPで、OECD教育局・指標分析(PISA)課長のアンドレアスさんが国際的他学力調査についてのインタビューに答えています。「PISAは生徒が現代社会の課題にどれだけ準備できているかを測ります。学校の勉強をどれだけ習得しているかではなく、学んだ知識を道の新しい状況に応用できるのかを測るのです。生徒が基礎的な技能を持っているかを見ます。例えば、リテラシーです。情報にアクセスして活用し、様々な情報源から集約し、熟考する能力です。」そして、日本の子どもたちの学力の高さを評価しつつも、こんな課題を挙げています。「学習意欲の問題。学習は将来の人生に活かす必要があります。その明確な活用姿勢があまりない。知識や技能を、将来に機会につながるものとしてあまり見ていない。」知識、技能はそれを実践に使うから必要なのであり、その必要性を感じるからこそ意欲が生まれてくるのです。
「舜其大知也與!舜好問而好察邇言,隱惡而揚善,執其兩端,用其中於民,其斯以為舜乎!」孔子は、舜を偉大なる知者であるとたたえています。それは、知らないことは人に聞き、学ぼうと常にしており、つまらないと思われる意見に対してもそれを真摯に受け止め、それを戒めにするのです。そして、他人の悪を暴きたてるようなことはせず、逆に善に対してはそんな小さなことでもそれを認め、ほめたたえるのです。また、もし、部下が、極端に意見が分かれ、対立しているのを見ると、その両者の言い分をよく聞き、それを比較検討し、そのそれぞれの意見の妥当なものを取り入れ、それを採用したのです。白か黒かではなく、誰の意見かでもなく、その中庸の道を見つけようとしたのです。単に妥協点を見つけることでもなく、中道を見つけることです。もちろん、それは難しいことかもしれません。
いろいろなことを学ぶことによって、ただ人生を送るだけでなく、味わい深い人生を送りたいものです

また中庸

最近の園の保護者を見ていると、必死に育児をしようとしている人か、逆に優先順位として子どもよりも自分を上にしているのかと思う人がいます。仕事と子どものどちらを優先するか迷うのでしょう。また、この時期は、都会では保育園や学童クラブへの入園がなかなか難しく、困っている人が多いようです。入所できないとなると、確かに困るでしょうが、その状況ですぐに役所に苦情を言うとか、腹を立てる人がいます。しかし、私は、そんなことを権利として言うよりも、お互いに事情を話し合いながら、どんな方法があるえるのか、何を我慢して、何をかなえるのか、その話し合いの中から妥協点を見つけることが必要だと感じることがあります。何でもかんでもかなえるとか、100か0かではなく、50の道を見つけることも必要な気がすることが多いのです。
 最近、日本人は話し合いが下手だと言われます。それは、話し合いで自分の考えを相手に押しつけようとするとか、相手を屈服させようとすることが多く、お互いの話し合いの中から、自らの考えを深めるとか、話し合いの結果、新たなものを創造するとかということが苦手だということだと思います。今、政策上、提案されている「幼保一元化」の議論にしても、幼稚園にするのか、保育園にするのかというので「文化が違うので無理」ということになってしまい、それぞれの文化があるからこそ、それを活かした新たな文化を創造するのだという議論にならないのです。
 このような最近の状況をみると、あらためて少し前にテーマにしていた四書五経の中の「中庸」という概念が必要な気がします。まさに孔子が「最近、そのように考える人が少なくなった」と嘆いたことばが、今こそ当てはまる気がします。再度「中庸」を考えたくなりました。文庫で宇野哲人さんの「中庸」という本が出版されています。その本の序文を宇野哲人さんの息子さんで、儒教研究者で東京大学の名誉教授である宇野精一さんが書いています。
「中庸を得ている、とか、中庸が大切だ、とか言われる。その場合の中庸とは、足して二で割ったような、一種の平均的なことを意味することが多いようだ。(四書五経の)中庸とは、一般に考えられているのとは少し違って、その場、その時に、最も適切妥当なことである。だから本当の意味での中庸は、生易しいことではなく、常に中庸を得ることができるのは聖人だ、と言われる。けれども一面、中庸の庸は、普通のこと、当たり前のこと、という意味もあって、平凡な、当たり前のことの中にこそ、中庸はあると考えられているから、どんな人でも中庸を得ることができると言っている。」
「君子中庸,小人反中庸。君子之中庸也,君子而時中;小人之中庸也,小人而無忌憚也。」
君子といわれる人は、常に自らを省みることをして私に偏らないで、中庸を求めようとするものですが、小人といわれる人は、常に私心に惑わされ、少しも己の心に問うことをしないために、中庸に反するようなことをすると言っています。そして、君子が中庸の徳に順ずるのは、常に君子としてふるまい、どんな時でもその場に応じて偏らずにいられるからで、小人が中庸にそむくのは、小人らしいつまらない行動をして、慎みもなく、何でもあたりかまわずやってのけるからだと言っています。
 中庸の道は、平凡で当たり前の中にあるのに、どうして人としての道をなかなか行えないのでしょう。平常の難しさを感じます。

いよいよオリンピックですね。今年の開会式はどんな趣向でしょうか。第29回オリンピック競技会北京大会の開会式はすごかったですね。逆にあまりにすごかったために、オリンピックという祭典の意味など考えさせられました。もうひとつ、世界中をびっくりさせたというか、中国の変化に驚いたことがありました。それは、開会式が、中国の歴史や改革開放後の姿を絵巻物の形で演出した中で、沢山の孔子の弟子たちが、おのおの竹簡をもって登場し、「論語」の名文句の一つ「四海之内、皆兄弟也」(顔淵第十二)を唱えたことでした。そのあとも、中国古代の4大発明の一つである活字印刷をモチーフにした演出でしたが、画面に大きく映し出されたのは印刷に用いる字体の異なる「和」の活字だったのです。それがなぜ驚くのかというと、これもまた「論語」の理念「和為貴」(学而第一)を表現していたからです。
この開会式の中心であった「論語」は、もちろん孔子の言葉ですが、35年くらい前には、中国の思想のうち、「法家を善とし儒家を悪とし、孔子は極悪非道の人間とされ、その教えは封建的である」とした時期があったのです。それから何十年たって、世界中が注目する世界の祭典オリンピックの開会式の中で、「論語」を、中国文化の誇りとして紹介したのです。
 この「和為貴」ということは「(有子曰く、礼の用は、和を貴しと為す。」ということで、これは「礼を行うには和が根本になければならない」と説いた有子のことばです。その言葉は、まさにオリンピック精神にのっとるものです。その言葉は、私がブログで取り上げた中庸の中の「喜怒哀楽がまだ発していないところを、中という。現したものがことごとく、中そして節であるならば、それは和という。この世において、中は、大いなる本である。和は、求めるものに達することのできる道である。中和に至りて、この世は、落ち着き、あらゆる物が育つ。」の「和」にも通じるものです。この「和」は、「庸」に通じ「共生」に通じるのです。
「和」の字の偏であるノギヘンは「禾・か」と読み、よい穀物、特に稲の粒粒が充ち満ち一杯についた稲という意味を持っています。それに「口」がついているわけですから、「和」の原義は、味しい食べ物が口に入ると、人はみなにこやかになり、心が安らいで、和やかな気分になってくるということです。中国最古の文字解説書「説文解字」に拠れば、「和」は「相応也」とあるように、お互いにつりあって、ふさわしい心のあり方を指しています。「和気あいあい」という言葉がありますが、「和気」はお米を大事にする心がけと、人としてお互いが調和しあい、和み合っていくことが必要であることを説いているのです。
一方、中庸には「故君子和而不流」とあるように、「君子というのは、他に対し反発せず受け入れ、和するが、これに流されてしまう事はない」とも言っています。何でもかんでも自分の理論で相手をねじ伏せよう、自分の考えを押し通そうということではなく、お互いの調和の道を探るべきです。しかし、それは人の言いなりになるということではありません。ただ人の言いなりでは自分を見失い、かえって正しい道は見つかりにくくなってしまいます。孔子の言う「和而不同」と同様なことです。その時に「中庸」という道が必要になるのでしょう。

足利

 伝統的工芸品で桐生織を紹介しましたが、この織物は桐生だけでなく、足利市にも伝わっています。今日は、足利市にある足利学校に行ってみました。最近、寺子屋についてのブログが多いのですが、寺子屋は江戸時代に庶民の子どもたちに対しての教育にずいぶんと貢献しました。しかし、もともとは、教育を受けることが出来るのは、ある一部の階級でしたが、日本では世界と比べて随分早いうちから下級武士や農民、商人など、あらゆる身分の少年達も教育を受けることができました。それは、室町時代からですが、それ以前は、僧侶に対して教育が行われていました。
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 その中で、足利学校は、日本で最も古い学校として知られています。足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがありますが、室町以前であることは確かです。現在、はっきりしているのは、室町時代の1439年に、関東管領上杉憲実が、足利学校の再興のために書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から僧快元を招いて初代の庠主とし、経営にあたらせたことが資料に残っているのです。「庠主」は「しょうしゅ」と読みますが、「庠」とは学校をさしますので、「庠主」とは校長を意味します。以後、この学校は学徒三千といわれるほどに隆盛していったそうです。その様子が、宣教師フランシスコ・ザビエルによって「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されました。そして、藩校になり、江戸時代の末期には「坂東の大学」と呼ばれるようになりました。しかし、明治5年に廃校になりました。その後眼自36年に遺跡図書館が開設され、書物が継承されています。ここには、今は国宝に指定された上杉憲実が寄進した書物も保存されています。また、現在の建物も大正4年に建てられ、市の重要文化財に指定されています。
 代々庠主が受け継がれ、今でもいて、いろいろな活動をしています。その主な活動は、当時から教育の中心であった「論語」を中心にしたものです。そこで、学校内には、孔子廟が造営されています。この廟は、4代目徳川家綱の時に造営され、中国明時代の聖廟を模したものと伝えられています。また、手前の方に孔子像も建てられています。
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 そのほかにも、いかにも論語を学んだ場所であることをうかがわせるものがあります。私はそれほど詳しくないのでよくわかりませんが、この学校の周りの町名は、「昌平」と書かれてありました。これはお茶の水にある湯島の聖堂に昌平坂学問所があると同じです。これは、孔子が生まれたのは、魯の国昌平郷掫邑(山東省曲阜)だからのような気がします。また、この学校に入るときに最初にくぐる門が「入徳門」と言います。これは、「儒教いう「仁・義・礼・知・信」の五徳を学びに入るという意味でしょうか。
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その次の門は、「学校門」というそのままです。面白いのは、この門をはいってすぐ右手にある松の木です。その名前は「字降松」(かなふりまつ)と言います。読めない字や意味のわからない言葉などを紙に書いて、この松の枝に結んでおくと翌日にはふりがなや注釈がついていたことからこのような名前が付けられたといわれています。これは伝説ですが、もし先生があとでそっとふりがなや注釈を付けて結んでおいてあげたとしたら素晴らしい先生ですね。今でも学校にそのような松の木があったらいいのにと思います。
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その次にある「杏壇門」と言いますが、この杏壇とは、孔子が弟子たちに教えた所に杏の木が植えられていたことに由来しています。
 この足利学校のチラシには、「自学自習の心を今に伝える教育の原点」と書かれてありますが、この心は伝わっているのでしょうか。

冷蔵庫

 何かを保存しようとする時にすぐに冷蔵庫に入れようとします。園でも、何かをいただいたときに、すぐには食べないこともあり、冷蔵庫に保存します。そんな時、最近は、冷蔵庫に入れるか、冷凍庫に入れるかだいたいわかりますが、冷蔵庫がいいのか、そのままのほうがいいのかはよく分からないことがあります。個人の好みもありますが、たとえば、ビールは冷えたほうがおいしいと思いますが、海外の多くの国では、低温では香味が損なわれるといって常温で飲むようです。同じように、私は桃なども冷えたほうがおいしいので、冷蔵庫にしまいます。しかし、保存するうえでは、どちらの方がいいのでしょうか。
 いろいろな食べ物は、保存するときには原則冷蔵庫のほうがいいのですが、野菜や果物では、冷蔵庫に入れておいた方がいいのか、入れない方が長持ちするのか、あるいは冷蔵庫に入れるとして、どういうようにすればより長持ちするのかはその種類によって違うようです。また、一緒にした方がいいものと、別々にした方がいい場合もあります。その理由は、野菜や果物が呼吸するときに発生する「エチレンガス」にあります。これは植物の成熟促進ホルモンですので、傷みの原因になる半面、成熟させるにはいいのです。また、野菜を横置きするのと、縦置きするのでは、このエチレンガスの量にかなりの違いがあるそうです。
よくこのガスをだすので有名なのがりんご、メロン、青梅、桃、トマトなどです。ですから、野菜、特に葉ものなどのそばにはぜったいおかない方がいいそうです。逆に、バナナの側で保管すると、バナナの成熟が早く進みますし、キウイはあまくなるのをたすけます。また、じゃがいもの芽の生育をおさえる働きがあります。また、桃や西洋ナシ、プラム、アボガドなどエチレンが発生するものは、外に出して熟成させてから冷蔵庫の中に入れる方がいいようです。
冷蔵庫の中へ入れたほうがいいものの主なものは、アスパラガス、キャベツ、セロリ、さくらんぼ、ブドウ、ほうれん草などで、洗わずにそのまま冷蔵庫の中へ入れたほうがいいものは、ブルーベリー、ラズベリー、いちごなどで、洗わずにビニール袋の中に入れてから冷蔵庫の中へ入れたほうがいいものは、ブロッコリー、ニンジン、カリフラワー、トウモロコシ、レタスなどえ、紙袋に入れてから冷蔵庫の中へ入れたほうがいいものは、マッシュルームやオクラだそうです。
それに対して、冷蔵庫の中へ入れない方がいいものは、キュウリ、にんにく、ショウガ、グレープフルーツ、レモン、マンゴ、オレンジ、パパイヤ、コショウ、カキ、パイナップル、メロンなどだそうです。そして、夏場以外はいれないほうがいいものは、じゃがいも、サトイモ、タマネギなどの根菜類とか、ナス、トマトなどです。
他には、立てて保存したほうがいい野菜では、ほうれんそう、しゅんぎく、アスパラ、ねぎ、スイートコーンなどで、水分を与えないで保存したほうがいいものは、きゅうり、ナス、ブロッコリー、カリフラワー キャベツ、ピーマン等で、逆に水分を与えたほうがいいものは、ほうれんそう、小松菜、春菊などの葉野菜です。根菜類は、泥つきのままのほうが、長持ちするようです。
野菜や果物は生きています。どのように生かすかも知恵ですね。

新しいデザイン

 先日、千葉に行くときに錦糸町という駅で快速に乗り換えるためにホームで待っていると、ビルの谷間にいま建設中の「東京スカイツリー」が見えました。
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私は、あまり千葉の方には行かないので、意外にもこのタワーを見たのは初めてです。ずいぶんできてきているのにびっくりしました。この東京スカイツリーのホームページは、新しいWEBデザインを感じます。というのは、基本的にどのページも映像なのです。
 まず、現在の高さが大きく表示されます。2月6日現在で289mだそうです。最終的には634mになる予定ですので、大体45%ほど出来上がった勘定になります。無料でダウンロードをすれば、自分のパソコンで、東京スカイツリーが建設される様子や現在の高さ、最新情報などが見られるデスクトップツールがあります。興味のある方は、パソコンを開くたびに、刻々と出来上がっていく姿を毎日眺めることができます。そして、WebTVでは、「東京スカイツリー特報」として東京スカイツリーの概要、デザイン、新しいまちづくりをはじめ、展望台からの壮大な眺望、隅田川を望む豊かな周辺環境、2005年のプロジェクト発足から現在に至るまでのハイライトや最新情報などを鮮明な動画で見ることができます。そして、「東京スカイツリーのまち」として、古くから人々に愛されてきた江戸の下町風情や四季折々の行事をはじめ、隅田川に架かる吾妻橋や駒形橋などの美しい橋の数々など、東京スカイツリーが建設されるまちの風景を見ることができます。そして、「Web Cam」では、建設の様子を、ウェブカメラの映像で見ることができます。
このタワーの最高高さについては、いろいろと面白いいきさつがあります。プロジェクト当初では、約610mでした。しかし、この高さですと、世界各地で高層建築物が計画、建設されているなかで、自立式電波塔として世界一にはなりそうにないということで、634mに変更しました。なんで世界一にならなければならないかというと、この東京スカイツリーは五重塔の心柱制振など古来の技を日本の最新技術で再現しているため、世界一となることで注目度が高まり、日本の文化や技術を世界に知ってもらおうという考えです。
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また、なんで中途半端な634という数字かというと、このように説明しています。「武蔵とは旧国名の一つで、東京、埼玉、神奈川の一部を含む大規模な地域を指します。このタワーが立つエリアは、歴史をひも解くとかつては武蔵の国でした。タワーからは武蔵の国を望むことができ、展望台に登ると目の前には、いにしえの風景がよみがえり、江戸の東、東京の東という歴史性や地域性に思いを馳せることができます。そこで、「634=むさし」という響きから、地域性や日本文化を想起させよう」という狙いのようです。
このタワーの基本コンセプトは、「下町~東京~日本へ広がる地域性」「江戸~現代~未来へつながる歴史性」「地球にやさしく環境時代にふさわしい象徴性」です。そして、カラーコンセプトとして、富士山の頂き・下町の心意気を示す纏(まとい)・お祭の幟(のぼり)などに使われ、日本的な潔さ・神聖さを想起させ、日本人の伝統的な美意識に通じる色としての白を基調に、藍染職人の技法に倣い、白に青みを加えています。また、白の語源は「シル(知)」・「シルシ(印)」であり、古くから他からの差異をはっきり認識させる色、シンボル性を想起させる色としています。
また、1日毎に交互に現れる新しいスタイルのライティングは、江戸で育まれてきた心意気の「粋」と、美意識の「雅」という2つのオペレーションで、「粋」の姿では、隅田川の水をモチーフとした淡いブルーの光で照らし、「雅」の姿では、構造体を衣に見立て、江戸紫をテーマカラーとし、金箔のようなきらめきのある光をバランスよくちりばめるようです。
江戸は、今や新しいデザインです。