入試科目

 明日は、都立高校の合格発表日です。最近は、身の回りで高校入試をする人がいないので、私は特に実感がないのですが、その年齢の子がいる家庭では緊張しているでしょうね。ところで、今の都立高校入試の問題の解答が次の日の新聞に掲載されますが、英数国理社の5科目で入試を行う高校と、英数国の3科目で入試を行う高校があるようです。その科目数によって、調査書の配分が違うようですが、当日の学力検査(入試)と調査書の合計で合否を決めているようです。また、学校によっては、これに面接や実技を点数化して総合成績として合否を決定したり、作文の結果を点数化する学校もあるようです。
新聞によると、都教育委員会は25日、2012年度から全都立高校で日本史を必修科目とすることを正式に決めたようです。東京の近世以降の歴史を学ぶ独自の科目「江戸から東京へ(仮称)」も新設します。文部科学省の学習指導要領で日本史は選択科目ですが、都立高校の生徒は、指導要領で定めた「日本史A」「日本史B」に加え、今度から「江戸から東京へ」の中から少なくても1科目を履修することになります。この新設される「江戸から東京へ」の導入は各校の判断に委ねられ、学校の裁量で使える授業時間を利用した科目になるようです。その理由を、都教委は「日本人のアイデンティティーを育むには自国の歴史学習が不可欠」と説明し、近現代史の基本的な知識の習得に加え、「身近な歴史に接することで郷土愛を育んでもらう」ことも狙いのようです。東京都以外でも、公立高校での日本史必修化は横浜市教委が4月から、神奈川県教委が13年度から実施し、同県教委も郷土史など独自科目を、都教委と同じ手法で設ける方針のようです。
現在、文部科学省の学習指導要領では高校社会科の「地理歴史」で必修なのは世界史のみで、都教委の調査では、09年度に全日制都立校175校で日本史を独自に必修化していたのは83校(47%)だったそうです。25年度から始まる新学習指導要領でも必修は、世界史のみとなっています。世界史が必修で、日本史が選択とは不思議ですね。
 試験科目が増えるのは、生徒には大変かもしれません。必ずしも好きなことではないことまで試験のために覚えたり、勉強しなければならないからです。私は、都立高校出身ですが、受験科目は国、数、社、理、英、美、音、技、体の9科目でした。しかも、もちろん社会は、「地理」「日本史」「世界史」「公民」すべてでしたから、今から考えるとずいぶんと幅が広かったです。しかも、調査書による判定や、推薦制度などもなく、試験1発勝負でしたから、シビアでした。しかし、当時はそれが当たり前だと思っていましたから、特に大変だとか思ったことはありませんでした。しかも、私はあらゆることに興味を持ち、それを知りたくなるタイプなので、逆に大学入試もすべての範囲をテストしてくれたらいいのにと思ったほどでした。また、この9教科の試験勉強でいろいろな分野を幅広く知ったことが、今のブログの根底にある気がします。しかも、特別教科といわれる科目は、紙面でも勉強でしたから、逆に今に役に立っています。音楽の問題では、「階名を書きなさい」「音名を書きなさい」「移調しなさい」「転調しなさい」とか、必修鑑賞曲や必修歌唱曲の出だしの楽譜から「何の曲で誰の作曲家を書きなさい」とか、木管楽器と金管楽器を分けなさいなどでしたから、基本的には楽譜が読めないということはありませんでしたし、オーケストラを聴いても楽器名とか、曲が口ずさめたりします。音楽の目標が「生活を明るく潤いあるものとする」とありますが、私がかつてこのような受験勉強をしなかったら、音楽は身近なものになっていなかったかもしれません。
 新しく日本史を入れるとしたら、ただ覚えさせるとか、暗記させるのではなく、生活が豊かになるような学びをしてほしいと思います。

漢方

 NHK大河つながりで各地を妻と歩いていますが、多分「山本勘助」の時だと思いますが、山梨県甲州市塩山を訪れた時です。その駅前に立派な屋敷がありました。そこは、重要文化財 旧高野家住宅で、通称「甘草屋敷」と呼ばれています。
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高野家は、江戸時代に薬用植物である甘草の栽培をして幕府に納めていた家で、古くから「甘草屋敷」と呼ばれてきれてきました。それは、高野家では、八代将軍徳川吉宗のころ、この屋敷内にあった甘草を見分した結果、幕府御用としてその栽培と管理が申し渡され、ここで栽培される甘草は、幕府官営の薬園で栽培するための補給源として、また薬種として幕府への上納を負うこととなりました。そのために、甘草園は年貢諸役を免除されたそうです。
ここの説明によると、「現在世界各地で用いられている甘草には、ウラルカンゾウ(東北甘草)、グラブラカンゾウ(西北甘草)などがあり、日本では年間約1万トンが中国などから輸入されている。このうち食品の甘味料などに3分の2が使われ、残り3分の1が薬用にされるが、甘味・生薬の成分とも根及びストロン(根茎)にふくまれるグリチルリチンである。薬用では主に漢方薬の原料として、厚生省指定漢方処方210品目中150処方(71%)に配合され、もっとも多用されている。」
この甘草の歴史は古く、世界では、紀元前のTheophrastの著書に紹介され、中国では神農草本経に記す最古の薬物の一つだそうです。日本には、奈良時代に生薬が入り、正倉院には、良質の皮去りカンゾウの現物が多量に保存されています。また平安時代には日本でも栽培しており、「延喜式」によれば 陸奥・出羽・常陸等から進献しています。であり、ヨーロッパから中国、日本まで広く使用されている薬物です。
甘草はいろいろな漢方に使われていますが、甘草1種類だけで作られている生薬が「甘草湯」です。これは、痛みを緩和する働きがあるので、のどの痛み、激しい咳き込み、胃痛などに適応します。先日、のどが非常に痛く、唾液を呑み込むだけでも大変だったのでこの「甘草湯」を飲んだところ、しばらくして痛みが全くなくなりました。喉が痛いので、その喉に直接何かつけたほうがいいと思ったのですが、それは対処療法で、甘草湯のほうが、もとから炎症を和らげ、痛みが治まるからといわれたのですが、なんでその薬を飲むと、体の一部分の喉に効くのか不思議でした。
先日、富山に行ったときに、ある飲食店に入った時、店の隅の机で薬箱の中身をチェックしている人を見ました。「富山の薬売り」です。箱の中で使った薬を補充しているのです。その薬を見ると、「葛根湯」という漢方薬がありました。富山空港にも特別に漢方の売り場があります。
漢方の特徴は、体全体をみるということで、体全体の調子を整え、病気を治していくために病気の症状だけでなく、一人ひとりの体質にも気をつけて使わなければなりません。このときの体の状態や体質をあらわすのが「証(しょう)」という概念だそうです。このような考え方は、西洋医学が臓器や組織に原因を求めていくのとは対照的だといわれています。漢方のよさは、薬そのものよりも、証にもとづき「人をみる」という、その考え方にあるとも言われています。最近は、「人をみる」のを、機械に頼っているところがありますね。

手作り郷土

 いろいろな街に行くと、その町の顔があります。それは、様々な特徴を持っています。以前のブログで紹介した青森県の八戸港の蕪島は、ウミネコの一大繁殖地で、シーズンには3万羽を超え、「ミャー、ミャー」とまさに子猫そのものの鳴き声が波間に聞こえることから「日本の音風景百選」に選ばれています。また、平等院表参道の商店会約160mには多くのお茶屋が軒を連ね、茶を焙じる香ばしい香りが街角に漂っていることから「かおり風景百選」に選ばれています。また、昨年連れて行ってもらった奥能登の白米の千枚田は、「人と自然が織りなす日本の風景百選」に選ばれています。ここでは、高低差約50mの急斜地に小区画の水田が耕作されていて、平地が極めて少ない自然環境に立ち向かって生きてきた、奥能登の水田開発の歴史的遺産といえます。
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これもブログで紹介しましたが、私が以前「NPOフュージョン長池」の副理事長だった時に、この地域での活動が平成13年度都市景観大賞「美しいまちなみ賞」の大賞を受賞し、その受賞式に列席したことがあります。この賞は、空間の美しさに加えて、景観形成のための地元(公、民)の活動や、地域活性化・観光交流面への波及効果など、ハード・ソフト両面から様々な工夫や努力が行われている地区を総合的に評価されたものです。それは、当時、地域の景観の美しさではなく、地域の活動の美しさが評価されたとしてうれしかった思い出があります。
このように、美しさには、音であったり、かおりであったり、活動であったりすることがあります。今週初めに訪れた富山市八尾町は「手づくり郷土賞」を受賞しています。yatuomati.JPG
この賞は、地域の個性、魅力、活力を創出している良質な社会資本や活動を広く募集、発掘し、これらを全国に広く紹介することにより、社会資本整備にあたっての創意・工夫を促し、個性あふれ活力のある地域づくりに資することを目的として、昭和61年度に創設された国土交通大臣表彰制度です。
この八尾町は「越中八尾 おわら風の盆」として毎年たくさんの観光客が訪れるところです。その町並みは、「江戸時代につくられた当時のたたずまいを色濃く残し、どこか城下町の商人町を思わせる」といわれています。そこで行われる「おわら風の盆」は、毎年9月1日から3日にかけて行なわれている祭りで、越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露します。地元の人の話では、艶やかで優雅な女踊り手は、編みがさに顔を隠し、声を出さず、未婚の25歳以下の女性に限ると言っていました。また、その調べが観光客を魅了する哀調のある音色を奏でる胡弓を、以前この地を訪れた時に、目の前で弾いてもらい、私も少し弾かせてもらう体験をしました。
この「おわら風の盆」には、たくさんの観光客が訪れるのに、普段の町には高山に見るような、また、金沢にあるようなしゃれたグッズの店や民芸品の店などがほとんどありません。地元に人に聞くと、それにはあるポリシーがあると言います。「八尾に暮らす人々が大切に守り育んできた民謡行事であり、町民の生命ともいうべき特別な存在です。ですから、全国に名の通った民謡行事としては観光イベント的な要素は少なく、したがってお越しいただいた皆様をもてなすことはあまり上手ではありません。」こんな思いが「手作り郷土賞」なのかもしれません。
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融雪

 今年は東京ではよく雪が降りました。しかし、ここ2,3日は暖かい日が続いていて、もう春という感じです。しかし、東京では、毎年4月に入っても雪が降ることがありますので、油断はできません。といっても春の雪はすぐに溶けてしまい、あわいことから奈良時代から歌に詠まれました。この「あわい」というのは、最初は「淡い」ということではなく、うたかた(泡沫)のように消える雪ということで、「あわ(泡)ゆき」という表記で用いられました。また、万葉集には、あわゆきを「「沫雪」と書いて、16種も詠まれています。そして、平安時代になると、厳寒期の厚く白く降り積もる雪に較べてうっすらと淡い雪であるということで、「あは(淡)ゆき」と表記されるようになりました。古今集には、17首詠まれています。
 そんな春の雪ですが、今週初めに訪れた富山ではつい先週まで大雪が降っていたそうです。今年は雪が多かったそんな富山では、昨年末こんな記事が新聞に掲載されていました。「散水消雪一斉稼働で地下水位急激低下 富山県内市街地」というものです。「県内の住宅団地や商業施設などで消雪設備が普及する中、降雪時に設備が一斉に稼働することによって、市街地では地下水位が急激に低下している。大雪の峠を越えた20日も、富山市の一部で降雪前よりも10メートル以上低下し「安全水位」を下回った。現在のところ、地盤沈下などの被害は報告されていないが、県は設備の作動状況をこまめにチェックし、過剰に散水しないよう呼び掛けている。」
私は、東京生まれで東京育ちですので、このニュースを読んでもピンときません。それは、地面に埋められたパイプから水を出すことで、雪を溶かしている「散水消雪」という設備を知らないからです。雪がない中、水が噴き出ているその実物を見た時には少し興奮しました。急いで写真を撮りましたが、足に水がかかりそうで、気を使いました。sannsui.JPG
この噴き出ている水は地下水のため、地熱で温められ、県内では年間を通して約11?16度を保っているそうです。富山県では、道路などの消雪用ポンプは平成20年度までに住宅団地など1522カ所に設置されているようです。ずいぶんと狭い道にまで、その設備はされていました。それを見た時は、もう道には雪がなかったためか、そのあとすぐに止まってしまいました。大半の消雪装置は雪を感知すると、自動で作動するそうですが、よくセンサーが誤感知し、雪から雨に変わったり、気温が高く雪が積もる恐れがないのに、散水し続ける場合があるといいます。
このように散水式の融雪道路は, 道路の中央部分に水のパイプを通して, 数メートル間隔で取り付けたノズルから水を噴出させて 雪を溶かす方式で, 雪国では広くこの方式が使われていますが、もうひとつ、「無散水」式もあるようです。それは、舗装の下にパイプを通して 水を循環して熱交換する方式です。この方式は、水を循環利用できるメリットがありますが, 建設コストが高くつく欠点があるそうです。
そのほかにも、雪をカーボンブラックなどで黒く着色することで、太陽熱を吸収させて融雪する方法や、塩化カルシウムを主成分とした融雪剤を散布することによって凝固点降下が起こって融点が低下するため、雪を水へと変化させる方法などがあります。
雪国では、いろいろな工夫をして雪対策をしているのですね。

機内

 私は、飛行機に乗る機会が多いのですが、最近の機内持ち込み手荷物の制限は困りました。というのは、今まで持っていたいくつかのスーツケースは、持ち込み可能の大きさよりほんの少し基準より厚さが大きいために、新しくスーツケースを買わなければならなくなったからです。また、私には関係ないのですが、昔は機内でたばこが吸えたのが、今は、トイレの中で吸っただけで飛行機は引き帰ってしまうほど絶対にダメになりました。吸わない私は、それはとてもありがたい話ですが、喫煙者にとっては、長距離の国際線などでは長い間吸わないのはつらいでしょうね。
 もうひとつ、乗る前にこんなアナウンスが流れます。「携帯電話は、航空機内では常にお使いいただけません。必ず電源をお切りください!」。また、機内に乗り込むと、「電波を発する機器は、離着陸時には電源を切ってください。」というアナウンスも流れます。2004年1月の改正航空法で機内迷惑行為の制限規定が新設されました。それは、携帯電話など通信機器の出す電波や、電子機器から漏れ出す電磁波が運航計器を誤作動させる恐れがあるためで、実際に「無線にノイズが入り交信不能になった」「機体が急に30度傾いた」「自動操縦の設定高度から400フィート逸脱した」「衝突防止装置が誤警告を発した」など、事故に直結するようなトラブルも起きたことがあるようです。違反すると最大50万円の罰金が科せられるほか、悪質な場合には、航空会社からそれ以降の搭乗を拒否されることもあるそうです。
 このような機内での使用制限が、改定されています。常時使用禁止品として、携帯電話(PHS含む)、トランシーバー、電子ゲーム(無線機能使用)、無線式マウス、ICタグ(電池式のみ)、無線機能付き歩数計、心拍測定計、腕時計、無線式自動車キー(作動のみ禁止)があり、離着陸時に使用禁止(安定飛行になったら使用できるもの)のものに、テレビ、ラジオ、ポケットベル、GPS受信機、ビデオカメラ、ビデオプレーヤー、DVDプレーヤー、デジタルカメラ、デジタルオーディオ機器、電池式ヘッドホン、電池式イヤホン、電子ゲーム(無線オフ)、パソコン(同)、電子手帳、電子辞書、プリンター、充電器、音声に反応する電子おもちゃです。しかし、ニンテンドーDSとPSPについては、無線機能を使ったゲーム機の接続が禁止ですが、パソコン同様に無線機能を切れば、離着陸時のみ電源を切り、安定飛行になれば使用できます。そして、電卓、シェーバー、カセットプレーヤーは、リスト外になりました。
 というわけで、私は、機内で安定飛行になるのを待って、急いでパソコンを使ってブログを書くことが多く、そのときには、また着陸体勢に入ると急いで電源を切ります。それは、デジタルカメラで写真を撮るときにもそうですが、いつもきわどいのが、安定飛行になるかならないころに真下に富士山が見えるので、便によって撮れる時と撮れない時があります。今週初めに富山に行ったのですが、行きに富士山がよく見えました。toyamafuji.JPG
今年は雪が降ることが多かったのですが、富士の高嶺にはもう雪が少なくなっていて、春の訪れを感じました。
 また、富山までの道のりは、長野県の上を通っていきますので、山頂に雪が積もっている山々の上を飛んでいきます。今回、諏訪湖はよくわかったのですが、そのほかの山々は何の山かがよくわからず、機内誌の地図で確かめたのですが、やはりわかりませんでした。
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また、富山に近づくと、新潟平野の田んぼにはまだだいぶ雪が残っています。そして、いよいよ立山連峰が見えてきました。とてもきれいでしたが、ちょうど着陸態勢に入りましたというアナウンスが流れ、カメラの電源を切らなくてはならず、その姿を目に焼き付けるしかありませんでした。

長崎研修

今日の朝日新聞の天声人語にこんなことが書かれてありました。「〈江戸の敵(かたき)を長崎で討つ〉の例えは、本来は「長崎が討つ」だという説がある。江戸での見せ物興行で大阪の竹細工が大評判を呼び、地元勢は面目をつぶされる。ところが長崎からのガラス細工がさらなる人気を博し、江戸の職人たちも留飲を下げた、との由来である▼外国に開かれた長崎は先取の地でもあった。「長崎で討つ」となるとその意味は消え、意外な場所や筋違いのことで恨みを晴らす例えとなる。」
このたとえは、先日の日曜日に行われた長崎知事選の結果について、使われています。その日曜日に長崎にいました。よく長崎には行くのですが、毎回とても面白い体験をしますし、発見があります。今回、研修会場は日本で初めて国公立大学としては初めてのカタカナを含んだ名称を持った大学でした。今までも私立の大学にはカタカナ名のものがありました。その多くは、キリスト系の大学で、特にイメージもあるのか女子大に多いようです。たとえば、フェリス女学院大学、京都ノートルダム女子大学、ノートルダム清心女子大学、聖マリナンナ医科大学、聖マリア大学などです。今回会場として使用した大学は、長崎県により1999年に設置された「長崎シーボルト大学」です。もちろん、この名称は、鳴滝塾を設立したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトに因んでおり、長崎県民に募集して決定されたそうです。
しかし、この長崎シーボルト大学は閉学され、2008年、県立長崎シーボルト大学と長崎県立大学が統合され、新設大学として「長崎県立大学」が設置されました。この大学のキャンパスは、旧長崎県立大学のキャンパスを佐世保校、県立長崎シーボルト大学のキャンパスをシーボルト校としました。今回の会場が、そのシーボルト校でした。
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その校舎は「世界に向けて文化と情報を発信するバリアフリーの学舎」として、この地に誘致されたものです。そして、その学舎と通りをはさんだ小さな公園には、「古跡 町錬場」と書かれた碑があります。その裏には、「明治維新のころ大村藩が徴兵訓練をしたところといわれる。その後、青年団の運動場となったり、第二次大戦では、畑になったりした。」と書かれてあります。
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この大村藩は、今は、長崎県に編入されていますが、明治4年の廃藩置県の時には、大村県となっています。そんな調錬場の前に大学が立てられたのは、因縁があるのかもしれませんね。
そんな場所での研修会のために長崎空港に降りた時に、ちょうどランタン祭りの最中ということもあって航空会社からお菓子をもらいました。そこには、飴と「おたくさ」というパイが入っていました。
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このお菓子は、長崎からよくお土産にもらいます。この名前の由来は、文政6年(1823年)長崎に渡来したシーボルトに関係します。シーボルトは、来日早々長崎奉行の計らいで、出島を出て日本人患者を治療することを許されました。その患者の中に美しい女性がいました。シーボルトはこの若い女性に心を奪われたのですが、彼女の名前が「お滝さん」でした。そして、シーボルトと彼女との間に生まれたのが有名なイネで、彼女は日本人初の女医として知られています。そして、シーボルトは、初めて見た美しい花アジサイに、そのお滝さんから「おたくさ」という名前を付けて、ヨーロッパに紹介しました。これにちなんでアジサイの花のように焼きあげられてパイにこの名前を付けたのでしょう。
昼休みに研修会場から出て付近を歩きまわると、いろいろなつながりに出会います。

少子

今年になって、NHKスペシャル“無縁社会”がシリーズで放映されています。この内容は、かなりショックです。この番組の趣旨として、こう書かれてあります。「自殺率が先進国の中でワースト2位の日本。NHKが全国の自治体に調査したところ、ここ数年「身元不明の自殺と見られる死者」や「行き倒れ死」など国の統計上ではカテゴライズされない「新たな死」が急増していることがわかってきた。なぜ誰にも知られず、引き取り手もないまま亡くなっていく人が増えているのか。「新たな死」の軌跡を丹念にたどっていくと、日本が急速に「無縁社会」ともいえる絆を失ってしまった社会に変わっている実態が浮き彫りになってきた。」この無縁社会は、「新たな死」を描いているだけでなく、今の日本における課題を浮き彫りにしています。そのような社会になってきたことの理由を、こう説明しています。「かつて日本社会を紡いできた「地縁」「血縁」といった地域や家族・親類との絆を失っていったのに加え、終身雇用が壊れ、会社との絆であった「社縁」までが失われたことによって生み出されていた。」そして、この無縁社会は、日本人がある意味選択し、そして構造改革の結果生み出されてしまったものとしています。
同じような問題が、最近経済が猛烈な勢いで成長している中国でも起きているようです。それは、一人っ子政策が導入されてから、30年が過ぎた現在のひずみのようです。この一人っ子政策は、一定の成果を収めたものの、中国社会に問題も生み出しています。例えば介護です。1人っ子同士が結婚して夫婦になると、夫婦2人だけで両方の両親4人の介護をしなければならず、実質的には妻1人で4人の両親を介護することになり、大変な負担になっているようです。
それ以上の問題は、両親2人、それぞれの祖父母4人でたった1人の子どもを大変可愛がるあまりに、子供が過保護に扱われ、甘やかされます。その結果、対人スキルが育たず、近年増えてきている1人っ子同士の結婚では、離婚率が増加しているという報告もあります。それは、中国人の結束の原動力である「家族の絆」までもが失われつつあるからのようです。家族のきずなが失われると、家庭も簡単に崩壊します。それが最近の離婚の多さの原因のようです。「中国離婚網」というメディアでは、08年8月8日に開幕した北京五輪にあやかって結婚したカップルが、1年経って続々と離婚届を提出する様子を伝えています。その原因は、「一人っ子なので自己中心的、些細な問題に耐えられない」と指摘する人もいます。
 しかし、この問題は、決して子ども自身の問題だけではないようです。そのように育ててしまった両親、教育、社会の問題があるようです。「育てたように育つ」という言葉ではありませんが、そのように育てられてしまった結果なのです。そして、それは、経済成長一辺倒で来た中国という社会であり、それに踊らされた大人たちだといいます。
 どうも、日本でも同じようなことが起きています。日本では一人っ子政策は行われていませんが、少子社会は、同じような問題を生み、バブルがはじけた後の問題が子どもに影響しているようです。
 日本も、中国も、国の将来のためにもう一度教育というものを見直し、社会の立て直しを図るでしょう。どちらが先に、改革をするでしょうか。

偉大なる王

 「オーシャンズ」のような野生動物を描いた映画が話題になっていますが、野生動物を描いた小説にも傑作が数々あります。私が子どもの頃、図書室で借りて夢中になった物語のひとつに「シートン動物記」があります。この物語は、アメリカの博物学者アーネスト・トンプソン・シートンによって書かれたものですが、彼は主に動物作品を書いており、全部で55編もあるそうです。また、彼は、美術大学にも入学していますので、その物語の挿絵も彼自身で描いています。彼はどうしてそんなに野生動物に魅せられたのでしょうか。
彼は、全集の各巻の前書きで、野生動物について語っています。「物語の結末がすべて悲劇で終わっているということは、物語が真実を語ったものだという、何よりの証拠である。なぜなら野生動物の最後は常に悲劇的な終局を迎えるものだからである。」「威厳、優雅さ、知力、逆境の巧みな利用、反抗に基づく両極の悲哀などが、以前の本と同じ形で示されるであろう。」などは、彼の作品を読んでも感じることです。
私が覚えている有名な作品に「ロボ?コランポーの王様」という作品があります。この作品は、彼の出世作で「動物記」の代名詞的な作品ですが、その名前を聞いてわからない人が多いと思いますが、日本では一般的に知られた標題は「狼王ロボ」といいます。アメリカ合衆国西南部、ニューメキシコ州北部に、コランポーと呼ばれていた地があり、その地の王は、一匹の灰色オオカミでした。土地の人びとは、力と知恵を併せ持ち、並み外れて強い集団を軍隊のように統率する彼に畏敬の念を込めて「王様ロボ」と呼んだのです。この話も悲劇で終わるのですが、決してロボを悪者としては読まず、その威厳の素晴らしさに感動し、結末に何とも言えぬせつなさを感じたものでした。
日本でも、野生動物を描いたら世界にも引けを足らない人がいます。その人は、「椋鳩十」です。彼は、長野県に生まれ、自然に囲まれた環境と、山好きの父の影響で、幼い頃から自然や動物と親しむ生活を送ってきました。大学卒業後、鹿児島県に教員として赴任してから作家活動を始め、戦後、鹿児島県立図書館長となりましたので、彼の作品のはずいぶん鹿児島弁が出てくるようです。
数々の作品の中で私が印象に残っているのは、「片耳の大鹿」です。鹿児島県の屋久島で、少年たちはシカ狩りの名人吉助おじさんたちと、冬の山へ片耳をもがれたシカの大将を撃ちに行きます。ところが急にあらしになり、ずぶぬれになった一行8人はほら穴にもぐりこみますが、そこには仲間をつれてあらしをのがれた大シカがいました。少年たちは、思わず、シカの群れの中へもぐって、冷えきった体をあたため、命が助かるのです。この作品で、命の尊さと、シカと人間との心のかよいあいが描かれます。他にも教科書に取り上げられている「大造じいさんとガン」という作品もありますが、おじいさんとガンの関係が描かれています。
あと、特に印象に残っているのは、ニコライ・A. バイコフの作品「偉大なる王(わん)」です。この作品は、私が子どもの頃、誕生日プレゼントとして両親からもらった紙芝居で知りました。 誇り高い一頭のシベリア虎の物語で、威厳と力と英知を備えた王者になるまでの一生を、克明に描く長篇です。季節ごとに変化する森林の美しい描写とともに、野生動物の生態を活写する、動物文学の最高傑作といわれています。
どの作品も、どんな動物でも誇りと威厳を持ち、一生懸命仲間を守りながら生きているリーダーのあるべき姿を描いていて、学ぶことが多かった気がします。

自然の神秘

 私の園では、毎年テーマがあり、そのテーマにそって保育を展開します。昨年、一昨年は「自然」がテーマで、 夕涼み会では、「アース」という映画を上映しました。この映画は、製作5年、撮影日数のべ2000日、撮影地全世界200か所以上というスケールで、さまざまな生命が息づく地球の姿に、改めて地球をとりまく環境について考えさせられるものでした。
 今年話題になっている映画に「オーシャンズ」という映画があります。総制作費70億円かけてつくられた海洋ドキュメンタリーで、総撮影時間は469時間36分で、撮影期間に4年の歳月を費やし、撮影箇所は世界50ヶ所だそうです。ちょっと、「アース」には及びませんが、予告を見た限りでは、海を舞台として、様々な命の物語が描かれているようです。   すべての生き物の進化の源である海は、今でも地表面積の70%をしめています。その生みの中の世界で起きる現象を、海底、海中、そして空中からの奇跡的な映像で見せています。  少し前に、「WATARIDORI」という2001年にセザール賞編集賞を受賞した作品がありました。この映画は、1時間半ほどですが、世界20ヵ国以上で3年に及ぶ撮影、100種類以上の“渡り鳥”が北極を目ざし、また元の場所へ戻っていく旅の模様を克明に映し出しています。ひたすら鳥と一緒に渡っていくというイメージなので、評価は分かれたようでしたが、ほとんどCGを使わずに撮影されたため、訪ねた国は40カ国以上、スタッフとしては撮影のために特別に造られた超軽量航空機のパイロット17人、14人の写真監督、5人のアニメ映画監督、9人のフィクション映画監督、そして鳥類の専門家がいたそうです。
 この「WATARIDORI」も「オーシャンズ」のジャック・ペランという人が監督をしています。彼は、もともと映画俳優で、私が見た映画では、カトリーヌ・ドヌーヴとドヌーヴの実の姉であるフランソワーズ・ドルレアックが双子の姉妹を演じた「ロシュフォールの恋人たち」という1967年のフランスミュージカル映画があります。この映画は、昨年、やはりカトリーヌ・ドヌーヴ主演の映画「シェルブールの雨傘」製作45周年を記念し、日本で世界初となる「デジタルリマスター版」が特別上映されました。
 また、彼が監督の道に行くきっかけが、27歳の時に映画スタジオを立ち上げ、初プロデュース作品となるコスタ=ガヴラス監督の「Z」があります。この映画は、地中海沿岸の架空の国での話ですが、左派を率いる国会議員Z氏が暴漢によって暗殺され、その調査に乗り出した予審判事の話で、1969年度アカデミー外国語映画賞や編集賞を受賞しています。また、この映画では、Z氏は、イヴ・モンタンが演じていましたが、ジャック自身も新聞記者の役で出演していました。
 話は、もどして、最近は、このように自然を描いた映画が流行っています。テレビでもNHKでは「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」という番組を2006年4月から今年で4年目に突入した自然番組があります。私が子どもの頃必ず見ていたテレビ番組が毎週金曜日20時から放送されていた「ディズニーランド」という番組がありましたが、そこでは、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」を交替で放映していました。この「冒険の国」が自然を扱ったものでした。
 いつの時代でも、自然の神秘には、心が奪われるものです。

温泉

 よく「国土地理院」という言葉を聞きますが、実際はどんな組織で、何をしているところか一般の人にはよくわからないところがあります。その一番大切な仕事は、「様々な観測に基づき、地球上における我が国の位置(経度・緯度・高さ)の基準を定めています」簡単に言うと、正確な日本の位置を決めているようです。それは、社会経済活動を円滑に行うためだと書かれてあります。
 実際は、どのようにして位置を決めているのかというと、星を利用した天文測量によってですが、それは明治25年(1892年)に日本独自の測地系に基づいて設置されているのですが、なんと、この日本独自の日本測地系から決めていたのを、世界共通の世界測地系によって決めるようになったのは、つい最近の平成14年(2002年)4月からだというのです。
 では、高さの基準はどのようにして定めているのかというと、東京湾での潮位観測結果をもとに、明治24年(1891年)に決められているそうです。そして、日本水準原点の標高は、当初24.5000mと定めていましたが、関東大震災により地殻変動が生じたため大正12年(1923年)に24.4140mに変更したようです。
 このように国土地理院では国土を測り、それを地図で表すことが仕事の中心ですが、今は、その地図もインターネットにより提供するようになっています。地図といえば、何の施設かを表す地図記号というものがあります。今、国土地理院で決められている地図記号は、全部で161種類です。この地図記号は外国にもあるのですが、そのものの形を記号にしたものが多いようですが、時代の変化とともに見直しが行われ、少しずつ形を変えてきているようです。また、時代によって新しく地図記号を追加したり、使われなくなった地図記号は削除されたりしています。また、記号の形は変わらなくても、呼び方が変わっているものも多くあります。風車や老人施設などの記号は、平成18年に生まれていますし、牧場は昭和40年に、塩田は昭和61年になくなっています。
 地図記号の中で、皆がよく知っている記号に温泉マークがあります。その由来には、「温泉の記号は、温泉法という法律で決められている温泉や鉱泉をあらわします。記号は、主な温泉のでているところの場所をあらわしますが、温泉のでている場所と浴場が離れている場合には、浴場の場所にも表示することがあります。この記号は、泉源の湯壺と湯けむりを組み合わせて記号にしています。」と書かれてありますが、意外と厳密な決まりがあるのですね。
ところで、先日の日曜日に訪れた群馬県磯部温泉は、1783年の浅間山の大噴火で湯量が増したといわれていますが、時代を経るに従って次第に少なくなっていっているそうです。また、温度も24℃しかないために、沸かして使っていましたが、最近、新しく掘られた新源泉はこれよりも温度が高く、52℃あるそうです。この町の通りの看板に「温泉記号発祥の地」と書かれてありました。
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それは、1661年に江戸幕府からだされた地図に2箇所温泉マークらしき記号が存在しているからです。このマークの発祥の説は何種かあるようですが、その記号が地図上に表れた年号を見ると、やはり磯部温泉が早いかもしれません。磯部駅ロータリーには、温泉マーク発祥の地の石碑が建っていました。
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