日本の大地が見渡せるような「わが大地の歌」の歌詞を書いた、中津川ジャンボリー世代のフォークシンガー笠木透さんが、こんな歌詞を書いて、自ら歌っている曲があります。歌詞の内容は、知覧を飛び立った特攻機が給油のために南の島に降りたちます。そして給油を終え、飛び立っていった特攻機はそのまま帰らない旅に飛び立ったのですが、その飛行機の車輪についていた植物の種がその場に落ち、後に芽をふき、あちこちに可憐な紅い花を咲かせました。その花のことを南の島の人々は誰ともなく「特攻花」と呼んだという歌詞です。2番の歌詞は、「本当の名前は 知らないけれど 小さな時から そう呼んでいた 戦争のことも 知らないけれど 誰言うこともなく 特攻花 風吹けば 風にゆれ 雨降れば 雨にぬれ 小さ愛さ 赤い花だよ 小さ愛さ 赤い花だよ」
太平洋戦争末期、九州の鹿児島県知覧から出撃する特攻機の中継地点がありました。その場所は、九州と沖縄の中間に位置する喜界島です。ですから、この喜界島が、沖縄戦に向かう若い特攻隊員が、最期に飛び立った場所でした。今でも、毎年飛行場跡に島の人たちが「特攻花」と呼んでいる天人菊を平和を願う花として大切にしているそうです。
また、こんな話もあります。太平洋戦争中、特攻基地の置かれた鹿屋市周辺で咲きはじめた花がありました。最初に特攻隊が出撃した昭和20年3月に発芽し、最後の出撃となった同年6月に実を結んだことから、地元では、この花を「特攻花」と呼ばれるようになったということが鹿児島県鹿屋市役所の広報「かのや」に書かれてあります。
この二つの言い伝えにあるように、昨日から訪れている鹿屋市も特攻基地がありました。しかも、ここから特別攻撃のため沖縄へと飛び立ち、再び帰ることはなかった若きパイロットは908名で、特攻基地の規模としては人員・機体数ともに全国的に有名な知覧を上回っています。ここは、戦前から使われている歴史ある航空基地であり、いまでも、その滑走路は海上自衛隊の鹿屋基地として使われており、滑走路脇には零式艦上戦闘機の掩体壕が残されており、司令部庁舎も戦前に建造されたものだそうです。
ここは、また、アメリカ海軍やアメリカ海兵隊にとっては、今話題の普天間飛行場に移動するヘリコプター部隊が、途中給油に立ち寄る重要な航空基地のようです。
この海上自衛隊鹿屋航空基地の敷地内に、海軍航空の歴史資料館があります。今日の講演前に、そこを見学しました。館内には旧日本海軍創設期から第2次大戦までの資料展示があり、「坂の上の雲」の登場人物である秋山真之や東郷平八郎、広瀬中佐などの資料もありました。また、「零式艦上戦闘機52型」が復元展示してあり、「特攻」という人類史上類のない悲惨な作戦で命を落とした多くの若い特攻隊員の写真や遺書・遺品などが展示されています。
また、近くには、その若者の御霊を祀るために建立された慰霊碑があります。
この塔の銘板には特別攻撃隊戦没者908名の階級氏名、出撃年月日、特別攻撃隊名、出撃者数が刻まれてありました。そして、その碑文には、「今日もまた黒潮おどる海洋に飛び立ちゆきし友はかえらず」
阪神・淡路大震災の発生から15年を迎えた今日、犠牲者を追悼するろうそくの炎とダブって、命の大切さを痛感した1日でした。
昨年放送されたNHKスペシャル「日本海軍400時間の証言」の第2回『特攻 やましき沈黙』で、特攻が行われるようになった真実の一端が明らかにされています。これまで特攻は現場将校の愛国の志から始まったと思っていましたが、実は特攻が開始される1年以上前から、海軍では回天、桜花、震洋などの特攻兵器が開発されていて、軍令部はプロパガンダとして戦意高揚に利用するするために、特攻を密かに計画したというんです。そしてあろうことか、戦後そのことで戦争責任を問われないように、それをひた隠しにして、志願兵がいたことにしたというからその卑劣さには戦慄を覚えます。旧海軍がカミカゼの戦死者第一号として神格化された関行男さんが、軍から特攻を命じられた後、実際には痛烈な軍部批判を残して出撃していったことも知りました。「長いものにはまかれろ」という日本人特有の無責任な民族性が、多くの尊い命を失わせたと思います。
忘れてはいけない悲しい出来事を忘れないように、特攻花は咲いているんですね。それを大切にし続けている人たちがいて、そんなこともそんな思いも知らなかった自分は恥ずかしいばかりですが、ここをスタートにしようと思います。「命の大切さ」を考える機会を与えてもらい、ありがとうございます。
鹿屋、鹿屋・・・。どこかで聞いたことがある地名。今回のブログによってわかりました。特攻隊の基地。二十歳前後の若者が国のために敵陣へ。「908名」の尊い命。これまでの私たちの繁栄は太平洋戦争・第二次世界大戦で失われた「命」の上に築き上げられたものです。ところで、「特攻隊」や「現在のわが国の姿」を考える時「教育」の持つ恐るべき影響力を省みざるを得ません。私は「特攻隊」を実現させたのも教育、先進国中「若者の意欲なし」ナンバーワンを作り上げたのも教育、と考えています。確かに教育論議が国家レベルでなされますが結論は校舎の耐震強化と少人数クラスの実現で納まり、教育の目的に合致した授業形態や学習方法には議論が進展していかない。なんとももどかしい。
小さい頃に神風特攻隊の話しは祖父母から、何度も聞いた事があります。ですから、その悲惨さというのは幼いながらも分かっていたつもりですが、この年になって改めて特攻隊の事を知ると今まで以上に心が苦しくなります。そして阪神大震災のドラマを見ていましたが、このドラマを見て、被災地の人々の辛さが今まで私が思っていた以上の辛さがあったと知りました。今、こうして平和に暮らしている有難さを忘れていけないと思うと同時に、過去の辛い出来事というのは後世にも伝えていく必要があると思いました。