四書五経は、江戸時代における寺子屋や藩校での主な教科書でしたので、当然その影響をいろいろな所に受けています。たとえば、以前、会津に行ったときにブログで書いた「日新館」の名前の由来も、昨日のブログの「大学」における「茍日新,日日新,又日新」からとっています。
今日から鹿児島に来ていますが、鹿児島の藩校であった「造士館」で使われていた教科書は、主なものが「孝経」「四書五経」などで、その他和漢の史書が基本として使用されていました。これらの書物の素読、講義、温習の方法で学習していました。今回、訪れているのは、鹿児島市と錦江湾をはさんだ反対側の大隅半島の中心部に位置する鹿屋市です。この地には、儒教に関係したこんな話があります。
近世日本朱子学の祖といわれる藤原惺窩という人がいます。彼の弟子には、徳川三百年の官学の祖といわれる林羅山がいます。また、彼を師と仰いで交わりを結んだ人に、保津川の土木工事で知られる角倉了意もいます。しかし、彼はもともとは仏教を学びますが、儒教への変わり、江戸儒学(中でも朱子学)の始祖となりますが、そのきっかけがこの鹿屋市に関係があるのです。
藤原惺窩は、藤原定家の一二代の孫であり、冷泉為純の第三子 として生まれました。小さいころから神童と呼ばれ、幼少のころ播州竜野で剃髪して宗舜となります。18歳の時、父為純が三木城主別所長治に滅ぼされたために、姫路の書写山に陣を敷いていた羽柴秀吉に会い、仇討と家名再興を願い出ます。ところが、秀吉に「もう少し時期が来るのを待つように」とさとされ、京都に上り叔父泉和尚のいる相国寺を訪れ、ここで仏教と儒学を学びます。その後、三木城は秀吉の手に落ち、秀吉は天下を平定します。秀吉は、朝鮮から三人の使者がやってきた時に、宗舜に命じて大徳寺で使者との筆話をやらせます。この時から彼は仏道を捨て儒学に道を求めていきます。
藤原惺窩は、儒教を学ぶためにぜひ大陸に渡りたいと思います。そこで、鹿児島の山川港から大陸渡航をしようとします。そこで、まず鹿児島には、大隅半島の鹿屋に来るのです。今は合併で鹿屋市になっている肝付町の波見港に行きます。ここは、大隅半島でも錦江湾に面しているのではなく、志布志湾に面しています。そして、ここは肝属川流域にあり、南九州で最も開けた地域の一つでした。そして、その昔、色々な物産を積んだ、大きな船が行き交う“川の道”になっていきました。明や琉球、フィリピンなどから陶器、織物、銅銭などが輸入されました。それらの多くの品物が波見や柏原の港にいったん集められた後、大阪や京都へと持ち込まれて行ったのです。江戸時代になり、外国との貿易は禁止されますが、多くの借金に苦しむ薩摩藩は、幕府に黙って中国大陸や琉球との貿易を地元の商人達に奨励し、莫大な利益を手に入れようとします。
この波見湾で、惺窩は、明船に出会い、蘇州や泉州人の商人と筆談をしています。その後、吾平(相良)を経て高須(高洲)港から指宿の山川港に渡ります。そして、山川港で大陸渡航のための船待ちをしているとき、正竜寺で新訓の「論語」が学ばれているのを知り、これなら大陸に渡らずとも、四書五経を学び教えることができると悟り、京都に帰って広めることにしたのです。これが江戸儒学(中でも朱子学)の始まりです。
学ぶときに、その地に行くことだけに意味があるのではなく、どこにいても学ぶことはできるのです。
鹿屋市は鹿児島勤務時代、何度か仕事で行ったことがあります。錦江湾を桜島を眺めながら対岸の垂水港までフェリーで渡るんですね。鹿屋まで行ったついでに、大隅半島を横断して、内之浦町のロケット基地を見学したことを懐かしく思い出しました。鹿屋市が儒教と縁があることは初めて知りました。このブログのおかげで、新宿せいが保育園まで行かなくても、藤森先生からいろんなことが学べます。ITの威力ですね。2年前の今頃、保育園を見学しました。又機会があれば、進化した新宿せいがの保育を見てみたいものです。
どこにいても学ぶことができることについて考えてみますが、私の場合は、本物がどこかにあるとすれば、背景も含めて感じるためにそこへ行く機会を求め続けます。でも同時に、行けないのであれば別の手段で本物を知る方法を探ります。そこに行けなかったとしても、学びにならないとは思いません。そう思った時点で学びは終わってしまうと思っています。でもやはり、学びへの情熱のもとになっている本物に触れることは、あきらめたくないですね。
藤原惺窩、については日本史の江戸時代でその名前を目にした程度。その弟子の林羅山は記憶必須人物で、その業績は何かも知らずにただその名前は記憶していました。江戸朱子学の祖藤原惺窩は戦国武将の先生でもあったようで門下生には昨年のNHK大河ドラマの主人公直江謙続もいたようですね。江戸270年の太平の元にこの「江戸儒学」があったことを振り返れば藤原惺窩という人物の功績は大であったと言わなければならないのでしょう。今回のブログにより「藤原惺窩」が少し身近に感じられるようになりました。外国留学をせずともその道を究め後世に多大な影響を及ぼすことができる。外国留学が頻繁な昨今、藤原惺窩のこの姿勢はもっと注目されてもいいような気がします。
私の中で鹿児島と聞くと藤森先生のブログで知った郷中教育がパッと出てきました。あとは桜島、西郷隆盛くらいで、あまり情報がありません。そういう意味で藤森先生のブログは私にとって「どこにいても学ぶことができる」大切な教科書になります。そしてブログを読んでいる事で、実際に子どもの姿を見たくなったり、今回のブログを読んで鹿児島に行きたくなったりなど、たくさん興味が湧いてきます。