育児書

 私がここのところ紹介している室町時代に書かれた「世鏡抄」は、その第7である「若身持之事」という章であり、乳母や子育てを担当している人の心構えを書いてあるもので、ある意味では「保育書」です。途中では、その書き方や、対象者の混乱が少し見られますが、今でも参考になることが多く見られます。このように、子育てについてのアドバイスはいつの時代でも必要であったようで、いわゆる子育て書の歴史は古いようです。この世鏡抄は、誰が書いたかわからないようですが、どこかの武家の家訓として書かれたものだったのでしょう。それが、庶民に対しての子育て書が、江戸時代に現れてきます。
 たとえば、中江藤樹の「翁問答」などもその一つです。この1巻にはこう書かれてあります。「子孫の教育は幼少の時が肝心である。昔は「胎教」と言って、母の胎内にあるうちから胎児への「母徳の教化」を行った。しかし、それは幼少の時分には教育がないものと勘違いするのであり、「教化」の本質を知らずに、ただ口だけで教えるばかりが教育と思い込んでいるために、このような誤りを犯すのである。本当の教化とは「徳教」である。口で教えるのではなく、時分の身を正して道を行い、それによって周囲の人間が感化されていくことを「徳教」というのである。これは、あたかも水が物を潤し、火が物を乾かすようなものである。」これは、最近、ECECで提案されている就学前教育の考え方と全く同じような気がします。このECECでは、就学前教育を学校準備としてとらえるのではなく、陶冶という人格形成期ととらえるべきであると言っているのです。もしかしたら、陶冶が徳教なのかもしれません。
そのために翁問答では、「幼い者の心立てや身持ちは、その父母や乳母の心立てや身持ちに見あやかったり聞きあやかるために、父母や乳母の徳教が子孫の教育の根本となるのである。従って、乳母の人柄を吟味し、父母の身を修め、心正しくして、親孝行の道を語り聞かせ、また、身に行って、教育の根本を培養すべきである。」ということが大切になります。私が提案している「見守る保育の三省」の2番目は、「子どもに真心を持って、接しただろうか。(子どもを見守るということは、人格が伝わっていくということを理解し、
偽りのない心で、子どもに主体として接することである)」としています。
その後、小児の誕生から養育までの万端にわたって詳述した、日本最初の本格的な育児書と言われている「小児必用記(小児必用養育草)」が香月牛山によって書かれます。香月牛山(啓益)は、筑前の医師であり、育児学的立場から小児の健康と病気の病状、療養、看護の面からの諸注意を書きしるしたものです。このころの育児論は、親の溺愛に対して警告を出しています。そして、過干渉の結果、あとでその子を放り出してしまうことを心配しています。「玉と育ててのちに勘当」ということです。たとえば、保嬰論に、「小児の安からん事をおもわば、三分の飢と寒とを帯ぶべしと見えたり。」とあります。徐春甫の説には、「世間の父母、その子の愛着に惹かれて、わが子は何事もよきとばかり思えて、誉めそやし、姑息を持て育つる類の者多し。隠姑息を持て育ちたる児は、極めて悪しき風俗となるなり。」と言っています。
どの時代でも子どもを愛することと、過干渉とを取り違えてしまうことに危機感を感じているのですね。

育児書” への4件のコメント

  1. 過干渉という言葉の捉え方ですが、例えば過干渉の反対は無関心といってしまえば過干渉の方がいいように思えたりもします。また、過干渉には子どものためという一見正当に思えてしまうな理由がついてしまうことがあるので、またまたやっかいです。過干渉によって子どもがどうなるか。また、過干渉になるのは子どもに何を期待してのことなのか。どう生きるかということや、どんな価値観を伝えるかが育児では大事なところだとすれば、過干渉はよろしくないと思います。親と子の関係には、時代によって変わらない課題が多くあるんですね。

  2. 時代が変わっても変えてはならないことー「子孫の教育は幼少の時が肝心」、まずはこれがひとつ。「父母の徳教が子孫の教育の根本」、これが二つ目。そして「小児の安からん事をおもわば、三分の飢と寒」、これが三つ目。そして、これら「変えてはならないことを変えない」ために「変わる」。それは時代性を的確に把握しなければ見えてきませんね。「玉と育ててのちに勘当」という 『小児必用記(小児必用養育草)』からの引用があります。現在若者たちの多くが引き起こしている事件の背景にあることの一つがこのことでしょう。「玉と育ててのちに勘当」。秋葉原の無差別殺傷事件の容疑者がすぐに浮かんできました。「玉と育て」るのなら最後まで玉として育てればよかったのに。しかし人間には「親離れ」「子離れ」ということがあります。そうした人間の自然の摂理から育児を考える必要があると思いました。

  3. 藤森先生の唱える見守る保育の理念が、決して特殊なものではなく、江戸時代の育児書にも通じる普遍的なお考えだということがよく理解できます。特に、少子化で子どもへ過干渉の親が増加している今、時代への警鐘として輝きを放っていると思います。ところで「見守る保育の三省」のあと二つ、なんでしたでしょうか?ちょっと気になります。

  4.  世界ではモンテッソリーやシュタイナー、フレーベルと言った有名な保育が色々ありますが、日本には存在していません。寺子屋や郷中教育などの素晴らしい教育方法があるのに、まだまだ世界どころか、日本の中でも認知度は低いような気がします。そして最近ブログでも紹介されている「世鏡抄」という、ある意味での保育書も実際に存在していたのに、藤森先生に教えていただくまで知りませんでした。寺子屋にしても「世鏡抄」も、今の日本の子ども達にとって必要な能力が培われ、書かれてあるとつくづく思いました。「温故知新」この言葉が当てはまるのか分かりませんが、古い物から学ぶ事を本当に見直すべき時が、来たと感じました。

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