数え年61歳を「還暦」と呼ぶように、いろいろな呼び方をすることがありますが、その根拠として大きく二通りあります。ひとつは、漢字を分解すると、その年齢の数字になるというものです。60歳以上だけでもいくつもあります。これは、ずいぶんとしゃれています。
61歳を「華寿」というのは、「華」の字を分解すると,十が6つと一、合わせて61となることからです。77歳の「喜寿」は、「喜」の字の草書体が七十七に見えるとことからで、80歳の「傘寿」は、「傘」の略字が八十と読めるとことからです。81歳の「半寿」は、「半」という字を分解すると,八十一になることからで、88歳の「米寿」は、「米」の字を分解すると八十八となるところからです。90歳の「卒寿」は、「卒」の通用異体字「卆」が「九十」と読まれるところからで、95歳の「珍寿」は、「珍」を分解すると,偏が十二,造り八十三、合わせて95であることからです。ずいぶんと複雑な数学になります。簡単に引き算として、99歳の「白寿」は、「白」の字は、百から一をとったものであるところからです。
まだまだあります。108歳の「茶寿」は、「茶」の字を分解して、(十+十)+(八十八)=108ということからで、111歳の「皇寿」は、「皇」の字を白、十、一に分解。九十九を表す白に一、十、一を足すと百十一になることからというのは、ずいぶんややこしいですね。また、「川寿」ともいいますが、これは「川」の字を分解すると111であることからです。119歳の「頑寿」は、「頑」の字を分解すると,元が二と八,頁が百と一と八、合わせて119であることからですし、120歳の「昔寿」は、「昔」という字を分解すると,廿(にじゅう)と百になり、合わせて120であることからです。こうなると、実際にはその年になることは少ないというよりないでしょうから、なんだか、文字遊びをしているように見えます。このようなことから漢字をこじつけて覚えたのかもしれません。
もうひとつ、その年齢の呼び方が論語を根拠にしていることはよく知られていますが、人選とか礼記からとられていることも多いようです。それも、中国の古典を学ぶひとつだったのかもしれません。
70歳の「古稀」は、唐の詩人杜甫の詠んだ詩「朝回日日典春衣 毎日江頭尽酔帰 酒債尋常行処有 人生七十古来稀 穿花蛺蝶深深見 点水蜻蜓款款飛 伝語風光共流転 暫時相賞莫相違」に出てきます。この詩は少し情けない内容です。杜甫は、仕官を志しますが、科挙の試験にも恵まれず、46歳で皇帝に仕えた時も真面目な性格から皇帝を諌めて次第に疎まれていきました。そこで、酒に浸って憂さを晴らす毎日の中で詠んだ詩で、「どうせ人生七十まで生きるのは稀なのだから、今のうちに楽しんでおきたい」という屈折した心境を詠っています。今では、70歳でふてくされるほど人生は短くなくなってきました。
「礼記」には、「人生十年曰幼,學。二十曰弱,冠。三十曰壯,有室。四十曰強,而仕。五十曰艾,服官政。六十曰耆,指使。七十曰老,而傳。八十、九十曰耄,七年曰悼,悼與耄雖有罪,不加刑焉。百年曰期,頤。」これで見ると、60歳ともなると分別もついてくる時期なので、指示を出す立場となりましょうと言っています。70歳になったら、もう年なんだから、今までの自分の知識等を伝えるのを役目とする年齢ですそして、職務は返上するのがいいようです。80から90歳は少しぼけてくることを知っている必要があります。そして、100歳になって、一巡りしたのだから、養われてもかまわないのです。
もう少し生きて、やることがありそうです。
年齢の文字遊びはこんなにあったんですか。120歳の先もありそうな勢いですね。内容とは全く関係ありませんが、年末に恐山菩提寺院代の南直哉さんのブログで120歳という数字が出ていて印象に残っている文章があります。安楽死や尊厳死について『平均寿命が80歳をこえようとし、技術の進みようでは120歳まで生きることができると言われるような社会においては(これは重要な前提です)、もしかすると「生を延長する」ことよりも、「死を確保すること」のほうが、私たち個人にとっては、はるかに困難で、実は重要なのではないか。』ということを書かれていました。どう生きるかということを考えることは、こういった側面もあるんだと考えさせられました。まあそんなことは置いといて、勝手な願いですが、藤森先生にはまだまだ活躍していただきたいと思っています。なんだか変なまとめ方になってしまいました。
88歳が「米寿」99歳が「白寿」と呼ばれている事は知っていましたが、それ以外にもこんなにもたくさん、様々な呼び名があるとは知りませんでした。どれも漢字を分解していますが、見事としか言いようがありません。ただ95歳、108歳、119歳など中途半端な数字ばかりなのが少々気になりますが、逆に年を取るのが少し楽しみになりそうです。ただ、まだまだ先の話しですので、それまで覚えていないといけませんね。
傘の骨ほど数ある中で
お前ひとりがわしの妻よ
おまえ百まで わしゃ九十九まで
共に白髪の生えるまで
御存じ伊勢音頭の一節ですが、先日この唄を家内に教えたら、「寿命が来たら私が先にいく。あとは自分で生きていきなさい!」と言われました。「俺より先にいってはいけない」とは関白宣言ですが、男は死ぬまでわがままなようです。ちなみに、この「おまえ百まで…」は江戸時代の式亭三馬の「小野ばかむら嘘字尽」がルーツ。ここでは、お前は夫で、わしが妻となっています。昔の女性は夫を大事にしたんですね。
いろいろな寿があって実に興味深いですね。藤森先生は本年「華寿」ですね。おめでとうございます。70歳は「古希」。実母は数年前「古希祝い」の宴に参加するとかしないとか、言っておりました。私たち夫婦のお仲人さんは本年「傘寿」。家内の父も生きていれば「傘寿」。家内の父も我が父もアラカン(アラウンド還暦)で他界。平均寿命80云歳の今日この頃、何とも早々と娑婆世界をお捨てになられたものです。120歳を「昔寿」と「文字遊びをしているように」もみえますが、おそらく120歳は不可能どころか寿名を附すほどポピュラーだったのかも?私たちの遺伝子には120歳を可能にする素因が組み込まれているかもしれませんね。120歳まで生きてみたいものです。