霧島市

 昨日、鹿屋市から鹿児島空港まで送ってもらう途中でいくつかの市を通ります。その中で、「霧島市」があるのですが、ここは、平成17年11月7日、国分市、溝辺町、横川町、牧園町、霧島町、隼人町、福山町が合併して、新たに誕生した市です。その前のそれぞれの市や町はいろいろと有名です。「花は霧島、煙草は国分・・・」と鹿児島おはら節でも歌われるように、国分の煙草は江戸時代後期頃から「国府たばこ」の名で全国に広く知られていました。
 また、霧島は焼酎でも有名です。2005年に雑誌社が企画した焼酎ランキングで鹿児島からベスト10に6銘柄が入っていますが、そのうちの3銘柄は霧島市に蔵元のある焼酎でした。一つの市に9つの蔵元があるのは鹿児島でも珍しいことのようです。(かめ壺焼酎で有名な森伊蔵はとなりの垂水市です)
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また、鹿児島で製造されている焼酎のほとんどは、本格焼酎と呼ばれているもので、酒税法上乙類に属し、単式蒸留機で蒸留したアルコール分45度以下のものです。「旧式焼酎」とも呼ばれ、古くから作られている伝統的な焼酎です。主原料となる、芋、米、麦など素材の味を生かした焼酎です。ただ、最近よく出回っている黒霧島など霧島酒造は、宮崎県の都城市にあり、そこの商標です。
 もうひとつ、最近、テレビ番組や雑誌でとり上げられ、人気の高いものに、霧島市福山産の「黒酢」があります。ここで作られているのは、壷づくり黒酢(壷で作られるので壷酢ともいう)です。1800年代、江戸時代後期に薩摩藩の福山地方で壺酢づくりが始まり、今日まで同じ製法を守って造られています。重要な商業地であったここ福山町は、良質な米ときれいな湧き水、そして温暖な気候に恵まれており、また、適度な湿度も維持されているので、酢を造る微生物が活動しやすい環境です。また、薩摩藩主島津義弘は、茶道を千利休について学んだ茶人で、焼き物には深い関心を持っていました。そして、豊臣秀吉と共に朝鮮に出陣した際、朝鮮の陶工達を引き連れて帰ってきて、彼らはその後、士族としての待遇を受けながら薩摩焼を焼き始め、その技術を代々受け継いできました。ですから、壺酢づくりにかかせない薩摩焼の壺も手に入りやすい状況にありました。
そんな環境の中で始まった壺酢づくりでしたが、大正から昭和になって、石油から合成してできる合成酢が製造されるようになり、安価な合成酢に押されはじめ、壺酢は衰退を見せ始めました。しかし、昭和40年代になって、有害食品が問題となり、自然食希求のブームが巻き起こりました。それに伴い、石油から造られる合成酢も人々から敬遠されるようになり、壺酢が再び注目され始めました。
薩摩焼きの壷の中で、蒸し米と麹、天然のわき水だけを原料に、一年から三年じっくり発酵・熟成してできあがる酢は、次第にその色は深みのある琥珀色に変わり、さらにまろやかさとコクが加わります。その色から「黒酢」と呼ばれているのですが、この成分には、アミノ酸、有機酸、ビタミン類、ミネラル類が含まれています。その中でも特に豊富に含まれるアミノ酸は健康維持のために大切な成分であることで知られています。
 壷に杜氏が米、麹菌、水を仕込んでからは、壷は屋外に置かれ、放置されます。そして、昼間は南国鹿児島の強い太陽光に照らされ、夜は鹿児島錦江湾からの冷たい海風にさらされ、その中で1年以上かけて自然にじっくりと糖化、アルコール発酵、酢酸発酵までが行われるのです。ですから、福山町を通過する道の脇には、いたるところに壺が並べられており、また、広い畑の代わりにたくさんの壺が並んでいる広場もあちこちに見うけられ、ちょっと珍しい光景でした。
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