大学3

 明日は大学入試センター試験ですが、1979年から1989年の間、国公立大学及び産業医科大学の入学志願者を対象として共同して実施した基礎学力をみるために「大学共通第1次学力試験」という試験を行っていたことがありました。中国の隋から清の時代までである598年?1905年の間、官僚登用試験である「科挙」という試験が行われていたことがありました。科挙という語は「(試験)科目による選挙」という意味です。どんな試験も嫌ですが、この科挙は、特に大変だったようです。競争率も約3000倍だったとも言われ、最終合格者の平均年齢も、約36歳と言われています。この科挙は、最初のうちは文芸中心の進士科が重んじられ、宋の時代になると、朱子によって四書五経を対象とすることが確立します。その中で、五経については、そのうちの一経だけを選択受験すればよかったので、四書のほうの勉強が中心でした。その四書は「大学」「中庸」「論語」「孟子」ですが、この順番は中国でこれらの書物が成立した順ではなくて、中国で習う順番です。ですから、一番最初に挙げられている「大学」が、いわば共通一次試験の入門テキストのようなものだったために、誰もが読んだのです。
この「大学」の意味は、「学の大なるもの」ということで、朱子は、この思想を三綱領八条目に整理したのです。三綱領というのは「明徳」「新民」「止至善」で、八条目が、「格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下」です。そこまでの説明は、ブログで書きましたが、まだまだ参考になることがあります。
「湯之盤銘曰“?日新,日日新,又日新”」(湯王が、毎朝使う洗面器にはこんな言葉が刻まれています。「本当に毎日毎日新たな気持ちでいなければならない」ということで、日々が発見であり、学習であり、自らの歩みを進める必要があるのです。それを、毎朝確認をしていたという逸話を紹介して、マンネリを防ぐだけでなく、実践の大切さも言っているのです。そして、そんな努力を続けていけば悟りのように、ものの理がわかってくるものなのです。大学・伝5章に書かれてある「至於用力之久、而一旦豁然貫通焉、則衆物之表裏精粗、無不到、而吾心之全體大用、無不明矣。」(力を用うるの久しき、一旦豁然として貫通するに至りては、則ち衆物の表裏精粗、到らざるなく、而して吾が心の全体大用も明らかならざるなし。)と書かれていることです。あるときにパット悟りが開けることを「豁然貫通」と言っています。よく、長い間、心に抱いていた迷いや疑いなどが何かの拍子に急に解けて、真理を悟ることを「豁然大悟」と言いますが、この言葉は、禅宗などの熟語を採録した中国の字典「祖庭事苑」に載っている言葉です。
伝5章に書かれてある大学で言う悟りとは、事物の表裏細部に至るまでそこに貫かれている理を極めつくすことであり、それによって、自分の心の英知を十分に発揮できるようになることなのです。そのために、自分自身を欺かないこと「誠意」がまず必要です。そのためには、独りよがりを避けなければなりません。つまらない人は、一人で暇になると妄想だけが広がり、主体性がなくなるのです。これが、有名な言葉、「故君子必慎其獨也。小人?居爲不善、無所不至」(小人間居して不善をなす、至らざる所なし)
「大学」は、「己を修めて人を治める」ための書物なのです。