教材

 今年も押し迫ってきました。年賀状も皆さんは書き終わっている頃でしょうね。
来年の干支は「虎」ですが、虎で思い出すものに一休さんのとんち話があります。一休さんは、室町時代の禅僧ですが、寺子屋の教材にもよく使われていたようです。子どもたちは、以前紹介した「なぞなぞ」同様、とんち話が好きです。そのために、一休さんの話も江戸時代になると「頓知」が強調されるようになったそうですが、実は、かなり奔放で過激な人物のために早い時期から有名だったようです。一休さんについては、ブログで詳しく書いていますし、とんち話についても彦一とんち話で書いたので省略をしますが、寺子屋では、ほかにはどんな人を学んだのでしょうか。
歴史上の人物の中で身近な偉人に「空海」がいたようです。国語の基本である「読み・書き」は「いろは」の声から始まります。この47文字を声に出して、その次にお手本を見ながら筆を使って書きながら一字ずつ覚えていったのですが、その作者が、最近は違う説があるのですが、長い間空海であると言われてきたからです。その根拠としては、鎌倉時代末期の作品である「釈日本紀」、「源氏物語河海抄」(巻12)、「高谷日記」、「江談抄」等の文献に、空海が「いろは歌」を書いたことを示唆する記述があることにあります。また、この「いろは歌」は、超人的な知識と知恵を必要としたでしょうから、これほどすぐれた仏教的な内容をよみこめるのは空海のような天才にちがいないということもあるようです。
もうひとつ、空海が寺子屋で取り上げられた理由に、寺子屋の教材である教訓書「實語教」の作者とも伝えられているからです。この實語教は、平安時代に成立し、鎌倉時代に普及した書物です。儒教色が強く、また対句構成で暗記がしやすかったため江戸時代の寺子屋の素読用教材として非常に普及しました。その後、近代明治までの数百年間、日本の初等教育書として使われ、日本人に身についていった教養、規範になっていったのです。 その書き出しは、有名です。「山高故不貴 以有樹為貴 人肥故不貴 以有智為貴」(山は高いからすばらしい山というわけではなく、樹が生い茂っているから素晴らしいのです。また、人は、金持ちだからとか裕福だから貴いのではなく、知恵があることがその人の貴さなのだ)と言っています。山にしても、人にしても、見た目で判断しないで、その持っている内容によって判断すべきであることを教えています。
これを福沢諭吉は、「学問のススメ」の中で「實語教に、“人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり”とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。」と、實語教を例に出しています。この部分は、先ほどの部分の次に続く文です。「富是一生財 身滅即共滅 智是万代財 命終即随行 玉不磨無光 無光為石瓦 人不学無智 無智為愚人 倉内財有朽 身内財無朽 雖積千両金 不如一日学」この部分で、学問の大切さを説いています。いくらお金があっても、死んでしまえば何にもならないが、知恵は、末の代まで意味を持ちます。その知恵は、学問によって身につき、いくら千両の金を積んだとしても一日の学に及ばないくらい価値があるものだというのです。
この實語教の教えが「天は人の上に…」という考え方を形作っていったのかもしれません。

教材” への4件のコメント

  1. ヤマ屋の世界では、高山の頂上を踏むことを目的にする人を「ピークハンター」と言います。それに対して、1000M以下の低山を歩くことを好む人は、俗に「低山徘徊派」と呼ばれます。マイナーですが、高山を登りつくした人が最後にたどりつく境地だと思います。私は修行が足りないのでそこまではいきませんが。そんな徘徊派の人々は、『山高きがゆえに貴からず 木あるをもって貴しとなす』とよく言いますが、空海の実語教から来ていることを初めて知りました。当地は空海生誕の地で、家の前には空海が修行した山が見えます。郷土の生んだ偉大な賢聖を偲んで、また登ってみようと思います。

  2. 最近は学ぶことを楽しいと感じられています。どうすればいいかわからないことにぶち当たったときは苦しさもありますが、学ぶことでそこを乗り越えたときの嬉しさは格別です。物やお金が手に入ったときも嬉しいですが、それらとは本質的に違う喜びだと感じます。学ぶことの喜びに勝るものはないと、誰だか忘れましたが言っていたと聞きました。自分が心の底からそう言えるところまでたどり着くにはどうすればいいのか、そんなことを考えるようになりました。

  3. 私の家内は私の書く「ひらがな」を直してくれます。しかもその平仮名の元の漢字を示しながら。私は、残念なことに、字がとても下手くそです。若い頃はさほど気にも留めておりませんでしたが、小学生の息子にも「パパより僕のほうが字はうまい」と言われてしまうと返す言葉も見当たらない事実に落胆極まりなし。今更ながら、漢字片仮名平仮名をちゃんと勉強しておけばよかった、と反省しきり。家内に弟子入りして勉強しようと数年前から言い続けているのです、が、いまだ実現せず!業の深さ。来年こそは・・・?「實語教」。う?む、これが寺子屋のテキスト!恐るべし、寺子屋!!寺子屋は恐らく藩校等の高等教育機関?を模倣していたでしょうからその水準の高さは押して知るべし。明治という時代の原動力、エネルギー、そして情熱を慮ることができます。「坂の上の雲」を観ているとそのことがよくわかります。

  4.  年賀状作りは確かに大変な作業かもしれませんが、デザインなどを考えるのは個人的に好きですので、一種の楽しみかもしれません。
     寺子屋については、先生のブログで読ませていただいていますが、本当に歴史上の偉人達が多く寺子屋で学んでいるのですね。上の者が下の者に教えるという関係がもちろんだと思います。その寺子屋の中で使われている教科書の中身も素晴らしいことが書いてあります。この言葉はどの時代でも通用する大切な事を書いてあると感じました。

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