世界の教育

 月刊「クーヨン」という雑誌の9月号増刊は、「のびのび子育て」ということで、「子どもに受けさせたい世界の幼児教育」という特集記事です。まず、表紙を見て驚いたのは、「世界の教育者は子どもを信じることからはじめた!」とあることです。この記事は、モンテッソーリ、フレーベル、フレネ、シュタイナー、ニキーチン、コダーイ…など、子どもの成長、教育について考えてきた世界の人たちの幼児教育理念についての紹介ですが、彼らのまなざしは「大切なのは子どもを信じること」であると書かれているのです。私も保育理念を持っているのですが、その第1に挙げているのは、「子どもの存在を丸ごと信じただろうか。」ということです。それは、「子ども自ら育とうとする力を持っていることを信じ、子どもといえども立派な人格を持った存在として受け入れることによって、見守ることができる」からです。
 最近、注目されている保育カリキュラムにニュージーランドの「テ・ファリキ」がありますが、このカリキュラムは、4つの原則から作られています。その第1は、「エンパワーメント」ということで、子どもに自ら学び、成長するための力と、権限を与えることです。子どもに任せることで、子どもは考える力をつけるということです。また、イタリアのレッジョ・アプローチでは、「子どもたちは生まれながらに多くの能力、生きる力を持っている」ということを原則にしています。また、1970年代のオランダで急速な広まりをみせたイエナプラン教育では、学校教育の場ですが、長い間「経験や知識のある」大人が「何も知らない」「未熟な」子どもに既成の知識やスキルを伝える場、また、子ども側からすると、子どもを一方的に「教えられ」「知識を受け取る」だけの受動的な人間につくり替えてきたのです。それを、イエナプランでは、それぞれの子どもに備わった発達への意欲や好奇心をうまく引き出す教育なのです。
 どれも子どもへの温かいまなざしを感じます。しかし、これは決して情緒的ではなく、きちんとした子ども観察からきているのです。世界で最初の「幼稚園」を創設したフレーベルの言葉が紹介されています。「親として、教師として、子どもをどう導けばいいのだろうか。ただ、児童をよく観察し、注意をすればよい。そうすれば、子どもが自らあなた方にその方法を教えるであろう。」「大人は幼児がなすこと、見ること、発見することなどを一々言い表し、命名し、それに言葉を与えるだけでいいのだ!」
今日の新聞に、厚生労働省は昨日、21世紀最初の01年に生まれた子供の生活実態を継続的に調べる「21世紀出生児縦断調査」の第7回結果を発表したことが掲載されていました。その結果、「習い事をしている」子は56.6%で、そのうち第5回調査で「習い事をしている」子は35.8 %でした。ずいぶんと増えています。性別に習い事の種類(複数回答)をみると、男児では「水泳」が23.0%、女児では「音楽(ピアノなど)」が24.9%と最も多くなっているようです。今年の体育の日の調査で、最近の子どもたちの体力が前に比べてついてきたことが掲載されていましたが、それもどうも習い事の成果のようです。
そして、遊びの種類も、テレビゲームや携帯型ゲームなどの「コンピュータゲームをする」子は50.6%で、第5回調査では27.9%ですから、ずいぶんと増えています。これは、必ずしもゲームがいけないというよりも、子ども同士が関わらなくなったということが問題だと思います。今回の調査でも、「近所に友だちがいない」が34.4%と多くなっており、遊び相手も、「同い年の子」と「よく遊ぶ」割合が37.2%と低く、「ひとり」で「よく遊ぶ」割合が49.5%と高くなっています。
早く、日本でも幼児教育を含めて、教育改革をしなければならない時期でしょう。

世界の教育” への4件のコメント

  1. 今日の新聞紙上に『子どもの暴力最多、小中高校6万件に迫る 08年度、文科省が調査』というニュースが出ています。3年連続の増加で過去最多。実態はこの数字以上といわれています。最も多いのは生徒間の暴力で3万2445件、器物損壊は1万7329件、教師への暴力も8120件あったそうです。学校というところは閉鎖的で中の様子を表に出したがらないのですが、想像以上に異常な事態が起こっているようです。文科省はこの事態の原因を?規範意識の低下?感情を制御できない?コミュニケーション能力の不足にあると分析しているのは全くその通りなのですが、家庭や地域の教育力の向上を叫ぶだけでは決して問題の解決にはならないと思う。日本の教育を、諸外国の「子どもを信じる教育」と比べてどうなのか、しっかり検証する必要があると思う。

  2. 学校の生徒管理は年々歳々厳しくなってきています。学校の教室では先生の注意の声が飛び交います。生徒の学習態度の悪さ?の原因は即座に家庭のしつけに帰せられます。小学校で行われた保幼小合同会議の場で1年生の担任が「子どもを王様にしてはいけません!」と発言しました。この「王様にしてはいけない」発言には子どもの主体性、自発性、あるいは個性、そして子どもの同士の関係性、ということを暗に否定しようとしています。そもそも「子どもの存在」をありのままに信じてはいけない、と聞こえます。私はその担任を批判しようとは思いません。本当はその先生もどうしていいかわからなくて困っていると思われるからです。こうした現場の困難さを学校の管理者は即刻「教育委員会」に報告すべきなのに・・・。そして今のクラス形態、授業形態を見直すべきなのに・・・。そして大人の圧力で子どもたち、特に年長さんを「いい子」にしている保育園幼稚園等就学前施設の関係者も自らの責任を省みるべきでしょう。学校の問題を対岸の火事と嘯くことをやめなければなりません。

  3. 「子どもを信じる」ことの大切さを教わってから、何をすべきかはっきり見えてきたことがいくつもあります。たった一言なのですが、もっとも大切なことだと今では確信しています。でも、捉え方によって意味が少し変わってしまう難しい言葉だとも思っています。「子ども自ら育とうとする力を持っていることを信じ、子どもといえども立派な人格を持った存在として受け入れること」の大切さを、もっとアピールできるようにならなければと、昨日も反省させられました。

  4.  過去の有名な教育者の考えは、やはり子どもを信じる事が根底にあるのですね。藤森先生のお話を聞いてから、子どもを信じる事というのは、とても大切な事だと、日々感じます。大人が思っている以上に子どもは、様々な力を持っていますし、何よりも想像力には毎日驚きます。それを引き出すには、子どもの事を心の底から「信じる」という事が出来ないと無理のような気がします。しかし、この事が世界では標準になっている事が日本では、まだまだ浸透していないのは、どうして?と思うよりか、今後の日本の教育が心配でなりません。

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