年末の猿

 1年が終わろうとしています。それぞれ人は節目がありますが、年の変わり目が節目だという感じは年々薄れてきています。そのひとつは、年度の変わり目が一番大きな節目だからです。学校などの4月から3月までの年度という考え方です。商売における年度とは会計年度です。それは会社によって違うでしょう。また、人生に節目というと、ひとつ年をとった時でしょう。かつて、年齢が数え年で数えていた時には、年の代わりが節目だったかもしれませんが、今は、誕生日が節目です。
暮らしの中でも人生に節目を祝うものがあります。これは、「冠婚葬祭」と呼ばれるものです。「冠」とは、もともと成人式の時に冠をかぶることが出来るようになったということから来ていますが、今では、人生の節目のお祝い行事のことを言います。これには、七五三、入学、就職、退職、開店なども含まれています。「婚」と「葬」は分かりやすい節目です。「祭」とは、もともと先祖の霊を祭ることを言いますが、今では、四季折々の年中行事とか、風習をさします。そのひとつが、今日の大みそかです。
大みそかや元旦はそれ自体が節目ですが、自分の人生や生き方を考える日としてとらえる人もいます。特に、元旦は、新たな決意を持ちます。先週末、今年最後の講演に行ったついでに日光に行ってみました。日光といえば、まず東照宮です。ここにはいくつも国宝や重文に指定されている建物や彫り物がありますが、そのひとつが重文に指定されている「神厩舎・三猿」です。神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩です。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻があり、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名ですが、実は8面あり、人間の一生が風刺されています。この場面によって、人生を振り返るきっかけになります。そのうちの3場面を見てみたいと思います。
まず、「母子の猿」です。
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この説明には、「母猿が小猿の将来に思いをはせる。子は母を信頼して、顔をのぞみこむ。A mother monkey is looking far into the future of her child, and a child is looking up at the mother. 」とあります。母猿は手をかざして何を見ているのでしょうか。子猿は首をかしげ、その母親を見上げています。 多分、母親は子猿の将来に思いをはせているのかもしれません。昨日のブログではありませんが、数年後数十年後を見通して、今、自分がおこなっていることや日々の生き方はどうすればよいかを考えているのかもしれません。
次が有名な三猿です。
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これは、説明書に「子供のうちは、悪いことを見ざる・言わざる・聞かざるがよい。Three monkeys tell us that children should “See-no-evil, Say-no-evil, Hear-no-evil.” 」とあるように、子供のころは悪い事を見たり・言ったり・聞いたりしないで、素直なままに育ちなさいという育児論が表現されています。この解釈は様々あるようですが、判断力がない子ども時代には、様々な誘惑があります。
次の猿だけは一匹だけです。
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説明書きには、「ひとり立ち前の猿。まだ座っているが、飛躍を期す。(じっくり腰を落ち着けて、これからの人生を考える。)He is about to be independent.」とあります。幼年期から少年期になり、そろそろひとり立ちをしようとする間の心境です。ですから、まだ座って考えています。飛躍の前の力を蓄えているのでしょう。このブログの表題でもある「臥竜」の境地です。そして、今年の最後のブログにまたインディペンデントという言葉が出てきました。
明日がよい飛躍が出来る明日になるように願ってやみません。