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 西田知己さんの「寺子屋の楽しい勉強法」という本の中で、寺子屋と縁の深い人物として「菅原道真」を挙げています。それは、菅原道真を学問の神様として祀った天神様だからです。特に学問、文筆の神としての信仰が一般庶民の間にも広く浸透したのは、江戸初期に寺子屋が隆盛してからのことです。江戸の寺子屋の様子を記した文献などには、子供たちが机を並べる教室に、必ず道真を描いた絵や彫像が置かれてあったことが記されています。また、道真の命日である2月25日にちなみ、正月の初天神に行う天神講の行事は父兄参観の文化祭ともいえるような寺子屋最大のイベントだったようです。そして、毎月25日の縁日には近所の天神社へ読み書きの上達を祈願する「天神講」が行われていました。この風習は、現在でも福岡県の太宰府や京都市の北野天満宮など、道真ゆかりの神社で受け継がれているようです。そして、今日の天神様への受験合格の御利益信仰はこのころから始まっているのでしょう。
 道真は、代々学者の家系に生まれ、長じて学者、文人それに政治家として卓越した能力を発揮した人物でしたが、異例の出世が、権力者藤原氏の鼻につき、延喜元年(901)藤原時平の讒言によって失脚し、北九州の太宰府へと左遷されてしまいます。都を去るとき、「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と読んだことは以前のブログにも書きました。この太宰府に流されたことにひっかけた笑い話「手習師匠」が西田さんの本に紹介されています。「経営のままならない寺子屋の師匠が、家財を売り払い質入れを繰り返しながら、何とか食いつないでいました。しかし、ついに大切な天神像まで手放さなければならなくなり、恐る恐る天神像に事情を打ち明けます。天神像は仕方なく“わかった”と応えますが、最後に“決して流してくれるな”というのです。」これは、道真が太宰府に流されたことと、質流れをかけたしゃれです。
 ほかに、寺子屋で人気のあった人物は、和歌の作者だったようです。寺子屋では、子どもたちに風雅な言葉を身につけさせる指導は、和歌を教材に使っていました。その中で、圧倒的な人気を誇っていた人物が「小野小町」でした。彼女は、クレオパトラ、楊貴妃と並び称された世界三大美人でしたし、六歌仙にも選ばれています。また、彼女の歌は、お正月に遊ばれる百人一首にも収められています。そして、寺子屋における教科書である女子のための「往来物」にもよく登場しています。また、室町時代の能楽や浄瑠璃の題材にも多いようです。
 小野小町は、寺子屋で学んでいた女子の憧れだったようです。