独立

 NHK大河ドラマ「坂の上の雲」を見ていると、何度か出てくる言葉で気になる言葉がコメントでも書かれてある「一身独立して一国独立す」という言葉です。この言葉は、福沢諭吉の著書「学問のすすめ」での最重要命題です。この学問のすすめは、“「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。”という有名な言葉で始まります。
 今年、1月から東京・福岡・大阪・神奈川で「未来をひらく福澤諭吉展 FUKUZAWA Yukichi:Living the Future」開催されました。私は、1月から3月まで東京国立博物館 表慶館で開催されていた東京展に行きました。
fukuzawaten.jpg
その展覧会の図録の最初のところに京都大学教授の西村稔氏が、この一身独立について解説を書いています。
 先に書いた「天は人の上に…」という万人平等の宣言で始まるのですが、そのあとに「されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。」と続きます。人は、みな平等であるはずですが、実際は、人に様々な差があるのです。それは、「学問の力」の有無により生じた相違であって、天が定めた約束ではなく、むしろ富貴は「人の働」によるものであるというのです。これを、立身出世として見るのではなく、むしろ強者が弱者を支配する社会の中で、弱者=貧者が、強者=富者と肩を並べるには、学問(実学)によるしかないと説くことが眼目であったと西村氏は言います。これが、経済的な一身独立論なのです。
学問のすすめにこんな部分があります。“諺にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。”では、学問とはどんなことでしょうか。福沢は、こんな風に言っています。“ 学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。”これだけ読むと、なんだか実学だけが学問であるように感じます。彼は、実業家としての道を歩む所を見ると、やはりそう考えていたのだということが納得できます。“かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。”と言っています。しかし、その次にはこう続きます。“地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。”
“この心得ありて後に、士農工商おのおのその分を尽くし、銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり。”ここまで読むと、西村氏が言っている強者と弱者が肩を並べるために学問が必要であるという内容が理解できます。