高橋

 先週の日曜日からNHKで放送されている「坂の上の雲」は面白いですね。ずいぶん前にこの原作である司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んで、しばらく熱中した覚えがあります。ブログにも何回か書きました。ミュージアムを訪れたり、秋山兄弟の生誕の地を訪れたり、もちろん子規堂など訪れました。この原作は、日清日露戦争の顛末の面白さと秋山兄弟と正岡子規の人生に触れる面白さのほかに、明治から大正にかけての様々な人物に出会うことにあるかもしれません。その人物のゆかりの地を歩いたり、訪れたことを思い出すことがあります。
 先週、英語教師として西田俊之が演じていた人物の「高橋是清」もその中の一人です。高橋是清は、非常に特異な経歴の持ち主です。波乱に満ちた人生を送った人ベストテンに入るかもしれません。彼の父親は幕府御用絵師で、47歳のときに16歳の行儀見習いのために奉公していた女性に子どもを産ませたために、是清は、生後まもなく仙台藩の足軽の養子に出されます。その後、横浜のアメリカ人医師ヘボンの私塾(現・明治学院高校)で学び、仙台藩の命令により、勝海舟の息子である小鹿と海外へ留学しますが、横浜に滞在していたアメリカ人の貿易商によって学費や渡航費を着服され、更にホームステイ先である彼の両親に騙され奴隷契約書にサインし、奴隷として売られてしまいます。牧童やぶどう園で奴隷としての生活を強いられ、苦労を重ねた結果、やっと日本に帰れることになり、サンフランシスコで知りあった森有礼に薦められて文部省に入省します。そして、同時に英語の教師として大学予備門で教えます。この時の場面が「坂の上の雲」に出てきます。その生徒に子規とか秋山真之がいたのです。そのかたわら当時の進学予備校の数校で教壇に立ち、廃校寸前にあった共立学校(現・開成高校)の初代校長も一時務めています。
彼は、文部省だけでなく、農商務省の官僚としても活躍し、農商務省の外局として設置された特許局の初代局長に就任します。しかし、官僚としてのキャリアを中断して、ペルーで銀鉱事業を行おうとしますが、すでに廃坑のため失敗して帰国します。そのときに、日銀総裁に声をかけられ、日本銀行に入行し、日銀副総裁、日銀総裁になります。彼は、歴代日銀総裁のなかで唯一その肖像が日本銀行券の50円券に使用されています。
そして、また坂の上の雲に登場します。ロンドン留学時代の人脈を利用して日露戦争の戦時外債の公募などで活躍するのです。そして、政友会総裁犬養毅が組閣したとき、請われて4度目の蔵相に就任します。その時には、今と同様、世界恐慌で世界はデフレでした。そのような中で高橋は、金輸出再禁止、日銀引き受けによる政府支出(軍事予算)の増額などで、日本経済をデフレから世界最速で脱出させたのです。また、5.15事件で犬養が暗殺された際に総理大臣を臨時兼任したのち、続いて組閣した斎藤実は彼の親友だったため、5度目の蔵相、次の岡田内閣の岡田啓介は共立学校での教え子だったために6度目の大蔵大臣に就任します。そして、第20代総理大臣を務め、7回の蔵相を務めるなど、積極財政政策で日本の財政危機を救った政治家として今でも評価されています。しかし、インフレを抑えるために軍事予算を縮小しようとしたことが軍部の恨みを買い、赤坂の自宅二階で青年将校達に暗殺されてしまいます。これが、2.26事件です。
この赤坂の自宅跡が「高橋是清翁記念公園」になっています。
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ここには、和風庭園はほぼ当時のままの姿で残されていますが、邸宅は、空襲により焼失しました。しかし、母屋はそれ以前に移築されていたため難を逃れ、現在「江戸東京たてもの園」(都立小金井公園内)で公開されています。
人の関わりの中で、波乱の人生を送ったものですね。