年末の猿

 1年が終わろうとしています。それぞれ人は節目がありますが、年の変わり目が節目だという感じは年々薄れてきています。そのひとつは、年度の変わり目が一番大きな節目だからです。学校などの4月から3月までの年度という考え方です。商売における年度とは会計年度です。それは会社によって違うでしょう。また、人生に節目というと、ひとつ年をとった時でしょう。かつて、年齢が数え年で数えていた時には、年の代わりが節目だったかもしれませんが、今は、誕生日が節目です。
暮らしの中でも人生に節目を祝うものがあります。これは、「冠婚葬祭」と呼ばれるものです。「冠」とは、もともと成人式の時に冠をかぶることが出来るようになったということから来ていますが、今では、人生の節目のお祝い行事のことを言います。これには、七五三、入学、就職、退職、開店なども含まれています。「婚」と「葬」は分かりやすい節目です。「祭」とは、もともと先祖の霊を祭ることを言いますが、今では、四季折々の年中行事とか、風習をさします。そのひとつが、今日の大みそかです。
大みそかや元旦はそれ自体が節目ですが、自分の人生や生き方を考える日としてとらえる人もいます。特に、元旦は、新たな決意を持ちます。先週末、今年最後の講演に行ったついでに日光に行ってみました。日光といえば、まず東照宮です。ここにはいくつも国宝や重文に指定されている建物や彫り物がありますが、そのひとつが重文に指定されている「神厩舎・三猿」です。神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩です。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻があり、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名ですが、実は8面あり、人間の一生が風刺されています。この場面によって、人生を振り返るきっかけになります。そのうちの3場面を見てみたいと思います。
まず、「母子の猿」です。
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この説明には、「母猿が小猿の将来に思いをはせる。子は母を信頼して、顔をのぞみこむ。A mother monkey is looking far into the future of her child, and a child is looking up at the mother. 」とあります。母猿は手をかざして何を見ているのでしょうか。子猿は首をかしげ、その母親を見上げています。 多分、母親は子猿の将来に思いをはせているのかもしれません。昨日のブログではありませんが、数年後数十年後を見通して、今、自分がおこなっていることや日々の生き方はどうすればよいかを考えているのかもしれません。
次が有名な三猿です。
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これは、説明書に「子供のうちは、悪いことを見ざる・言わざる・聞かざるがよい。Three monkeys tell us that children should “See-no-evil, Say-no-evil, Hear-no-evil.” 」とあるように、子供のころは悪い事を見たり・言ったり・聞いたりしないで、素直なままに育ちなさいという育児論が表現されています。この解釈は様々あるようですが、判断力がない子ども時代には、様々な誘惑があります。
次の猿だけは一匹だけです。
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説明書きには、「ひとり立ち前の猿。まだ座っているが、飛躍を期す。(じっくり腰を落ち着けて、これからの人生を考える。)He is about to be independent.」とあります。幼年期から少年期になり、そろそろひとり立ちをしようとする間の心境です。ですから、まだ座って考えています。飛躍の前の力を蓄えているのでしょう。このブログの表題でもある「臥竜」の境地です。そして、今年の最後のブログにまたインディペンデントという言葉が出てきました。
明日がよい飛躍が出来る明日になるように願ってやみません。

江戸時代の集団

『未来のための江戸学』(小学館)という本を出版した法政大学教授である田中優子さんが産経新聞に連載している「ちょっと江戸まで」というコラムが、昨日で終了になりました。その最終回のテーマが、「寺子屋の教育取り戻せ」でした。この記事は、私が常々ブログで書いている内容と同じことが書かれてありますが、ひとつ、私と大きく認識として違うところがあります。その部分が、今年、新めて見つけた私の保育についてのテーマであり、来年から取り組もうとしている課題です。それは、集団とはどんなことなのかです。
少子時代になり、家庭、地域には子どもを取り巻く社会が希薄になりはじめています。また、子どもたちは、地域で、家庭で子ども集団で遊ぶことをこのまなくなっています。その中で、子どもたちにとって学校は、友達がたくさんいるところです。それは、昔の寺子屋でもそうだったでしょう。田中さんが、コラムの中で、寺子屋の様子を書いています。「渡辺崋山その他によって描かれた寺子屋(手習い)の絵がたくさん残っている。絵を見て驚くのは、寺子屋は、そもそも学級崩壊しているという事実だ。いや「学級のまとまり」という概念がないのだから、崩壊もない。なにしろ子供たちは先生を見ていない。今の学校のように机を整然と並べて全員が黒板と教師に顔を向けている、などという事例は皆無。子供たちは入学時に持ってきた自分の机を自分の好きなところに置き、めちゃくちゃふざけながら勉強している。とても楽しそうだ。」
寺子屋へは、家から机も持ち込んで好きな所に置いていたこともあったようです。残っている絵では、机を丸く輪にして並べている姿も描かれているものがあります。子どもたちはあちらこちらを向いていますし、顔に墨をつけあっている子もいます。全員が前を向いて、先生の話を聞いている図はありませんし、ましてや、先生が姿勢がどうの、聴く態度がどうのと注意している姿は見られず、確かに楽しそうです。その教授の姿を田中さんはこう書いています。
 「教科書は往来ものや算術など何種類かあり、それらを個々の生徒ごとに組み合わせる。つまり寺子屋教育とは個人教育なのだ。個人教育が集団教育に変わってゆくのは、近代の学校制度になってからである。教壇に教師が立ち生徒が教師の方に顔を向ける教室の配置、行進の練習、集団生活を身につける修学旅行などは、日本人の「近代化」のために作られた。江戸の日本人は他人と歩調を合わせて歩いたり、同じ態度を統一的にとることなどできなかったのである。「日本人の集団性」は国家戦略として作られた性質なのだ。」
 これを読んだときに、私は果たして寺子屋が個人教育で、一斉に生徒が先生の方に顔を向けて授業をするのが集団教育なのだろうかと思いました。一斉に先生の方を向いて話を聞くというのは、先生と生徒との関係しかなく、一斉の個人授業の気がします。先生の考えが一人一人の個人に伝えられる教育です。集団教育とは、集団を活用することなので、子ども同士が話し合い、意見を交換しながら授業を進めていくことを言うのではないかと思います。いわゆるグループ学習です。学び合いです。江戸時代の寺子屋や塾は、少数で議論を重ね自分の言葉を磨いてゆく授業だったのです。
 間違っていた教育は、集団教育ではなく、みんな同じことをするという間違った集団性である一斉個人教育だったような気がするのですが。

江戸から現在

10月から産経新聞に「ちょっと江戸まで」というコラムを法政大学教授である田中優子さんが執筆しています。彼女は、今年の10月1日に『未来のための江戸学』(小学館)という本を出しています。私は、最近江戸時代の教育に、特に寺子屋、藩校、薩摩の郷中教育、会津の什教育などに関心があります。それは、その頃の教育は、明治に入っての日本人の外国にも劣らないエネルギーを生み出したことに、今に通じる何かがあるように思うからです。興味があります。また、江戸時代の教育だけでなく、環境問題、リサイクル、エコについても世界に誇る取り組みをしたことも評価されます。だからといって、江戸時代に戻るわけも行かず、また、教育の目的も時代で大きく変化していることもあり、私は江戸時代から100年進化させた今の日本のあるべき姿を作っていくべきであると思っています。いわゆる「温故知新」です。
コラムを書いている田中さんは、江戸文化を研究しながら「私たちの近現代は何を乗り越えたのか、あるいは何を克服しそこなったのか、とりわけ、何を捨て何を失ったのか」という問いを持ち続けているようです。そして、その研究の面白さをこう書いています。「過去の時代を知る面白さは、異なる価値観や美意識や奇妙な人間たちに出会う驚きの連続で、終わらない旅のようなものだ。戦後生まれの私にとって江戸時代は、どれだけ研究しても驚愕の異文化なのだ。しかし、江戸時代に驚いてばかりはいられなくなった。いったん江戸時代側に立って現代を眺めてみると、それもまた驚きの連続である。食料自給率39%という数字は多く見積もっての話で、飼料や種子や加工食品の原料のことを考えに入れると、米以外はほとんど自給できなくなっている。気候変動、テロ、伝染病、戦争、何が起きても日本人は飢餓に陥る可能性がある。江戸人から見ると、なんと不安な国なのだろうか。子供の貧困は進み、いざというときの受け皿となっていた共同体はもはやない。子供さえ孤立し、親からも他人からも助けてもらえない。江戸人から見ると、何と過酷な国だろうか。」
 最近、日本の貧困率の高さが話題になり、日本は豊かな国だ、私たちはみんな豊かだという幻想が打ち砕かれました。それに反して、世界の中でブランドに走る若者が多く、クリスマスは高級ホテルや高額ディナーショーがいっぱいになり、どこが貧困かと疑いたくなる人たちも多いようです。それは、「景気回復」が真っ先に叫ばれ、そのために節約をしないで、消費すべきだという「金を使えば豊かになる」という信仰が叫ばれていることの影響しているのかもしれません。そのことについて田中さんは「経済」という言葉は「経世済民」という意味であることから江戸時代の考え方を紹介しています。
 「江戸時代には、未来につなげたい考え方がいくつかある。そのひとつは「持続可能な豊かさ」である。「経世済民」という経済の理念を実現すべく、必要を満たしながらも配慮と節度をもって使いさえすれば、自然は永遠に持続可能な豊かさの源泉だった。質素倹約こそ、豊かさの基本なのである。貪欲と浪費はたちまち「貧しさ」に直結する。私たちの時代は、貧しさの直前まで来ている。もうひとつ未来につなげたいことは「因果関係」への鋭敏さである。今自分がおこなっていることや日々の生き方は、数年後数十年後にどういう結果となって現れるのだろうか。今が過去の結果であり、同時に未来の原因であるとすれば、今日をどのように生きるべきか。そういうことに意識的であれば、なりふりかまわぬ競争はできなくなり、勝ち負けはどうでもよくなる。大事なのは生き方だからだ。だからこそ、江戸時代は明治になって否定されたのだろう。」
 今の姿は、過去の教育の結果なのです。

疲労2

私は、最近週末は地方へ講演に行くことが多のですが、それは、脳を切り替えるのにとても役に立っています。また、出先では、もし時間があったら出来る限り歩くことにしています。しかし、東京に比べて、地方では歩かないことが多く、すぐに車で移動しますね。せっかく空気もきれいですし、緑も多いので歩けば気持ちがとても癒されます。また、ブログを書くのも脳の切り替えにとても効果があります。講演もそうですが、考えることは保育のことが多いので、1日のうち1時間くらいは違うことを強制的に考えるのが、ブログを書いている時間です。本当は、本を読んだり、音楽を聴いたり、絵を書いたりすればいいのですが、なかなかまとまった時間を取るのが難しく、その点ブログは日課になっているので、何とかその時間だけでも確保しようと工夫をします。また、少なくとも書いている間は違うことを考えようと、保育の話題から離れようとするのですが、どうしても子どものことが多くなります。それは、子どものことを考えることも嫌いではないからです。
昨日紹介したR25の中でも、好きなことならばできて、嫌いなことだとなかなかやる気が起きないというのも、脳の構造の問題だと書かれてあります。それは、感情系を司る大脳辺縁系は他の領域より強く、「やらなきゃ」と自分を律する思考系より、「快/不快」「好き/嫌い」という感情系が強く働いてしまうため、嫌いなことだとなかなか行動できなくなってしまうからのようです。
しかし、人は必ずしも好きなことだけをやることはできません。嫌いなこと、いやなことでもやるというように、理性によって感情を抑制できるのも人間なのです。そんな時には、こんなことをすればいいそうです。「“ちょっとイヤかも”くらいのことを積極的にやるということを繰り返し、“我慢はそんなにイヤなことではないよ”と脳に言い聞かせれば、徐々にイヤなことでもクリアできるようになる」そうです。やる気が出るためには、昨日のブログで紹介した「視線を動かす」「歩く」に加えて、「ちょっとイヤなことを我慢する」ことを実践するといいようです。
特にやる気や集中力を高めるには、脳神経外科医である築山節先生は、休んでいる脳のスイッチをオンにする必要があると言います。駅までの道のりを少し長めに歩いたり、エスカレーターを使わずに階段を上がるようにすると、血液が脳までポンプアップされて、頭がすっきりするのだそうです。また、口を動かすこと、声を出すことも脳のアイドリングには効果があるので、会社に着いたら元気よく挨拶し、ちょっと雑談を交わす。これで始業時間とともにバリバリ仕事を始めることができます。そして、朝早く起きるためには、当然、夜早く寝ることも大切。寝ている間は脳も休んでいると思われがちですが、実は、睡眠中は記憶の定着や思考の整理が行われています(大脳などは疲労回復のために活動を止めていますが)。なので、最低6時間くらいは眠ること。さらに、昼間は仕事のやり方にメリハリをつけることで、集中して仕事ができるようになると築山先生はいいます。脳が疲れてしまったら、単純な打ち込み作業や慣れている仕事など、それほど高度ではない作業を進めます。そうすると、脳の思考を司る部分が活性化し、やる気が出てきますから、そのときを見計らって高度な仕事をすればいいといいます。
このように、きちんと働く脳であるための基本は、早寝・早起き・適度な運動・整理整頓。これに加えて、3食きちんとバランスの良い食事をとること。バランスのとれた食事は、脳が必要とする様々な栄養を吸収すると同時に、生活のリズムを整えたり、よく噛んで脳に刺激を与えるためにも重要なのです。
私は、そんなことを意識しています。

疲労1

 そろそろ年の瀬も押し迫ってきました。私は、何とか新型インフルエンザにもかからず、無事に今年を越せそうです。また、今の年の暮れは、あまり瀬戸際という感じは薄れてきています。ですから、「年の瀬」という言い方は、次第になくなってくるかもしれません。先日、ある神社にお参りに行ったときに、新年にお参りするのは誰でもできるのだと言っていました。というのは、今年もどうもよろしくということは誰でもいえるが、年の暮れに今年も無事に過ごせてありがとうということは、過ごせた人しか言えないので、年の暮れにお参りできることはありがたいことと思わなければいけないと言われました。確かに、いろいろな事件や事故、病気などに会い、戦っている人がいる中、本当にありがたいと思います。
 しかし、暮れ近くなって、私も何度か具合が悪くなりそうなことがありました。喉が痛くなり風邪かな?おなかが痛くなり風邪かな?咳が出て風邪かな?と何度か怪しい時がありましたが、そんな時は、よく職員にあきれられるのですが、薬は決して飲まず、気合いで乗り切ります。というより、そんなものに負けるなと気力で撃退しようとします。しかし、毎年、そのつけが年末に来ます。園は、年末年始が1年中の中で一番休みが長い期間です。しばらく休みだと思うと、気が緩むのか、風邪をひいたり、疲れが出たりします。そんな時に、結果的に病気に打ち勝つには、薬でもなく、気持ちの問題が大きいことを実感します。
「R25」という、リクルートが発行している25才以上の男性ビジネスマン向けに、2004年7月の創刊から、5年以上も続いているフリーマガジンがあります。何度かブログでも引用しましたが、今月号に「疲労」特集があります。まえがきに、「女性が男性に、健康のことを心配するあまり“最近元気ないみたいね。大丈夫?”なんて声を掛けると、想像以上のダメージを彼に与えてしまいかねませんので、言葉選びには注意が必要かも。」と書かれてあります。ずいぶんと微妙なものです。
やらなければいけない仕事は山ほどあるのに、なかなかやる気が出てこなくて、一向に仕事がはかどらないときに、どうしたらよいかについて、ベストセラー『脳が冴える15の習慣』で知られる、脳神経外科医の築山節先生に「R25」で聞いています。
「脳は基本的に怠け者で、隙あらば休もうとします。といっても、脳全体が休んでしまうのではなく、体の機能と直結した運動系、好き嫌いを司る感情系と呼ばれる部分は動いています。怠け者なのは、やる気や意欲と深いかかわりを持つ思考系と呼ばれる部分で、この部分を活発にするには何らかの変化を脳に与える必要があります」と言っています。たとえば、「そういうときは、少しずつ脳のスイッチをオンにしていけばいいのです。テレビを見ることがやめられなくなってしまったなら、まず目線をテレビから外して、違う景色をしばらく見ます。それだけでも脳にとっては変化です。さらにキッチンに行ってお茶を入れ、手と足を動かすようにするなど、少しずつ大きな変化に脳を対応させていくのです。そのころには思考系が優位になり『テレビを消そう』という理性が働いて、実際にテレビを消せるはずです」また、運動系を働かすことで思考系が活発になるのは、脳の構造によるもので、手足や口などを動かす運動系の機能は脳の中でも表面中央部に分布していて、その部分を活性化すると、脳全体の血流を良くしてくれるといいます。意識的に手足を動かしてやることで、やる気を司る大脳も活発になるのです。「特に大切なのは、歩くこと。足を動かすための機能は、脳の中でも頭頂部に近い領域が担っているので、歩くと血流が脳の高いところまで汲み上げられることになります。それによって脳全体の血流が良くなり、思考系が活発になる」のだそうです。

教材2

 西田知己さんの「寺子屋の楽しい勉強法」という本の中で、寺子屋と縁の深い人物として「菅原道真」を挙げています。それは、菅原道真を学問の神様として祀った天神様だからです。特に学問、文筆の神としての信仰が一般庶民の間にも広く浸透したのは、江戸初期に寺子屋が隆盛してからのことです。江戸の寺子屋の様子を記した文献などには、子供たちが机を並べる教室に、必ず道真を描いた絵や彫像が置かれてあったことが記されています。また、道真の命日である2月25日にちなみ、正月の初天神に行う天神講の行事は父兄参観の文化祭ともいえるような寺子屋最大のイベントだったようです。そして、毎月25日の縁日には近所の天神社へ読み書きの上達を祈願する「天神講」が行われていました。この風習は、現在でも福岡県の太宰府や京都市の北野天満宮など、道真ゆかりの神社で受け継がれているようです。そして、今日の天神様への受験合格の御利益信仰はこのころから始まっているのでしょう。
 道真は、代々学者の家系に生まれ、長じて学者、文人それに政治家として卓越した能力を発揮した人物でしたが、異例の出世が、権力者藤原氏の鼻につき、延喜元年(901)藤原時平の讒言によって失脚し、北九州の太宰府へと左遷されてしまいます。都を去るとき、「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と読んだことは以前のブログにも書きました。この太宰府に流されたことにひっかけた笑い話「手習師匠」が西田さんの本に紹介されています。「経営のままならない寺子屋の師匠が、家財を売り払い質入れを繰り返しながら、何とか食いつないでいました。しかし、ついに大切な天神像まで手放さなければならなくなり、恐る恐る天神像に事情を打ち明けます。天神像は仕方なく“わかった”と応えますが、最後に“決して流してくれるな”というのです。」これは、道真が太宰府に流されたことと、質流れをかけたしゃれです。
 ほかに、寺子屋で人気のあった人物は、和歌の作者だったようです。寺子屋では、子どもたちに風雅な言葉を身につけさせる指導は、和歌を教材に使っていました。その中で、圧倒的な人気を誇っていた人物が「小野小町」でした。彼女は、クレオパトラ、楊貴妃と並び称された世界三大美人でしたし、六歌仙にも選ばれています。また、彼女の歌は、お正月に遊ばれる百人一首にも収められています。そして、寺子屋における教科書である女子のための「往来物」にもよく登場しています。また、室町時代の能楽や浄瑠璃の題材にも多いようです。
 小野小町は、寺子屋で学んでいた女子の憧れだったようです。

教材

 今年も押し迫ってきました。年賀状も皆さんは書き終わっている頃でしょうね。
来年の干支は「虎」ですが、虎で思い出すものに一休さんのとんち話があります。一休さんは、室町時代の禅僧ですが、寺子屋の教材にもよく使われていたようです。子どもたちは、以前紹介した「なぞなぞ」同様、とんち話が好きです。そのために、一休さんの話も江戸時代になると「頓知」が強調されるようになったそうですが、実は、かなり奔放で過激な人物のために早い時期から有名だったようです。一休さんについては、ブログで詳しく書いていますし、とんち話についても彦一とんち話で書いたので省略をしますが、寺子屋では、ほかにはどんな人を学んだのでしょうか。
歴史上の人物の中で身近な偉人に「空海」がいたようです。国語の基本である「読み・書き」は「いろは」の声から始まります。この47文字を声に出して、その次にお手本を見ながら筆を使って書きながら一字ずつ覚えていったのですが、その作者が、最近は違う説があるのですが、長い間空海であると言われてきたからです。その根拠としては、鎌倉時代末期の作品である「釈日本紀」、「源氏物語河海抄」(巻12)、「高谷日記」、「江談抄」等の文献に、空海が「いろは歌」を書いたことを示唆する記述があることにあります。また、この「いろは歌」は、超人的な知識と知恵を必要としたでしょうから、これほどすぐれた仏教的な内容をよみこめるのは空海のような天才にちがいないということもあるようです。
もうひとつ、空海が寺子屋で取り上げられた理由に、寺子屋の教材である教訓書「實語教」の作者とも伝えられているからです。この實語教は、平安時代に成立し、鎌倉時代に普及した書物です。儒教色が強く、また対句構成で暗記がしやすかったため江戸時代の寺子屋の素読用教材として非常に普及しました。その後、近代明治までの数百年間、日本の初等教育書として使われ、日本人に身についていった教養、規範になっていったのです。 その書き出しは、有名です。「山高故不貴 以有樹為貴 人肥故不貴 以有智為貴」(山は高いからすばらしい山というわけではなく、樹が生い茂っているから素晴らしいのです。また、人は、金持ちだからとか裕福だから貴いのではなく、知恵があることがその人の貴さなのだ)と言っています。山にしても、人にしても、見た目で判断しないで、その持っている内容によって判断すべきであることを教えています。
これを福沢諭吉は、「学問のススメ」の中で「實語教に、“人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり”とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。」と、實語教を例に出しています。この部分は、先ほどの部分の次に続く文です。「富是一生財 身滅即共滅 智是万代財 命終即随行 玉不磨無光 無光為石瓦 人不学無智 無智為愚人 倉内財有朽 身内財無朽 雖積千両金 不如一日学」この部分で、学問の大切さを説いています。いくらお金があっても、死んでしまえば何にもならないが、知恵は、末の代まで意味を持ちます。その知恵は、学問によって身につき、いくら千両の金を積んだとしても一日の学に及ばないくらい価値があるものだというのです。
この實語教の教えが「天は人の上に…」という考え方を形作っていったのかもしれません。

技術

 先日の日曜日に、福島県郡山市に行きました。それは、ある企業からの講演依頼だったので、まあ、半分付き合うの気持ちだったのですが、とても面白い体験をしました。主催者である「合同会社 地球と家族を考える会」の会長さんといろいろと話をしていると、何となく考え方が同じで、印象だけで活動は分からないということを実感しました。最初は会社の名前の「地球…」という名前がなんだか宗教じみていましたし、見学する予定だったモデルハウスの名前が「KUMIKO」というなんだか女性の名前のようなので、女性用の建物かと思っていました。すると、この「KUMIKO」とは、日本の伝統工法である木組みの技である「組子」に由来しているのだそうです。
以前、水俣に行ったときに、その地域の取り組みを「もやい」と言っていたのと同じで、「KUMIKO」という名称は、志を同じくする仲間で手を組んで、地域を活性化しようという取り組みを表しているのだそうです。また、そのモデルハウスは、この地で産まれたものをその地で生かしたいということで、100%福島の木を使い、その地域の風土に合った「地産地生の住まい」です。また、組子というように、日本古来の伝統工法に独自の技術を加え、金物に依存しない構造体を作っています。また、人が建物の中で過ごす時間は人生の9割を占めることから生きた人間が住むために、生きた材料を使い、自然エネルギーにこだわっています。
 日本におけるいろいろな技術は、もともとは中国大陸から伝えられたものが多いのですが、建築技法もそうです。しかし、その技法が日本の風土に合うよう様々な工夫がなされ、日本人の趣向に準じ、伝統技術として、今なお色あせることなく、それどころか、今の時代にもう一度見直されてきているのです。特に、鎌倉時代に再び中国と国交を回復すると、新形式の建築様式が伝来し、今までの建築様式を「和様」と、新建築様式を「大仏様」「禅宗様」と呼び区別されました。後の時代ではそれらが入り混じった様式「折衷様」が新しく実現されていき、「和様」と言われる日本独自の様式がつくられていったのです。
 鎌倉時代から受け継がれている日本の伝統的な木工技術に「組子」というものがあります。この技法は、細く割った木に、溝、穴、ホゾ加工を施し、カンナやノコギリ、ノミ等で調節しながら一本一本の木を、釘を使わずに手作業で組みつけていく繊細な木工の技法です。簡単にいうと釘を使わずに木を組み付ける技術のことをいいます。繊細なこの技術は、職人たちの伝統を守る心と情熱により、何世代にもわたって現代まで引き継がれてきました。今では、おもに障子や欄間にみることができます。
もともと伝統的な日本建築では、構造の軸になる部分は基本的に釘は使わず、ただ、「木と木を組み合わせて木栓のみ」で止めているだけです。それは、技術が低かったからではなく、あえて釘を使わないという、日本の風土が生み出した知恵なのです。中世になれば釘に不自由することはありませんでしたし、最近の釘よりもずっと質の良い和釘もありましたが、釘で木を殺してはいけないと木の本質を知っていたからこそ、中世の棟梁は釘を使うことはできるだけ避けたのです。また、日本では多い地震や台風等に対しての強さの秘密は、「木と木を組み合わせてこそ生きる」という基本的なことを、しっかりと守っている「貫」構造です。
子どもの遊びだけでなく、いろいろなところで、長い間残っているものは、経験上から今の科学以上の検証がされ、実証されてきたものが多いのでしょう。

江戸時代の遊び

 西田知己さんの「寺子屋の楽しい勉強法」には、現代における教科と対比させて、寺子屋ではどんな勉強をしていたかを紹介しています。当時の「読み」「書き」「算盤」は今の国語や算数を学ぶことだろうとは想像がつきますが、理科や社会は何によって、どのように教えていたのかは想像つきません。逆に総合的学習は、寺子屋というよりも、昔の学問そのものという気がして、いろいろな学びは、総合的に行われていたのだろうと思います。この本の「はじめに」には、このように書かれてあります。
 「時代が違えば、教育の狙いや方針も異なります。その差は優劣で割りきれる話ではありませんが、現代の教育にも有益な先人の教えが読み取れるかもしれません。」
 この本の中で寺子屋の正月の意味を紹介しています。大きく二つあったようです。まず、江戸時代の正月はもちろん旧暦ですので、今の1月下旬から2月の中旬にかけて正月が来ます。その正月は、その字のごとく、「正に」ということは、物事のはじまりを表します。それは、最初の姿が正しいという考え方を伝える字で、堕落したり、脱線してしまったものを、元の姿に戻す時の理想が「正」ということです。ですから、寺子屋の教えとして、「正月は、今年1年のお手本となるような過ごし方を心がける月、笑顔を絶やさずに楽しく過ごすのが第1で、子どもは福笑いやカルタ取り、はねつきやコマ回し、凧上げなどに熱中しました。」と書かれてあります。
 正月の子どもの遊びには、昨日のブログの「なぞなぞ」同様、子ども集団の中で遊ぶもので、子どもたちは、手先や脳、運動能力をつけると同時に、遊ぶ中で社会を知っていったことでしょう。この本に書かれてある遊びのほかにも、江戸時代には様々な遊びがお正月に行われていたようです。特に、「貝合」「絵合」「花結び」「小鳥合」「十種香」「盤遊び」「縫物くらべ」など盛んに行われたようですが、これらの遊びは春の遊びとして平安時代から伝わってきたものです。しかも、これらは対戦型で、やはり一人遊びは少ないようです。
ブログに書いたと思いますが、凧にしても日本の凧は持ち手が必要になることで協力を知っていったと言われています。凧は、立春の空を仰ぐのは養生のためにいとして、盛んに揚げられ、より高く揚げるために工夫することも学んだと言われています。それに対して、外国の凧であるゲイラカイトは、一人で揚げることができ、より速く走ることが要求されます。一人で生き抜く力をつけるのです。
 そのほかにも、子どもの遊びには面白いだけでなく、意味がありました。明治になっていっぱんに正月の遊びとして定着した「福笑い」ですが、最近は、目隠しをして顔を作り、その出来上がりの顔が変なことを笑うのでよくないのではないかということで、やらなくなりましたが、私は、顔の目鼻、口、まゆ毛の位置や傾きで顔の表情が変わることを知るのによい教材だと思っていました。若いころ、子どもたちに絵画指導をしていたことがありましたが、目隠しはしませんでしたが、顔のパーツを子どもたちに動かせて、顔の表情を様々に変えた体験をさせたことがありました。そうすることによって、絵の中の人物に様々な表情をつけることを知ってもらったのです。
 有益な先人の教えを、今に有益なものとして受け取る力が欲しいものです。

なぞなぞ

 最近の子どもたちは、テレビゲームなど一人で遊ぶことが多くなりました。しかし、子どもが他の子どもを相手に遊びことの必要性が、脳の問題やコミュニケーション能力などの問題で言われてきています。かつては、子ども同士で遊ぶことが多かったのですが、少子時代で、兄弟の数は少なくなり、地域に子ども集団がなくなりました。
 昔から集団が必要だった子どもの遊びは様々なものがあります。その中で、今でも子どもたちの間で人気のあるものに「なぞなぞ」があります。この遊びは、問いかけに対して、とんちを利かせた答えを要求する言葉遊びを用いたクイズですので、コミュニケーション力をつけるのには最適です。また、普通のクイズとは違って正解は事実に基づくものではなく、言葉の意味をこじつけた駄洒落・洒落が多かったり、韻を踏んでいたり、何かにたとえられたりすることも多いので頭を使います。人と触れ合い、頭を使うので脳が活性化しますので、ボケ防止にも最適だと言われています。
 このなぞなぞは、日本では、室町時代に広く民間に普及しました。それまでは、上流階級の間で和歌などを題材とした一種の言葉遊びのような形式のなぞなぞが作られていました。この言葉遊びは、戦国時代の後奈良天皇の御製による『後奈良天皇御撰何曽』が残されています。しかし、民間に普及したなぞなぞは、シンプルな掛詞がよく使われ、そのまま江戸時代にも伝わりました。そのなぞなぞが寺子屋の勉強にも使われていました。それは、この言葉遊びは、当時の子どもたちにとっても和歌よりも楽しかったに違いありません。
 「なぞなぞ」とは、「何ぞ何ぞ」という言葉かが由来です。今でも、なぞなぞを出した後に「何だ」という文句を「なーーんだ」と節をつけて歌うように語ることがあります。世界では、フェキオン山のスフィンクスが通りかかる人間に問いかけたという「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。この生き物は何か?」というなぞなぞが有名ですが、日本では、どんななぞなぞがあったのでしょう。西田知己著「寺子屋の楽しい勉強法」の中に室町時代の「なぞたて(謎立て)」が紹介されています。
 「十里のみちをけさ帰る」この問題を読んで答えがわかるでしょうか。答えは、「濁り酒」です。10里の道は5里の2倍なので、九九の要領で「二五里(にごり)」ということで、「けさ」が「(ひっくり」かえる)ということで「さけ」になります。ですから「にごりざけ」」となります。次の問題は、「三里はん」です。3里半は4里に掛っていますので、正解は「寄り掛かり」ということで、座椅子や脇息(肘掛け)です。
 江戸時代には、言葉遊びだけでなく、「判じ物」といって絵入りのなぞなぞもはやりました。「御前なぞはんじ物」も絵入りなぞなぞです。たとえば、この答えは、今でも使うことがあります。問題は、「あたひ(値)をと(取)らぬ渡し守」です。
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答えの絵には、平清盛の弟だった「忠度」の絵が描かれてありますが、忠度(薩摩守)とただ乗りをかけて、車や船などに無銭でのることや、そうする人のことを「薩摩守」ともいいました。
 なぞなぞの最初の問題などは、国語と算数の力が必要なように、遊びには様々な力が必要になります。ですから、子どもにとっての「遊び」には、さまざまな「学び」があるのです。