白石

いつからか「歴女」という言葉が聞かれるようになりました。その前には「鉄子」という鉄道好きな女子が話題になりましたが、この歴女とは、「歴史好きの女子」という意味です。この背景には、どうも「三国志」や戦国時代をテーマにしたゲームや漫画が増え、また、パチンコなどの題材に使われて歴史に出てくる人物に興味を持ち、原作本を読み始めて「歴史通」になる女性が増えてきたのではないかと言われています。刷り込みかもしれませんが、歴史や鉄道が好きなのは、男子が多いような気がしていましたので、特に最近のこの傾向が注目されるのでしょう。
今日訪れた宮城県白石市は、新幹線の白石蔵王駅を降りた所から旗がひらめいていました。その旗には、「俺が行かずば誰が行く 伊達の先陣 片倉小十郎」と書かれています。タクシーの運転手さんに聞くと、最近は、仙台の伊達政宗に劣らず歴女に人気のあるのがこの「片倉小十郎」だそうです。彼は、伊達政宗の重臣で智将の誉れ高く、慶長7年(1602)に白石城主となっています。
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この白石城の歴史は古く、1091年に藤原秀郷から五代目の藤原経清の次男経元が後三年の役で源義家に従って奥州清原氏を討伐した功績により、苅田と伊具の2郡を与えられ、姓も苅田と改めて居館を築いたのが始まりです。そして、苅田氏五代秀長は源頼朝の奥州征伐に従って白石氏と称したのが白石の始まりです。その後、戦国時代には伊達氏の勢力下でしたが、豊臣秀吉が奥州仕置で伊達氏の支配下であった白石の地を没収して、会津若松城主蒲生氏郷に与えました。蒲生氏郷はこの地に新たな縄張りを行い、三層の櫓を構える本丸や二の丸・三の丸などを築き、重臣の蒲生郷成を城主としたのです。
しかし、1598年に蒲生氏郷の子の秀行が宇都宮へ移封されると、会津若松には越後より上杉景勝が入封します。そこで、景勝は家臣の甘粕清長を白石城主にしたのです。この甘粕清長は、NHK大河ドラマ「天地人」では、パパイヤ鈴木が演じていた役柄で、越後上田衆のひとりです。しかし、慶長5年(1600)関ケ原の合戦前夜、上杉景勝討伐に赴いた徳川家康の命を受け、伊達政宗が白石城を攻略し、留守の隙を突かれてふたたび伊達政宗に白石城を奪われてしまいます。そして、片倉小十郎景綱が白石城主となったのです。
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戦いの後、白石城は政宗の側近中の側近、片倉小十郎景綱が城主となります。
彼は、政宗の知恵袋、用心棒、相談相手とまさに伊達政宗の右腕であり、その人物は徳川家康も認めることとなり、元和の一国一城令以後も、仙台伊達藩は特別に仙台城と白石城の2城が許され、片倉氏は伊達氏の陪臣ながら白石城主として11代が世襲して明治維新を迎えます。そして、また、この白石城が歴史の表舞台に登場してきます。戊辰戦争の時です。明治元年、江戸城が無血開城すると、奥州14藩の重臣たちは白石城に集まり、政府に会津若松藩救済を願い出ることにしましたが、官軍はこれを退けてしまいます。そこで、仙台藩士が官軍の参謀であった世良修蔵を暗殺したのを受けて、再び奥州列藩の重臣たちが白石城に集まって同盟条約を結びます。そして、白石に公議所を設けて官軍に対抗しますが、戦端が開かれると二本松城以下が陥落したために白石公議所は解散、そして、会津若松城も開城し、奥州はたちまち平定されてしまいました。
現在、白石城は、三階櫓は伝統の建築様式に基づいて木造で復元され、最上階に上れば、城下町白石の町並みが一望でき、遠く蔵王連峰も望むことができます。
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白石” への4件のコメント

  1. 初めて片倉小十郎景綱のことを知りました。伊達政宗の軍師として活躍したようですね。戦国の名将には必ず優秀な軍師がついていました。山本勘助ー武田信玄、宇佐美定満ー上杉謙信、竹中重治ー豊臣秀吉、直江兼続ー上杉景勝。彼らがいなければ間違いなく歴史は変わっていたと思います。優れた軍師(参謀)の条件とは、?情報収集の技能?情報分析の技能?進言の技能だそうです。歴史を学んでいくと、現代の組織の在り方が見えてきますね。

  2. 歴女という言葉を最近知ったのですが、まるでアイドルのように捉えているのを見ると、なんとも不思議な感じがします。いろんなものがはやるんですね。歴史上の人物を考えたとき、どんなに素晴らしいことをしたとしても結果的に時代を動かすことに一役買ったり、その中心であったりしなければ注目はされないところから、いろんなことを考えさせられます。時代が動いていなければ歴史上の人物として取り上げられない人もいたかもしれません。その時代の問題点を正しく捉え、結果が出るのは先のことかもしれないけれど問題に真摯に向き合っていくという姿勢は、どんなときでも大切なことだと思います。

  3. 片倉小十郎といえば「NHK大河ドラマ 独眼流政宗」で西郷輝彦さんが演じていましたね。「梵天丸もかくありたい」という幼少時代の政宗の傍にいる乳母喜多(竹下景子さん)の弟。白石城城主、だったのですね。その辺の記憶はあいまい。白石城は東北新幹線からも見ることができます。もっとも眠っていなければ・・・。ところで「白石」といえば碁打の人には黒石と並んで親近感を持つことでしょう。白石は宮城、黒石は青森。ともに岩手にはありません!そして「白石公議所」。「奥州14藩の重臣たちは白石城に集まり」とあります。殿様たちではなく「重臣」たちが寄り集まって諸諸を決定したところに明治へ繋がる息吹を感じます。「奥州はたちまち平定されてしまいました」。さぞかし無念であったでしょう。

  4.  おたく=男という方程式が今まで一般的に成り立っていたと思いますが、最近では女性のおたくも多くなってきたのが目立つようになった気がします。
     伊達政宗のことは知っていましたが、片倉小十郎は知りませんでした。yamayaさんとコメント被ってしまうのですが、戦国時代や三国志でも、有名な武将にはやはり、優秀な家臣が一人、必ずといっていいほど、いるのですね。それも上司と部下の関係でなく、それ以上の信頼関係の基盤になっていると思います。

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